10話 均衡
最近【賢者】にとっての楽しみができた。
自分の教室のとある生徒が入れてくれる茶が上手いことだ。
彼女が入れてくる茶は風味があり、甘さも温度も彼が好むようになっている。
同じ茶葉のはずなのだが、彼が自分で入れたものはとても飲めなくなりつつある。
「先生、今日の出来はどうですか?」
いつものように本を読みながら彼女が入れてくれる茶を飲んでいると彼女が尋ねてくる。
珍しいことだ。
珍しいことを聞いてくるということは、
いつもとは違うことを求めているのだとワイズマンは気づいていた。
「…明日からの件、君はどうするつもりかね?」
ワイズマンの自慢の生徒が挑む卒業資格認定試験期間。
すでに彼女には合格を与えているし、自分にとってはあまり問題はない。
前回と同じ問題を出しておけばいい。
前回の問題を解いたのは、自慢の生徒ことエレイン・ゼインともう一人しかいない。
だが、エレインがどういう計画を立てているかは気になるところではある。
おそらく、彼女が求めている質問はこれだろう。
「まず、ミラ・ディエル教官の試験に挑むつもりです。」
「――理由を聞かせてもらえるかね。」
「彼女の試験は今まで変化がありません。そしてパーティーで挑むことを許可しています。
そこを踏まえれば、残る教官の中でもっとも合格を得やすいと思っています。」
ワイズマンは、「ふむ…」と唸ったあと、口元を手で隠しそのまま黙り込んだ。
エレインは彼が取った行動から、自分の答えが中途半端な正解なのだと気づく。
彼は、間違いには即座に反論するし、正解であれば同意する。彼が考えこむということは、間違ってはいないのだろうが正解ではないのだ。
「――まず、わたしの客観的評価から言おう。もし、一切の制限なしに戦う場合、
もっとも相手を無力化、そして殺す能力が高いのはこの学園のすべての存在の中では彼女だ。」
エレインは彼が下した評価に驚く。
彼は、自分より彼女が上だと思っているのだ。
他にも【戦姫】カルロッタ、【剣仙】ハザンを筆頭に武闘派の教官たちは多数いる。
殺しに長けた元アサシンだった教官すらいる。
それらを差し置いてまで、彼女を推したことになる。
「それ程なのですか?先生でも勝てないと。」
「無理だな。直接の魔力ですら私は彼女には及ばん。
彼女をウィザードの模範生として見るには不敵だが。
ミラ・ディエルという存在としてはある意味完成されている。」
エレインはあっけにとられる。
彼女の授業を受けたことはない。自分の先生であるジェフ・ワイズマンの授業だけで十分だと思ってきたからだ。
彼もそれを指摘はしてこなかった。故に自分は間違っていないとエレインは思っている。
「伊達に【魔女】などという名を有していないよ。彼女は。それ程に危険な存在だ。」
ワイズマンは、茶を飲みつつ言葉を続ける。
「なぜ【魔女】などという名を彼女は持ち続けているのでしょう?」
「さてな、彼女がその由来を知らんわけはない。彼女自身が自分の危険性を認識しているからかもしれん。」
エレインの質問にあくまで仮説だとワイズマンは返す。
「君に彼女の授業を受けさせたりしなかったのは、彼女を参考にするのは難しいからだ。
彼女は【魔女】であって、ウィザードではない。そういう戦い方をしている。
故に、君に覚えるにはまだ早いと思っていたからな。」
ワイズマンは苦笑する。
「――では、彼女に勝つ方法はありますか?」
自分が聞きたいのはここなのだ。エレインの質問は芯をつく。
「わたしなら挑まんね。はっきり言って分が悪い。」
彼は即答する。
「――だが、もしどうしても彼女に挑もうとするならば、
基本に忠実に戦うことだ。彼女は極めて変則的な存在だ。
だが、基本ができた上であえて変則的になったという感じだ。
故に、奇を狙うようでは彼女の思う壺だ。正道こそ彼女の隙を生み出す。」
エレインは黙って、彼の言葉を聞き続ける。
「そして、彼女は均衡を嫌う。均衡からゆっくりと地力で押して安全に勝利を得るようなタイプではない。一気にかき乱して勝つという性格だ。
正道な戦い方によって生まれる膠着状態になれば、彼女はそれをなんとしても崩そうとする。
自分が多少不利になったとしてもだ。そこをつくしかあるまいな…」
彼女の悪癖だと、ワイズマンは笑う。
「ありがとうございました。参考にさせていただきます。」
「役に立つかはわからんがね。それとエレイン君。」
「なんでしょうか?先生?」
