第六話
創世記は語る。
古き世、世界は上下に浮かび相対する二つ半球であった。すなわち、球。そして卵。
神竜、卵を産み、それを永遠より遠い日々、あたためる。
やがて卵は二つに割れ、中から産声をあげる者あり。すなわち、世界。
溢れる世界の体液は海となり、また肉は大地となりて古き時の中、生命を抱く。
神竜は名付ける。上の大地、人と魔法の地、ドラグフレアなり。下の大地、獣と精霊の地、ドラグノアなり。
神竜その身を六つに割りて上の地に三つを下の地に三つを捧ぐ。
〜中略〜
ドラグフレア、魔の石を抱き、争いを好む者あり。生命の生き血をすすり肉をほふりて、文明を育てるなり。文明、やがて大きな戦を産みて、死す。
戦火、上の大地焼きはらい、多くの生命食らう。
殻は形骸まで失いて消え去るなり。残る大地は僅かなり。すなわち、滅亡。
獣と精霊の地ドラグノア、僅かに生き残りし人の子ら包む。
残された大地、文明の知識秘め、死者をまつる聖都となり眠る。ルシファンの都、ここに誕生す。
人の子ら、帰れぬ大地に涙を流し、詠うなり。
下の地の者ども、眠りの大地を月と呼び、憂うなり。
「行けるワケないじゃん」
「行くって決めたんです。だから…」
うつ向くアーシェに、ディノは溜め息をついた。
この女は、空にどうやって行くつもりなのだろう。
そう思い、そして気付いた。自分でも知らない旅とは、そういう事なのだろう。行き先も行き方も終りも分からない旅路。
だからこそ聖者達は極めて高価な宝石を渡したのだ。
「…ハシェイブの向こうは灰の大地だろ。あんな無法地帯に一人で行く気かよ」
「…はい。試練ですから」
ディノは自身の口腔が苦くなるのを感じた。自身の力を過信し無謀な行為で死んでいったラルシェムの者達の顔が浮かんだ。堪らず思う事を端から言う。
「命が惜しくないのかよ。行ける筈無いだろ。ってか月に行く迄に死ぬのがオチだ。第一月まで行ってどうするつもりだよ。観光気分で行くのか、それとも苦行を積んで人々の幸せを願うとか?馬鹿か?おまえ」
「違います。私には目的があるんです」
ディノの辛辣な言葉の数々に、それでも怒る事無く聖なる者は真っ直ぐディノを見つめた。
「目的?なにが?」
「…あの、その…」
途端にうろたえるアーシェ。言えないのか。
「まぁ、頑張れば良いさ。あんたが国外で死のうが生きようが俺には関係無いからな。」
荷車に冷たい沈黙が満ちた。
国境の街ハシェイブは竜皇国エアドラドの西に位置する。 まずはゼルダ街道を通る事となる。
「アベドルト平原を通って行くからな。その方が近い」
沈黙を破るディノの声に、うつ向いていたアーシェが顔をあげる。
「え?でも、平原をまっすぐ通るのは普通の方には…」
「ああ、その点は大丈夫だ。俺、風馬一族だから」
「風馬…遊牧民族さんなんですね。」
おっとりとアーシェが驚く。無理もない。風馬の人間は大抵、平原から出ないからだ。また、ディノのように十二歳の成人の式の後すぐ平原を出る者は極めて少ない。
「まぁな。…平原を通ったら、ハシェイブはすぐだ。」
盗賊や魔物にさえ会わなければ、案外楽な仕事かもしれない。…会わなければだが。
何気無い会話をかわしている内に、車は皇都の端についたらしく停止した。二人はすぐに車から下りる。続け様に、車に皇都へと向かう客が乗り、再び皇都へと向かって行く。車の向こうに、湖を囲むように広がる皇都が花のように見えた。
「ここからは歩きだ。気合い入れろよ。」
「はい、頑張ります。」
二人は、皇都から東西南北、十字に広がる街道の一つ・ゼルダ街道の入り口の両脇に立つ二つの竜の巨像を見上げた。
ゼルダ街道。
かつて皇国の西に繁栄していたバーミア王国との貿易のために作られた街道である。
バーミア王国が数々の内乱により滅亡してから貿易のための使用は少なくなったものの、今も皇国の貿易にはかかせない。
また石畳の整備された街道は商人の他にもさまざまな職種の者や旅人が使用している。
だがそれゆえに盗賊や魔物に襲われやすい。雇われ兵等の守り人で周囲を大量に固めて進む商人達が襲われる事は少なく、彼等の主なターゲットは、少人数の旅団等が大半である。
「本当に行くのか?」
ディノは、最後の問いをアーシェに与えた。
「あ、はい。ディノは大丈夫ですか?」
あっけらかんとしたアーシェの返答にディノは溜め息をつくと、あったり前だろ、と紡いだ。
二人の旅は、こうして始まった。