第2章 明日を想う その1
午前十一時
幼馴染みグループには、一カ所だけ秘密基地とでもいうべき場所があった。見つけたのが誰だったかは覚えていないが、小学校に入る頃にはすでにそこを遊び場としていた。
住宅街のはずれにある山。そこの中腹が自然公園となっていて、付近の住人の憩いの場となっていた。一昔前は不良のたまり場として、夜間はとても危険な場所だったが、警察による巡回と排除が徹底され、最近では夜間になると、二人っきりになりたいカップル向けのスポットとなっていた。
もともとは山あり谷ありの自然豊かな土地だったが、山を均して住宅街として造成され、その際に公園を作るために一つだけ残された。夜になると、住宅街が一望できる夜景スポットになった。もっとも、自然公園は中腹のためそれほど素敵な光景ではなく、高いビルのない住宅地なので、それを期待して訪れた人々からは嘲笑や失望といった感想を頂戴することも多い。
近くの夜景スポットなんて、そんなもんだ。
自然公園まで足を運んだ祐太は、その最上段にある展望エリアへと向かった。朝早いからか、散歩に訪れた老人、ペットを連れた親子の姿だけがあった。ごく慣れた様相で、展望エリアの奥へと向かう。
東屋を背に、かすかに広げられている藪の隙間へと入り込む。入口だけはうかつに人が入り込まないように極力そのままを維持するようにしていたが、そこから先は定期的に枝を落とし草を踏み、藪を払いのけ、歩きやすいように、毎日のように人が歩くため地面は歩きやすく均されている。
しばらく自身らで作った隠れ道を進むと、藪が途切れる。
背の低い雑草と芝とに覆われた秘密基地。山の頂上付近は円形に近い形で広がり、唯一立っている巨木だけが存在をアピールしている。
この広場とでも言うべき場所が、仲間内での秘密基地であった。
足首までの雑草のカーペットを進んでいくと、いまだに成長を続けている大木の根本に、寝ている者が見えた。
「やっぱりいたね、康くん」
「なんだ、早いな」
一言かけて、隣に座り込む。
後頭部で腕を組み、それを枕にして寝ていたのは、幼馴染みの一人、瀬良康平であった。仲間内でただ一人の年上である。幼稚園時代、砂場を占拠していた祐太たち年少組に果敢にも声をかけ、取っ組み合いの喧嘩を繰り返し、一緒に遊ぶようになったのは、いい思い出だと思えた。
康平は、祐太へ顔を向けることもなく、ずっと空を見ていた。
「どうした、こんな時間に」
「学校、臨時休校になって解散。で、誰かいるかなと思ってね」
「そうか」
「誰か来た?」
「ああ、紘華が来た。もう帰ったが」
康平が上げたのは、外川紘華という少女の名前だった。幼馴染みグループの一人で、祐太とは同い年、同じ高校で同じクラス。それは宮間知香と一緒である。
アサイチでここに来たのか。どうりで教室で見なかったわけだ」
そして、チャットで康平──K──が大丈夫、と言っていたのもそのためか。
「さすがに、この状況で学校に行こうとする真面目なバカはお前だけだろう」
「真面目なバカって何さ。まあ、確かに他は誰も来てなったみたいだけど。でもさ、とりあえず登校してみようかなー、とか思わないかな」
「いや、こんな状況で授業あったらどうするんだよ。六限目まできっちり授業受けるのか? あほくさ」
「う……そりゃあ、授業があったらきちんと受けてきたとは思うけど」
「それが真面目バカだって言うんだ」
真面目バカ。仲間内での祐太の評判を一言で言い表す語句だ。
「いやいや、だってさ、確かに特殊な状況かもしれないけど。別に明日で世界が終わりだなんて思ってないし。だとしたら、学校行っておいたほうがいいじゃん」
「状況が状況なだけに、許されるさ。だから、お前しか行かなかったんだろう」
「むぐぅ。康くん、朝からここに?」
「ああ、他に行くところもないしなぁ」
康平があまり家にいたくないことは祐太も知っていた。居場所ねーんだよ、といつも言ってるし、それが本当であることは何度も見てきた。だから、それについては何も言わないし、聞かない。仲間内ではアンタッチャブルとされていた。
「祐太」
「ん」
「お前は、明後日が普通に来ると思ってるんだな」
「そりゃあね。実感がないっていうか、いきなり言われたって信じられないよ」
「信じたくない、じゃないんだな」
「そうだね、そもそも信じる気がない」
言い切る祐太。
「康くんは信じてる?」
「いや、信じてはいない。ただ、あり得る未来の一つとして考えている」
「あり得る未来?」
「……そうだな」
一拍、間を開ける康平。
「今日、俺が死ぬ確率が何パーセントかある。俺に限った話じゃない、誰しもがそうだ。一番確率が高いのは事故だが、ゼロだとは誰もが言い切れない。
明日は? 明後日は? 人生なんて性質の悪いギャンブルだ。知らぬ間に命をベットして、毎日生き続けている。そう考えたら、今日を生き延びたギャンブラーが親の総取りで素寒貧になることだってあり得る。
それがあり得る未来ってやつさ」
