第五話
ドラグノア極東の国、竜皇国の歴史の陰に起こった皇国の神の死、そして勇敢な騎士達の死。皇国の民は知らぬ、抹消された真実。
運命がゆっくりと繰り始めた日から、十四年が経とうとしていた。
竜皇国の皇都・シオンは、世界の果て、東の火竜山脈から流れる大河・メルン川の恵みを受ける。数々の竜を象り祭る独特の建築文化神竜殿に因るその美しい街並みから、美の都と世界から称されている。
都を巡るいくつもの水路は全て、アルタナ湖と呼ばれるメルン川の水を溜めるドラグノア最大級の人工の湖から流れる。
遠く西にあるという海を彷彿とさせる湖の中央には、帝都から陽炎のように見える城がある。五本の石作りの強大な橋を民への血管とする聖なる城・エアドラド城、竜の城である。
… 蜃気楼のように輝くその城を、ひとり見つめる少年がいた。
「城まで透き通ってら。今日は帝国晴れだな。」
黒に数束の白が揺れる髪が風になびく。黒い革製の服に小さな体を納め、胸元には銀の鎖と刃。背中に自身の胸ほどの太剣を担いだ少年が、背を伸ばした。
黒髪の網目から覗く珍しい赤の瞳を細めると、少年は歩き始めた。
帝都の外れに、少年の目的の場所がある。ラルシェムという団体〜大工から僧侶までを団員に個人契約を主に様々な仕事を受ける、いわゆる何でも屋〜の仕事引き受け場・シェムバス。
少年はシェムバスの扉を開けると中に入った。酒屋と全く同じ作りの店内は、今日も無駄に賑やかだ。
「よう、ディノ!仕事はもう終りか?相変わらず早ぇな」
椅子を丸机にぎっちりと埋めて話し合う戦士団のひとりが、少年に片手をあげた。
「まあな、お前らみたいに全体が筋肉で重くないし。」
「相変わらず生意気だねぇ。おねえさんが調教してやろうか」
女戦士が色っぽく言うと、周囲が飽和するように笑った。
「うるせーよ。」
ディノは、適当に戦士達をあしらうと、受付に向かう。受付には、白い毛に覆われ、真っ赤な鼻に丸眼鏡をかけた受付嬢、といっても百才を越えている魔女バーバが紙に判子をベタベタ押している。
「バーバ嬢、仕事。」
「さっき渡したばかりなのにもう終ったのかい、せわしない餓鬼だね。女に嫌われるよ。」
「風馬一族は迅速な忍者の血筋だからね。」
「ふん、そんなの旧王国の話じゃないか。まあいい、この街でマトモに働くのはお前だけだしね。」
「違いない。なあ、良い仕事ないのか。世界を旅するようなさ。」
「本当に珍しい奴だね、お前は。」
「…ふぅん。アンタに丁度良い仕事があるよ。めんど臭そうなヤツがね」
バーバが、片隅に目を向ける。
そこには一人、巨人種用の丸椅子にぽつねんと座る十六、七位の年若い女性がいた。卓上の花を撫でている。
「国境の街ハシェイブまでの案内、加えて旅の知識を教えてくれる者。」
「…ハシェイブに行く気なの、アレ。」
アレ、とディノが指差した女性は、どこからどう見ても国境を越えられるような玉に見えない。少女の殻を脱げないでいる、そんな印象を与える弱々しく華奢な女性。
国境までは長く、野宿は当たり前。そして獣や盗人が蔓延る街道もある。皇都から離れるにつれ危険は高まる。おとなしかった魔物が近年凶暴化し、人を襲うことだって希ではなくなった。死ぬ者だっている。
「道楽か?家出か?自殺願望か?そんなのに付き合うなんて御免だ。」
「力試しにはいいんじゃないかい。羽振りも良さそうだ。へへ、それにもう契約は済んでいてねぇ。」
「…ったく、面倒な仕事は直ぐ俺に押し付けやがって。」
ディノは溜め息をつくとニンマリ笑うバーバを背に、スタスタ歩き始めた。
「おい。」
声をかけたのが急だった為か一瞬飛んで、女性は立ち上がった。
巨大な椅子に座っていた為に小さく見えていたが、ディノより頭ひとつ分高い。とは言っても、ディノは同年齢の男子に比べると、小さい方であるが。
「こんにちは。」
上品な口ぶり。薄茶の目に長い髪、白い肌。
右手に美しい杖を持ち、絹に赤い花の刺繍のマントを纏う。
下には革製コルセットを身に付け上品に笑う姿は、ディノが嫌いな上流階級の女のそれだ。
ほんわか微笑む女性にディノは無愛想に「仕事」と言った。
「え、貴方が請け負い人さんなのですか。失礼ですが、大変お若いのですね」
「…ラルシェム専属剣士ディノ、これでも年は十四。ランクは…」
「ディ、ノ…?」
「アンタの名前は?」
ディノの問掛けに、少しの沈黙の後。
「…私は、アーシェ、ともうします…」
「ふぅん、初めましてアーシェさん。」
いかにも思考を巡らしているといったアーシェの表情。
( 契約破棄でも考えてんのかな…。)
ディノはラルシェムでも一級に近い力の持ち主ではあるが、幼い容貌の為に会った途端に契約破棄される事は珍しくなかった。いっそ破棄してくれと思う。
考えが決まったのか、アーシェはディノに嬉しそうに笑いかけた。
「よろしくお願いします!」