「しゃべりすぎて、茶が冷めてしまった。入れなおしてもらえるかね?」
エレインは「わかりました」と微笑んで茶を入れに行く。
離れようとしたエレインをワイズマンが呼び止める。
「今の君なら、彼女がどれほど脅威で歪んでいるか感じられるかもしれん。
きっと君にとって非常に参考になると思うよ。」
エレインは、彼の助言を思い出す。
目の前の女性が、もう化け物のようにすら思える。
ナイトの盾に乗り、サムライの剣技すら躱すウィザードなど聞いたことがない。
さらに短縮詠唱という彼女にしかできないことができ、弐節詠唱という高位な魔法を乱発できる。もう色んな意味で参考になど出来ないのだ。
だが、彼女は恐怖を感じつつもその動きに羨望の目を向けていた。
◇
(埒が明かないわね…これ。)
さっきと似た感じで攻めてみたが、状況は変わらない。
むしろ悪化してる気がする、直撃はしてないがお気に入りの服が少し破けている。
アラクネの糸など特殊な繊維を織り込んだこのローブは強度で言えば普通の剣程度ならば傷つけるのも困難な相当優れたローブなのだが、
それですら傷をつけてくる彼ら。正直侮っていたところがあった。
(――ならば強引に攻めてみますかね。)
私はどうも我慢するのが苦手だ。
均衡するぐらいならば、あえてその土台ごと破壊する。
そして一気に倒す。分の悪い賭けであってもだ。
それがわたしの性格である。
さいわい、彼らも疲労してきているのだろう。今までの連続攻撃にもわずかながらに間隙が生まれつつある。
意図的に距離を取る。剣撃もここまでは飛んでこない。
「――悶て――苦しめ。」
まるで呪詛のような制御の言葉。
だが、どうしても卑劣なことをするにはこういう言葉になってしまう。
悪の魔法使いっぽい感じしかしない。まぁやることもそれに等しいが。
彼らの周囲に黄色い靄が発生する。
「――逃げて!?」
その危険度に気がついたのか、ジン君がいち早く動く。
だが遅い。
エレインとジンは範囲外に逃げたようだが、残り二人は膝をつく。
特殊な麻痺を生み出す毒の霧を生成したのだ。
室内ではないため、さほどの効果は望めないがそれでも均衡は崩れる。
「彼らの蝕みを払え…!」
「シッ!!」
わたしの次の行動に気がついたか、ジン君が私へ突っ込んでくる。
今神の奇跡により麻痺を消そうとするエレインを倒せばこれで詰みだ。
この麻痺毒は自然治癒には時間がかかる。
彼の剣撃は、もはや強化してあるはずのわたしの感覚ですら捉えきれない。
まるで、見えないほど細い蜘蛛の糸が張り巡らされているような感じだ。
だが、私は彼の剣を見てはいない。
彼の腕を見ている、あとは刀の範囲を認識しておけばその分を計算して動けばいいのだ。
腕は刀ほど早くはないし、細くない。
――躱しきれる。
そう確信する私、そして生まれる僅かな隙間。
私はそこを掻い潜る。
まだ、奇跡は舞い降りていない。どうやら賭けはわたしの勝ちのようだ。
だが、私の足は止まる。
――防御障壁…!?
目の前にそびえるはナイトの盾。セリックくんがその麻痺した体を持ってして生成した障壁。
強度は無きに等しいが、私の動きを止めるには十分だった。
(驚いたわね…。あの状態で動くなんて。)
生み出した毒は決して甘いものではない。
屋外故の効果の差はあるだろうが、膝をつくのが演技とは思えなかった。
『真の騎士の盾はすべての攻撃を受け止める。それがどんなに強力な攻撃であってもその盾は絶対に崩れてはならないんだ。もし自分が崩れた時自分が守るべき者を守ってあげられるものがいないのだから――』
昔組んでいたパーティーのリーダーの口癖を思い出す。
人の問題は背負い込むくせに自分の問題は自分一人で背負っていたあいつ。
曲者で問題児ぞろいだった私達を一つにまとめたあいつ。
あいつの盾があったこそ私達は自由に暴れられた。【絶対に攻撃を届かせない】という安心感から生まれた結束感。
どうやら、彼もまたあいつと同類のようだ。
私は再び距離を取る。再び訪れる均衡の時。
今の一手ですら崩し切れないのだ、ならばさらに大技を出そうじゃないか。
今までの自分の優位を捨ててでも。
「しっかり防ぎなさいよ…!!!」
私は大声で警告する。加減をする気はない。
想像し具現化するは、火炎と爆発による破壊。
「――果てなく――集束し――消え失せよ!!」
私が生み出した破壊の魔法は、学園の端からですら視認できるほどの巨大な爆炎となり彼らに襲いかかった。