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第四十四話

 ディノは驚いて声をあげることが出来なかった。アーシェの提案に驚いたのではなく、自分の感情に驚いたのだ。

 嬉しさという、意外な感情に。


 繰り返されるありきたりな日々から逃れるように里という暖かい籠から出て、だけど彼に与えられたのは刺激的な生活ではなく、冷淡で残忍な現実だった。

 夢を見れば盲ろくし、自信をもって飛び出せば屍になる、世界の現実だった。


 勝手に死ねばいい。

 月に行くという無謀な考えを信じるアーシェに、最初そう思った。馬鹿だと心でさげずんだ。


 なのにどうして、喜んでいるのだろう。ドキドキと鼓動を高め、頬は紅潮し、唇は気を抜けばゆるんでしまいそうだ。

 それだけじゃない。

 むしろ自分は、この言葉を待っていたようが気がした。ずっとずっと、アーシェの言葉を待っていたような気がした。

 エドガーに着く前から、里に着く前から、街道を渡る前から…違う、そんなものではない。

 …もう、何年も前から。


「あ、アーシェ、俺…」


 掌が汗ばむ、体が硬直する。酷く頭が白く、世界でひとりにでもなってしまったように自分の体しか感じられない。ただ目の前に決断だけがあって、それが自分を見下ろしている。

 ディノは大きく息を吸う。呼吸の間、まるで仕方ないと誤魔化すように軽く決断へと踏み出すにはどうしたらいい、なんていうつまらない体裁が頭に浮かんだ。息をとめた。

 そして、ディノは、ゆっくりと口を開く。


「駄目だ」


 ズキン、とディノの全身を冷たい刃が走る。突然、凍てつく海に投げ出された感覚。

 中身の無い人形となって、ディノはソイツを見上げた。

「駄目だ、彼は連れていけない」

 ディノの返答をさえぎるように声を出したのはルキだった。ルキは平然とディノを見下ろす。青い瞳は氷のようにぞっとするイメージをもって、ディノの前をさえぎる。

「どうして、どうしてそんなことをいうの、ルキ?」

 アーシェが問いつめるようにルキの肩に手を置く。ルキは動じず、更に冷たく重い言葉を吐いた。

「足手まといだ」

 はっきりとルキは言い放った。きっぱりとした明瞭な断言の声は、三人だけでなく、周囲を囲むルキの配下たちにも聞こえたに違いない。


 失礼極まりないルキの態度に、アーシェが顔を高潮させてルキに向かう。

「ディノは足手まといにはなりません。ここに来るまでに、何度も私を助けてくれました。私はディノがいなければ・・・」

「本当にそうか?」

 ルキがアーシェに問いかける。

「聖園で優秀だった、魔法力にも長ける君が助けられた?本当に?」

 問い詰めるルキから逃げるように目線を下に流す。

「ええ・・・。助けられました」


 嘘だ。ゼルダ街道でも、里でも、最後に助けられたのは。

(俺のほうだ、アーシェ・・・)

 ディノは身震いした。


 ルキがアーシェをじっと見据える。数秒見た後、ルキは小さく冷笑を浮かべた。

「相変わらず嘘が苦手なようだな。俺と話すときは目を見ることだ」

 通用しない。アーシェは目を赤くさせて更に俯いた。その様子に悪びれることなく、ルキはため息をひとつつく。そしてアーシェの手をとると、外へ出るよう促した。ディノに背中を見せて。


「まったく、最低ランクの傭兵もどきに命を救われたなど、聖園の名折れだ」


 ディノは一瞬、耳を疑った。それはアーシェも同じことだったようだ。

 もう数年も会ってはいないとはいえ、ディノは兄弟だ。ルキの言葉は、あまりにもディノの気持ちを無視し、辱めている。

「ルキ!」

 アーシェがルキを叱責しようとその腕を掴もうとしたときだった。

「ふざけんな!」

 ディノが猛然とルキに掴み掛かった。

 だが瞬時にルキの身体が後退し、ディノはそのまま勢いよく床にぶつかる。

 辺りにかび臭い粉塵が巻き起こり、周囲が茶色に染まる。だが、荒々しい剣幕のディノはすぐに立ち上がると、床を蹴り上げた。

「やめて!」

 アーシェの悲鳴のような声。声はすぐに巻き上がった塵で遮られた。次の瞬間、定かではない視界の中、どすんと重たい音が響いた。

 ゆっくりと塵が風に流される。静けさと共に状況が理解を伴って朽ちた部屋を見下ろす。

 先ほどの音を立てたのはディノであった。そして、ルキの配下の者達だった。白い鎧で身を包んだ騎士たちが、青ざめた表情でディノの身体を床に押さえ込んでいる。騎士たちの手には剣があり、その刃先はディノの急所をいつでも突き刺せるように向けられていた。

「ディノを離して!」

 アーシェの訴えを無視し、刃は更にディノへと近づく。ルキの命令ひとつでディノは血まみれの死体と変わるのは必死だろう。

 それでもディノはルキを睨み付けた。拘束された自身の身体を怒りでぶるぶると震わせて。

 ・・・血のように赤いディノの瞳は興奮でめらめらと燃えて光る。それとは正反対に、ルキの表情は平静そのものだ。だが、二人が獣のように牙を向け合っていることは誰にも分かった。空気はふとした瞬間に爆発してしまいそうなくらいに緊張している。


「俺は、足手まといなんかじゃない・・・」

 ぎらぎらと殺意を放つ深紅の虹彩。しっとりと濡れるそれは、抱かれる感情に反して宝石のように美しい。

「お前に何が分かる・・・」

 声色にさえ憎悪が渦巻く。赤く染まった幼い頬を一滴が伝う。それが床に小さな染みを作るのを見届けてから、赤い獣を平然と見下ろしていた青い獣は踵を返した。


「ならば、証明してみせろ」


 背中が、離してやれ、と呟く。騎士たちはディノに警戒しながらも、従順にその刃の楔を離していく。

 刃の全てが鞘に収められたのを確認すると、ディノは身体をあげた。アーシェは見計らって膝をつくと、ディノについた埃を払う。だが、その手はすぐにとめられた。ディノが手首を掴んだのだ。


 立ちあがる、ディノ。

 これから始まることを予感して、アーシェはディノを見つめたまま首を左右に振った。それが見えていないかのように、ディノはおぼつかない足で歩き出す。

「せっかく出会えたのに、喧嘩しないで!」

 庭へと歩き出したディノの背中にアーシェが叫ぶ。アーシェの必死の制止だ。ディノは立ち止まり、だがこう返した。

「これは喧嘩じゃない…決闘だ!」

 ディノは走り出す。

 すぐにルキの背中に追いつくと、右肩からのびる柄をにぎり、剣を振り上げた。

 ディノの背と殆ど等しい剣が太陽の輝きを反射する。そして刃はルキの首筋めがけて振り下ろされた。


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