第3章 解散 その3
午後三時三十分
おしゃべりをある程度で切り上げて、童心に帰って鬼ごっこをしてはみたが、さすがにずっと走り回っていては、さすがに休憩が欲しくなった。
最後に知香が鬼の任務を全うし終えたところで、休憩を入れることにした。
「はぁ~、さすがにしんどい」
そう言った紘華が、うつ伏せに倒れる。
「も、もうだめぽ……」
腰砕けになって、女の子座りで座りこむ直樹。
「紘華、あんたパンツ見せすぎ。少しは隠しなさい」
と、紘華の隣に腰掛けてスカートを整えてあげる知香。
「きゅ~」
かわいらしい謎の動物のモノマネをしながら仰向けになる帆華。
「ガキの頃は、これくらいじゃ疲れなかったよな」
片膝を立てて座る康平。
「ほんと。さすがにもうしんどいよ」
ペタっと座った祐太も、そのまま背を倒して仰向けになる。
「空が青いな」
木が少なくて住宅街を見渡せる方向を向き、康平がぼそっとつぶやいた。開けた空は青々としていて、夕刻も間近だというのに、とても遠くまで見える気がした。
「いつまでも、同じ空を見ていたい、って言うのは贅沢なのかな」
「やっべ紘華、超詩人。ベリーポエマー」
「やかまし」
顔だけを横に向けて直樹の位置を確認、力なく振り上げた拳を直樹の太ももに叩きつける。
「おうふ、ま、痛くはないんだけど」
ドMなのはネット人格だけの直樹は、別に喜んだりしなかった。
ふと気が付くと、知香が祐太の隣に座っていた。ポケットから取り出したハンカチで、祐太の額の汗をぬぐってくれる。
「なんか湿っぽい」
「私の汗ふいたからね。ちょっと冷たいでしょ」
「んー、それほどでも」
「まあ、そうだよね」
ハンカチを逆にたたむと、そのままポケットにしまう知香。
「んふっふ、それを何に使うのかが気になるのですがー」
いつの間にか、祐太の頭の上にいる帆華。よいしょ、と声を出して祐太の頭を自分のももに乗せる。
「あれれぇ、いつの間にか祐ちゃんを膝枕しちゃってたんですがー」
しれっと言い放つ帆華。直前に自分でやったというのに、とてもたくましい根性である。
「帆華の足ほっそいなー。もうちょっと肉を付けるといい感じになるんじゃないか」
と、祐太も特別なことと思わずに、いつもと同じ感想を漏らす。
「むー、知香ちゃんめー」
「いや、そこで私に突っかかるのはおかしいでしょ」
寝る子は育つ、というが知香は少しふっくらしていて、帆華は痩せていると言ってもいい。どちらも、体重は平均のうちだ、と頑なに言っているが、それはその通りなのだろうと祐太は思う。
「いずれはそうなるんだから、今はこれを体験しておくといいと思うのですがー」
いずれ、そうなる。いつも言っていたことだ。いずれ女の子らしい体つきになっていく。そのいずれが訪れれば。と考えて祐太はその考えを脳内から削除した。いずれは来る。来る、のだ。
「さすがに、もう疲れることはしたくないな」
「さんせー」
「いぎなーし」
「同じくー」
と康平の提案に一同が同意する。
「しばらく、こうしてましょ」
そして紘華の提案である。またもや数えるまでもない賛成多数による可決され、しばらくこののんびりとした時間を過ごすことになった。
「なおくん、携帯禁止」
携帯を見ていた直樹に、紘華が釘を刺す。
「──そう、だな」
と直樹もそれを良しとして携帯をしまった。今は、この仲間たちとの時間を大切にしたい。そんな言外の思いが伝った形だ。
「あ」
帆華が短く言うと、心地よい風があたりを吹き抜けた。背中の中ほどまである帆華の髪をまくり上げる程度に吹く風が、汗だくになって倒れている仲間たちに吹き付ける。
帆華の汗に浮き上がったにおいが、祐太の鼻孔を通り抜けた。それが、なんだかいい匂いだと思った。
「ああ、これはいい風だ」
康平が、涼を運んでくれた風に目を細める。
「今日は、風が騒がしいな」
「厨二って、なんでか風だよね」
「風はロマンだからね」
と言う直樹。
「火は熱血、水はクール、土は母性ってイメージが日本だと強いのかな。で、自由、みたいなイメージの風に主人公補正が掛かるのかな」
「戦隊モノは赤だよね、リーダー」
「一番最初に決めた人がいるからね、あとは流れで」
紘華と直樹がマンガやたテレビやらの話へと流す。
「知香ぁ。風上に立ってみない?」
「いきなり何よ」
「いや、知香のにおいが飛んでくるかな、って」
そう言われた知香は、ちょっとだけ祐太との距離を開けた。
「ヘンタイ」
「待て待て、そういうんじゃない」
「そういうのってどういうのよ」
「祐ちゃんはきっと、わたしの匂いに興奮しちゃったと思うのですがー」
「……」
知香がさらに距離を取る。
「で、どうなのよ」
いわゆるジト目で祐太を見る知香。
