第四十三話
「背が伸びたな…」
「当たり前じゃない。何年ぶりかしら?」
「随分だ。」
本当に久しぶりなのだろう、二人の会話はどこかぎこちなく感じた。
だが、すぐにそのぎこちなさは消えた。分からない空気感と、昔の懐かしい面影が循環し、二人を和ませる。
「ディノ、だね」
予想だにしなかった人物の登場で悲しみも自責も吹っ飛び、ただただポケーっと口を開けていたディノに向けられた声。ディノは思わず、はい?、と聞き返した。
「相変わらず、人の話を聞いていないな」
呆れる様な、小馬鹿にする様な表情。
そうだ、こいつは。
「…ルキは意地が悪い。」
「驚いたな、俺を覚えているのか。」
「意地が悪かったってことは覚えてるぜ。」
「良い記憶力だ。」
ルキは笑うと、ディノの頭をぐしゃぐしゃと回した。
「何すんだよ!」
「俺は意地が悪いんだろう?」
そう言って静かにルキは笑った。笑うというか、ニヤリと口を曲げた。
―やっぱ意地が悪い!
「本題に入ろうか」
ルキはそう言うと、突然アーシェに礼をした。騎士独特の、伸びた背筋を腰から曲げる礼。
「ルキ?」
戸惑う、アーシェ。かまわず、ルキは続ける。儀礼的な態度で。
「聖なる祈り子、アーシェ・ジジ。私は王属専属騎士団金獅子団員、国家騎士第七隊隊長ルキ・ノエル。」
「あなたを連れ戻しに来ました。」
「え?」
ルキは礼から体勢を戻す。そして困惑しきったアーシェとディノを交互に見やると、
「久方ぶりだが、時間は無い。準備をしてくれないか」
「どうして?私は祈りのために旅をして…」
「祈りは、都でも出来る」
アーシェの言葉を遮るようにつむぐ。有無を言わせぬ、冷淡な瞳。
アーシェは突然の出来事に戸惑いながらも、毅然とした態度でかえす。
「聖園からの許しは下っています。これは私の試練です。ルキには、関係ありません。」
「家族を、危険な旅に出したくはないんだ。俺も、聖園からの許可はとっている。」
ルキの背に騎士が控えているのが見えた。しらずしらずの内に、彼の隊の騎士たちに家を囲まれているようだ。
ルキは、本気だ。
「ちょっと待てよ、俺の仕事はアーシェをハシェイブに連れていくことなんだぞ?」
ルキの突然な行動に、ディノが体を乗り出す。
「ディノ、君の契約はここで終了しよう。」
「なんだって?」
「契約を破棄した代償は俺が払う」
ルキは腰から下げていた革袋をディノに握らせた。
ずしりとした感触に、それが大量の金貨であることはすぐに分かった。キャンセル料としては、あまりに破格であろうことも。
「礼を言う。今まで、ありがとう。」
事務的な、言葉。
こんな契約破棄の仕方は初めてだった。
ディノはただただ唖然として、ルキを見上げる。ルキはディノとは視線をあわせず、再びアーシェに見直った。
「さぁ、帰ろう」
伸ばされた手。
アーシェは後じさる。
「聖園も、聖王も君をとめたいと思っているんだ。君の選んだ試練は、今だかつて誰も乗り越えた者はいない。君の選択は、若気の至り。」
「そんなこと、ないわ」
「君は殺されにいくようなものだ。旅はもう十分だろう?さぁ、帰るんだ。」
追うルキの手。
アーシェは後じさるのをやめると、前進した。
「私は、帰りません。」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「結構です」
強い意思を抱いた瞳が、ルキに真っ直ぐ注がれる。
「私は、この旅を続けます。ここまで来る途中、様々なことがありました。私は、この旅の意味をより深く心に刻みました。戻りません、私は進む。」
鉄のように硬く、鋼のように鋭い誓いは、都からの旅を越えて、より強固なものへと変わっていた。
アーシェの意思は、もう誰にもとめられないのだ。
