表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
47/47

第四十七話

 ディノの勢いにアーシェはびくんと起きると、目をパチクリ瞬いた。

「……おはよう、ディノ」

 ほんわりと微笑む笑顔は、とても喜びに溢れたものだ。決闘により意識を失っていた間、彼女はずっと心配していたのだろう。


 アーシェは水を、と呟くと、床に置いてあった水瓶からコップに水を掬いとり、ディノに手渡した。


 眠りすぎた手が、軋みながらもディノの口に水を運ぶ。


 ディノは水を一口含んで、ようやく喉が渇いていることに気付いた。コップの水を飲み干すと、今度は水瓶を持ち、それを豪快に喉に流し込む。

 口から溢れた水で毛布をびしゃびしゃにした頃、ようやく喉の乾きは収まった。


 ディノの様子に笑みをこぼしながら、アーシェが問掛ける。

「痛いところはありませんか」

「ん、ヘーキ。飲みすぎで苦しいくれぇだな」

 ディノはたぷたぷとうねる腹を叩いて明るい声を返した。声の反面、感情はほの暗いものだった。それは、落とされた視線が標している。

 濡れた水瓶の底に映る己の顔。幾度も目にした、変わらぬ眉ね、瞳、頬、唇。都を旅だった頃と何一つ変わりはない。

 けれど、


「アーシェ」

「なんですか?」

「俺も、行きたい」


 ディノの唐突な言葉に、アーシェは目を丸くさせた。驚きに象られた網膜には、対照的に、ディノの飄飄とした表情が転写される。

 待ち望んでいた言葉だったのでアーシェはすぐに答えた。

「ディノ、勿論ですよ、三人で旅を」

「違うんだ」


 弾くような言葉。意外な返しに、アーシェは真意が分からず眉間に皺をよせる。

「ディノ?」

「そういうことじゃ、ないんだ」

 呟き、顔をあげるディノ。その表情は緊張が抜けただけで、凪いたものではなかった。


 燃える双鉾は静かに燈を光らせる。どこか苦悩しているようにも思える。

 ディノの目は懇願を呈していた。そう、彼はすがっていた。


「アーシェ、俺はさ、」

 吐き捨てるような口火。だが、口調は穏やかに。

「なんだかよく分からないんだよな、いつも」

「え?」


「俺は、月に行くっていうアーシェの目標を、馬鹿馬鹿しいと思ってたんだ。叶うはず無い、死んでしまうのがオチだって。アーシェにもそんなこと言ったよな。」


「けど、それはさげずんでたわけじゃないんだ。たぶん、そうだな、……アーシェのことが羨ましかったんだ」

 口にして、頷く。

「うん、羨ましかった。俺は何かに、無謀なことなのに、挑戦するっていう気持ちをもてるアーシェが羨ましかったんだ」


 だって俺は、と呟いて、ディノは黙り込んだ。

 だが、意を決したように。


「ここではない何処かに行くんだって気持ちで里を出たんだ。なんか、なんだろう……里は俺の本当の居場所じゃない気がした。どこか足りないような、自分の力を出しきれない、そんな気がした。だから、やるんだってはりきって、出たんだ」


 なのに、


「やりたいことをやるんだ、楽しいことをしてやるんだって、そう思って出てきたのに。なのに俺は結局、おんなじだった。里と同じ。安全な場所にいて安全な仕事を選んで愚痴ばかりを溢して、だから当たり前に、足りなくて」


 だから、


「バカにしてたんだ。夢を語って夢に向かうやつらを、バカにして、自分の気持ちを押し潰してた。そんで、死んだら安心するんだ、俺は正しいって、俺は間違ってないんだって。……俺は心の底でずっと、アーシェの旅が失敗することを望んでたんだ」