「明日、かはともかくとして、自分の周りで誰かが死ぬ、なんて考えたことはなかったなぁ」
「そんなもんさ」
康平は言った。隕石の落下なんて、死因の一つでしかない。人間、いつかは死ぬ。それが、たまたま明日である確率が高くなっているだけなんだ、と。
「それが最悪の覚悟、ってやつなのかな」
「ん?」
「知香が、最悪の覚悟はしてる、って言ってた」
「ちゃんと知香のところに行ってきたのか。というか、よく起きたな」
「起きてたよ、珍しいことに」
その割にチャットには参加しなかったが。
「知香が言ってたんだな、最悪の覚悟、って」
「うん」
「そうか。結局は、どうしたら後悔しないか、ってことだからな」
もし明日、自分が死ぬとしたら。
もし明日、知香が死んでしまったとしたら──
「考えたくない」
「そりゃそうだ。そんなことを考える奴は、そうそういない。ただ、それを考えておく必要がある状況が来ちまった、ってだけだ」
「どうしたら、いいんだろ」
「お前はどうしたい、祐太。もし明日、お前が死んでしまうとしたら。知香が、死んでしまったとしたら」
幼馴染みグループは合計六人なのだが、なぜ知香をピンポイントで指名するのか。考えなくても、それはわかる気がした。
「悩め、若人」
「一年も違わないでしょ」
十一月生まれで年下の祐太と、七月生まれで年上の康平。差は八ヵ月しかない。
「若いうちは一日、一ヶ月の差が大きいんだぜ」
「んー、わからなくは、ないけど」
「結局はさ、どうしたら後悔しないか、ってことになるのさ」
「どうしたら後悔しないか、か……」
「未来って、面白いよな。何も決まってはいないのに、今の延長線上にあるように感じられる。でも、その通りにはならない。大半の連中はそれに目をつぶって、ああしとけばよかった、こうしておくべきだったんじゃないか、って後悔する」
「うん」
「だから、祐太も後悔しないように、今だからこそやらなきゃいけないことをしろよ。それが徒労に終わったら、みんなで笑うネタにすればいい」
わずかに年上でしかないはずなのに、康平は遥か上にいるように感じることがあった。家庭環境に恵まれなかったせいなのかは分からないが、考え方が大人びている気がする。
後悔しないで済むには、今やりたいことをするしかないのだろうか。
「知っているか。後悔ってのは過ぎてからじゃないと出来ないんだ。やろうが、やるまいが、時間は勝手に過ぎていくからな」
「そうだね、なるべく後悔はしないようにするよ」
「それでいい」
祐太が康平の顔を見ると、とても優しい表情をしていた。やっぱり、康くんには敵わない。時折偉そうなことを言うが、それは説教には聞こない。ただただ、心配してくれる兄のおせっかいであるからか。
グループのリーダー的な存在で、言い出したことは必ず実行するし、みんなを引っ張っていく。上に立つ、ってのはこういうことなのか、と祐太にはとても眩しく見える存在、それが康平だった。
「康くんさ、隕石のこと、どう思う?」
「わかんね」
短い返答だった。
「分かるわけない。わかることと言えば、上手くいけば明後日があって、上手くいかなければ明後日がない、ってことだけさ」
「それは、そうなんだけど」
「俺が、俺たちがなんとかすれば解決するんなら、そのために動く。だが、さすがに解決するには俺たちはガキすぎる」
そうなのだ。自分たちはただの高校生で、ハリウッド映画みたいな大立ち回りなんて出来ない。それが、ひどくもどかしい。これがフィクションの世界なら、きっと自分たちは主役で、隕石を迎撃する特殊部隊だったりするのだろう。
「映画みたいに、ハッピーエンドになると、いいね」
「なるさ。そう思っていれば、な」
康平は立ち上がって、町を見下ろせるあたりまで歩く。祐太も、康平の二歩ばかり後ろを付いていった。
「お前は、みんなのところを回ってるんだろ。次に行くのは……あの辺だな」
康平が指差したのは、この町の中心である駅の方角だった。この町で、唯一栄えてると言えるエリア。商店街を通りすぎ、高校を通りすぎ、しばらく行った先。
「そういえば、パニックとか、ならないのかな」
「日本だからな……みんな、平和ボケしてるさ。とはいえ、時間が過ぎれば過ぎるほど危険になるぞ。情報がどんどん出てきて、どんどん不安が広がっていけば、暴動なんてすぐに起こる。
ノストラダムスの時、ごく一部の暴走した奴がいたろう。あんなもの、誰も信じてなかった。だが、動いた奴はいた。それが、大規模になるんだ。本当に終わりだ、と思ったら人間なんて何をしだすかわからない。
今はまだ、世界中が静観してるんだ。もし、何事もなかったとしたら暴れ損、むしろ、それによって人生が終わってしまうからな」
明後日があるのなら、という希望。それがあるからこそ、人は落ち着いている。
この空の下で、どれだけの人がいつものように生活しているんだろう。どれだけの人が、不安と戦っているのだろう。どれだけの人が絶望してしまったのだろう。
楽観していた祐太は、少しづつ自分の心が沈んでいくような気がした。