共に旅をして、ディノはアーシェの気持がどんどん強くなっていく様を、見てきた。その姿勢が、安易な考えから産まれてきたものではないと、ディノは分かっている。
「アーシェに何を言っても、無駄だぞ」
「その…ようだな」
ルキは小さく呟くと、こうべを垂れた。
止めることが出来ずショックだろう、そう思いよく見ると、…ルキの口許は緩んでいた。
予想外の微笑。その原因は、すぐに判明した。
「思ったとおり、アーシェは相変わらず頑固者だな。まったく、残念だ…。」
ルキは最初から分かっていたのだ。アーシェが自分を拒むということを。自分を拒み、旅を続けると断言することを。
「ルキ、ごめんなさい…」
「いや…良いんだ、アーシェらしいよ。だから、俺が来たんだ」
ルキは笑って、アーシェの肩を叩いた。真意の分からない言動に、えっ、とアーシェは首をかしげる。
「俺も、行くよ」
アーシェは、ルキの言葉に目を丸くさせる。
「どういうこと、ですか?」
「そのままの意味だ。君が試練に出ると聖王に聞いた時、君の護衛を申し出たんだ。だから、許しをもらったと、言ったろう。」
許可とは、そういうことだったのか。心強い兄弟の申し出に震えるように呟く。
「ルキ、それは本当?」
「なんだ帰りたいのか?」
アーシェは喜びに真っ赤にさせた顔を左右に振った。
「ありがとう…」
ディノは頬を紅潮させるアーシェをじっと見つめた。
ルキがどれ程の実力を持つかは分からないが、かたい絆をもつ者が側にいて共に歩んでくれるということは、アーシェにとって有難く、なによりも嬉しい支えとなるに違いない。ディノにとってもそれは、喜ばしいことだった。
けれど。
嬉しさと同時に、ディノにはなんとも言えない冷めた感情が生まれ始めていた。真っ白な布に落ちゆく滴が染みをつくるように、ゆっくりと広がる重たい感情。
空虚だ。
何故か、空虚だった。
面倒な旅も終って、大金だって手に入れた。キャンセルされたとは言え、比較的大きな仕事を遂げたのだから、ランクだってあげてもらえるかもしれない。
なのに。
どうしてだか分からない。今までにない感覚だった。体にぽっかりと大きな穴でも空いてしまったんだろうか…。
ディノ、と呼ばれ顔をあげると、アーシェが心配そうに顔をのぞいている。
「…なんだよ、見んな…」
なぜだかアーシェと瞳をあわせることが憚られ、思わず顔をそらす。
「ディノ…」
「よかったな、騎士と同行してもらえて、」
「ねぇ、ディノ、聞いて」
アーシェの両手で、顔を真正面に動かされる。バチッと、目が合ってしまう。もう動かせなかった。
「…ディノと都で会えて、母さんが元気って分かって、いろんな人に会えて、ユズちゃんっていう、可愛い妹がいるって知って、」
「ルナファラさんのことや…十六夜さんのこと、辛いこともあったけど、」
「楽しかった」
アーシェの言葉がゆっくりと耳に入るのが分かるのに、頭や気持はぐちゃぐちゃで、ひどく遠くから聞こえる。
もう旅はおしまいと、言われてるのは分かる。
「おじいちゃんのこととか、内緒にしてごめんね。そのくせ連れ回して、ごめん。…ありがとう」
言葉が雪のように積もって、どんどん体が冷えてゆく。思考がだんだん白を帯びてゆく。
声がひたすらに遠い…。
けれど。
その言葉だけ、はっきりと聞こえた。
「ディノも来ませんか?」
無音の世界に、ひとつの音がポロンと弾けたようだった。
ディノはハッと我に帰り、聞きなおす。
「なに?」
「契約を延長する形で…来てくれませんか?三人がここで会えたことが私には、なんだか必然だったような気がするんです。おかしなことを言うなって、ディノは思うかもしれないけれど。」
「一緒に、旅をしませんか」