契約は成立のようだ。
「その様子じゃ装備はまだか。金はあるんだろうな。」
ディノの問掛けにアーシェは曖昧に頷いた。
「えっと、宝石はあるのですが、お金は少ししかないので…。」
(まさか本当に家出娘なんじゃねえのか… 面倒なことにならなきゃいいけどな。)
ラルシェムは一度契約したら最後、それを終えたという書類に契約相手からサインを貰うまで、基本的に仕事を続けなければならない。
これはラルシェムのもっとも重要な掟のひとつだ。たとえ家出娘との契約であろうと掟は掟である。
「宝石を取り合えず換金するか。お買い物はそれからだな。」
ディノはシェムバスの奥へと足を進めた。アーシェもそれに続いて行く。
シェムバスの中にはいくつかの店が繋っている。その内容は質屋、換金所、武器屋、金貸し、カジノなど様々だ。
唯一の共通点は‘大量の金が動く店’といった所だろうか。
力が集まる所には自然と金が集まるものだ。その為に皇国の聖職者団体や軍人やらには、かなりの警戒心と偏見をもたれている。
だが、力と金、一見その組あわせは危険なようで、安全と等しい。故にラルシェムは今まで潰される事無く、その力と金を保ち続けている。
ラルシェムの力と金の証、質屋換金所も、そのひとつだ。
「いらっしゃい。」
身体中を黄色い毛で覆われたバーバと同じ人種のラーラ。ここの質屋換金所の受付嬢だ。
「ラーラ、宝石を金に変えて欲しい。」
ラーラは直ぐに虫眼鏡を取り出す。
「アーシェ、宝石。」
「はい、分かりました。」
アーシェは腰にぶら下げていた皮袋から青い宝石をひとつ取り出すと、ラーラに手渡した。
「…見事な聖の魔宝石だね。あんた試練の者か。これは聖者達から下ったのかい?」
はい、というアーシェのしっかりとした返事に、ディノが少し驚く。
「聖なる祈り子様ってヤツか。聖なる者なんて初めて見たな。って、先に言えよ。」
「馬鹿だね、ディノ。聖なる者が試練の時は、なるべく自身では身分を明かさないのが務めだよ。」
ラーラの目線に気付いてアーシェが赤くうつ向く。
聖なる者とは、魔法には出来ない保護や治癒などが出来る聖なる力と呼ばれる力を生まれながらに持ち、竜と聖王につかえるさだめの中を生きる者達の総称である。
聖なる者の階級に‘聖なる祈り子’という階級があり、更なる上位階級になるために、聖なる者は試練の旅を行わなければならない。
世界に散らばる竜の神殿のひとつで、祈りを捧げるための試練の旅をするのである。
「大体、そうだね。三万、って所かね。」
「さ、三万リタもすんの、こんなんが!?」
ディノは飛び上がった。アーシェもまた驚いている様子である。
三万リタといえば、庭つきの家が皇都にドカンとたてられる位の金である。皇都一般大衆の平均年収の実に五倍は下らない。
「…普通の試練じゃあこんな高価なの与えられないよ。アンタ、大変な事をしようとしているんだね。…その選択は、重くないかい?」
アーシェは柔らかく微笑むと、試練ですから、と言った。
物腰に隠れる、鋭いナイフのような決意に、ディノは頭がくらくらした。面倒な女を依頼主にしてしまったという、後悔で。
「でもどうしましょう。こんな大金を持って歩くのは…」
「この石を、いくつかの石と交換してやる。それを持ち歩くと良い。そうだね、ただの石ころに見える魔法もかけておこう。取り合えず旅の装備には百リタで十分だね?」
「ああ、多いくらいだよ。」
ラーラの提案にディノは素直に傾いた。
シェムバスを出、商店街で地図や食糧など旅に必要なものを購入すると、二人はヒルポポスという粘土を皮膚にしたような巨大な生き物がひく荷車に乗って、皇都の端へと向かった。
アーシェは何か思う所があるのか、じぃっと荷車の格子を流れ去る皇都の街並みを見つめていた。もうすぐ旅立つのだし無理も無いな、とディノは思った。
「なぁ、アーシェ。あんた一体どこに行くつもりなんだ?」
「とても遠い所だと思います。」
まるで行き先を知らないような言葉。
「?…あんさぁ試練って皇都神殿でも受けれるんじゃねぇの?」
「そうですね。それも試練の選択のひとつですけれど、私は皇都神殿を選びませんでしたから。」
「まさか、まだ試練を受ける神殿を決めてなくて取り合えず外へとか思ってるんじゃねぇよな。」
ディノの茶化すような台詞にアーシェは沈黙でかえす。
(マジで?)
ディノの背中を冷えた汗が落ちた。
「…知らない所に行くのです。気持の上では近いのかもしれませんね…」
「知らない神殿って、あぁ?どーいぅ、」
「あちらにあるそうです。」
アーシェが照れ臭そうに差し示したのは。
上。
…上?
……上!?
「嘘だろ!?」
アーシェの差し示す場所、それは誰もが知っていて誰もが知らないという、場所。
その名は古き都ルシファン。
創世記に登場する、天空の聖都。別名、
「…月に行く気なのか!?」