「えー、なんというか、まぁ、その、なんだ」
「はっきり言って欲しいんですがー。いい匂い?」
「えっと、それは、うん、はい」
そう返事した祐太に、
「えへへ、じゃあボーナスをあげちゃうのですがー」
と言って帆華はブラウスの裾を持ち上げると、ぱたぱたーと言いながら祐太の眼前に広げる。祐太の目に、薄い胸を覆う白い下着が飛び込んでくる。
「あは、ブラが見えちゃって恥ずかしいんですがー」
「……見せたんでしょ」
「祐ちゃんに見られるのは恥ずかしくないんですがー」
体自体の肉付きが薄さに比例して、帆華のバストサイズは大きくない。第一、見慣れているので祐太としても、見えたかといって特別な感傷が湧くこともなかった。外川家の両親に、帆華と一緒に風呂へ放り込まれたのは、去年だったか一昨年だったか。
遊んでいる途中でゲリラ豪雨に見舞われ、近かった外川家へと避難したときだ。「どうせ子供のころから一緒なんだし、気にせずに入りなさい、風邪ひいちゃうから」と言ってのけた母親は、間違いなく紘華と帆華の親だ、と断言せざるを得ない祐太であった。帆華を風呂場に残して先に上がった祐太が、脱衣所でバスタオルに水分を吸わせていると紘華が乱入してきて、勢いよく脱ぎだして風呂に駆け込んだりもしていたが。
ある意味では近すぎたのではないか、と祐太は思うことがある。帆華は、姉にじゃれつくように、祐太にじゃれつく。異性ではなく、兄として見ているのではないかと思う。藪をつつきたくなかったので、蛇が飛び出てくることはなかったわけだが。
「っしょぅ」
と息を吐きながら、うつ伏せに倒れてた紘華が起き上がる。
「ねえ、なおくんさ。冷たいモノが飲みたいなー」
「ああ、いいねぇ。いっちょ頼むわー」
「……なおくんさー」
「無限ループっぽい選択肢は、とりあえず百回試してみるのが信条なんだ」
「仕方ないなぁ、わたしが行ってくるよ」
と妹が言ったので、姉はよろしくーとだけ言った。
「やれやれ、帆華だけじゃきついだろ、俺も行くわ」
と言って康平が立ち上がり、帆華と連れ立って自然公園へと降りて行った。自然公園を出て少し行けば、メーカー複合タイプの自販機がある。そこへ行ったのだろう。
二人がいなくなると、自然と会話もなくなってしまったが、誰もあえて何かを言おうとはしなかった。
例え話などなくとも、一緒にいて居心地が悪いだなんて思うことはない。一緒に過ごしてきた時間が長すぎて、いることが自然なのである。
「そういえば」
と知香が口を開いたのは、強くなったり弱くなったりする風の涼しさで、汗がすっかり引っ込んでからだった。
「祐太学校行ったんだよね。クラスの様子、どうだったの?」
「おお、それそれ。気になってた」
乗ってきたのは直樹である。奇しくも、年長者と年少者が席を外したため、残ったのは同い年の四人だった。高校に入ってからはずっと同じクラスだった。
「んー、そうだなぁ」
と見てきたことをざっくりと伝える祐太。
ガラガラの教室、まったく気にしていない連中、今生の別れを告げあう女の子たち、慌てた様子の担任。
「そか、出席はなかったかー、それは重畳」
悪びれもしない紘華。
「それにしても、まさか登校するような真面目な奴が祐太以外にもいるとはね」
「やかましい」
「二度寝しちゃえばよかったのに」
朝ごはんの惨状に、すっかり目が覚めてしまった、と祐太が言うと、三人に納得されてしまった。
「祐太のおばさん、そういうの弱そうだもんね」
うちのお母さんにも、少し分けて欲しいくらいよ、と言う知香に、うちもだよと同意する紘華。
ただ一人話に乗れなかった直樹は、親父が珍しく連絡してきてさ、と言った。
「自衛隊なんててんやわんやだろうにさ。しかも、今は出航しててどこにいるんだか分からないのに」
ただ、そういう直樹の顔はちょっと照れているようにも見えた。
「父さん、起きたときには会社に行ってたよ。昼ごはんには戻ってたけど」
「うちなんて、店開いて、客が来ねぇってボヤいてた」
八百屋は結局、開店休業状態だったようだ。この状況で、のんびりと野菜を買いに来るような主婦は、やはりいないようだ。
「お待たせー」
と、帆華と康平が両手にペットボトルを抱えて戻ってきた。
帆華は両手に一つずつ持っていて、片方を祐太に渡す。両手に二本ずつ持った康平が、残りの面子に分配していく。すぐさま、ぷしゅと小気味良い音を立ててペットボトルが開栓されていく。
「少し、日が落ちてきたな」
住宅街のほうを眺める康平がそう言った。太陽はすでに正面に移動していて、もう少しで地平線の陰に隠れそうだ。いつもなら、そろそろ誰かが帰ると言い出すところだが、今日に限っては誰も言い出さなかった。
誰も、言い出したくなかった。