 核心。


 熱意に感化されながらも、その熱に飛込むことが出来ず、そればかりか醜い嫉妬を抱え、それを隠すようにかりそめの善意で塗りたくった心。歪みきってしまった、羨望。

 自分を否定するのが恐ろしくて塞いでいた本心が、堰をきり溢れる。罪悪感を伴って、それはディノの首を僅かに絞める。


 ふと、ディノの耳元に、鈴のようなアーシェの呼び声が鳴った。声に促されるようにディノは続ける。

「それだけじゃない。俺は、ルキが言ったとおり、足手まといなんだ。ここに来るまで、何度もアーシェに助けられた。もし、一緒に旅へ出たら、きっと迷惑がかかる」

 震える声。気を緩めたら、涙が流れてしまいそうだ。

「俺は、足手まといなんだ」

 暗い心の奥底から、冷たい視線がディノを見つめている。その主を、ディノはしっている。


 過去の自分。先ほどまで自分だと思っていた、殻。寂しい音をたてながら、じっと見据える。戻ってこいと、脅えている。


 ディノはその殻を一蹴するように、強く言い放った。



「だけど俺、行きたいんだ」


 強く、強く。

「もう自分に、嘘は吐きたくないんだ。俺は弱いけど、俺は卑怯だけど、行きたいんだ」


 ディノはアーシェに体を向けると、そのまま頭を下げた。布団に頭がつくほど、深く下げた。

 そして、震える声色で、懇願した。



「俺をどうか、連れてって下さい」


 薄い涙と熱い喉でかすれた、ディノの訴えを、アーシェは無言のまま見つめる。

 暫くの沈黙。酷く静かな、部屋の空気。


 アーシェはひたすら沈黙を続けている。言葉でも失ってしまったかのように。仕方ない、見損なったと思われても仕方ないほどに、酷いことを言ってしまったのだから。


 絶望が、侮蔑するかのようにこみあげる。


「お願いだ……」

 今にも消え入りそうな声色。ディノは祈るようにきつく目を閉じている。この願いを、掴むために痛みを伴うほどに願う。

 そんなディノの肩に、ふいに温もりが染み込んだ。ディノは、恐る恐る顔をあげた。


 アーシェが、微笑んでいる。

「ねぇ、ディノ。私も、同じなの」

「え?」

 呟きに似たアーシェの言葉に、ディノは驚いて問掛けた。同じとは、どういうことか。


 アーシェは言葉を探しながら、ゆっくりとディノの手を握り締める。

「私も弱いの、私も、すごく怖いの、本当は、ずっと……」


 逃げて、しまいたかった。


 その言葉に、ディノは酷く困惑しながらアーシェを見つめた。鋼のような決意を持つアーシェの、意外な感情。


 いいや、確かにそこにはあった。光をたたえて揺れる瞳の奥底に。今まさに、ようやく、ディノは少しの脅えを感じとっていた。

「だけど、ディノに会って、頑張らなきゃいけないと思ったの。仕事でも、私のために色々なことを教えてくれて、剣を振ってくれた。だから不安でも、怖くても、前に進もうと思えた。引きかえしちゃいけないと思えた」


 いつから、すくみあがっていたのだろう。どうして、気付かなかったのだろう。


「私は、ディノがいたから、旅を続けることができた。そしてこれから、本当の意味で旅が始まる。けれど、私は止まらない。だけど、やっぱり怖いんだ」


 アーシェの決意は、けして強いものではない。けして、己だけの感情から生まれるものではなかったのだ。


「アーシェ……」


 二人は、傷付きやすい、痛いほどの思いを互いに抱き、ずっと隠していた。同じ、という言葉は、あまりにも正しい。一人は諦めで、一人は決意で、熱を隠していたにすぎなかったのだ。


「私は、自分の弱さを受けとめるために、そして旅を続けるために、ディノと一緒に行きたいの」


 最初から二人は、互いに反応しあい、変化していた。

 出会ったときから二人は、共に道を歩んでいたのだ。

 そう、ずっと。


「一緒に、旅をしませんか?」





 ハシェイブの最西に、失われた国境はある。“失われた”と添えられた理由は、そこが既に国境の意味を無くした場所であることをさす。


 東を見ると、竜を神と崇める国エアドラド。西を見ると、草ひとつない不毛な砂漠、灰の大地。

 かつて大きな国があった西の大地に、生きる人はいない。世界に穴を空けたようにぽっかりと、人が分布していない場所。


 灰の大地より西に行けば、人はいるだろう。東に行けば、人はいるだろう。南に行けば、人はいるだろう。そして北には海がある。灰の大地に、人はいない。


 それ故に、ハシェイブのこの場所は失われた国境と呼ばれていた。そして今、ディノたちは失われた国境に立っていた。


「ルキ様、気を付けて下さいね。くれぐれ無理は、なさらないように。我々はルキ様の帰りをずっと待ち続けますから」

 ルキの部下のひとりが、感極まってルキの手を握り締める。苦笑するルキ。

 とは言っても、気持ちが穏やかなのはルキだけだ。ルキを囲む騎士達はみな、目に涙を浮かべている。

 彼等はよほど、ルキの指導力に惚れているのだろう。あるいは信頼し、尊敬しているのだろう。

 それが自身にはもったいないように思え、ルキは照れるように答えた。

「あぁ、また共に剣を振ろう」


 熱く握手を交すと、ルキの手はほどかれた。ゆっくりと踵を返し、味わうように一歩を踏みしめる。後ろ髪をひかれるように、ゆっくりと。

 ――ルキが次に守るべき者達のところへと。


「女々しい部下がいると大変だなぁ」

 ディノは、待ちすぎて固くなった筋肉を伸ばすように立ち上がると、溜め息をついた。その動作に、ルキはニヤリと口を歪める。

「お前も、似たようなものだろう」

「はぁ!?」

「決闘は、駄目ですよ」

 すかさず、二人の間に飛込むアーシェ。焦りの中、不安そうに止めるアーシェに、ルキは微笑みながらかえした。

「決闘ではなくて、躾だ」

「はぁ!?」

「駄目ですってば!」

 オドオドとするアーシェ、早くも闘志を燃やすディノを交互にみると、ルキは面白そうに目を笑わせた。

「冗談だ。早く進まなければ、砂漠の真ん中で枯れることになるぞ」

 器用に話を折られたディノは「はい、はい」と適当に答えて、砂漠へと足を進める。

「ふふ、頑張りましょう!」


 三人は深く深く、前方に広がる世界を見据えた。

 上空には青い空が丸く浮かび、風化し割れた大地には砂が舞っている。境がぼやけ、空と池が霧のように溶けこむ。照り付ける日差しは、痛いくらい強い。

 ディノは背伸びをしながら、その情景の遥か向こうを仰ぐ。世界にぶつかるように、全身を伸ばしながら呟く。

「そんじゃ、」


 足を前へと、背後にある光に押し出されるように、前へと。


 願いを託されているのも自分で、背中を押されているのも自分だ。

 優しい暗闇から目覚めて、自分が自分の前をゆく。足を進める。

 今、ただ、ひたすらに。



「……行こう!」





  完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