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第四十二話

 アーシェはディノの視線から逃げるように後頭部を見せると、そのまま黙ってうつ向いてしまった。

 アーシェは、沈黙したまま歩き続ける。

「どこ、いくんだよ…」

 ディノの質問にも答えず、たんたんと進む。いつの間にか街から街外れの山へと、その足は向かっていた。

「墓に、いくのか?」

 道の左右に、人の背丈ほどの白い竜の像がならべられている。この像の意味くらい、ディノは分かっていた。



 これは、死者の道。

 共同墓地へと続く道だ。




 共同墓地はとても広く、大きかった。

 中央に佇む竜の像を見上げると、真っ青な空の背景だけが横たわっている。


 太陽に照らされ、きらきらと光っているが、苔むし、皹が入っていることからかなり古いものだろう。

 墓地とあの街の規模にしては小さいといえる像。きっと、街が変化するずっと以前からあり、あの街に流れる時を見下ろしてたにちがいない。


 アーシェは、下を見ながら歩き出した。

 名前を探しているのだ。共同墓地のある一点には、埋葬された死者の名が刻まれている。




    ガアプ



    オルセ






    キリア




「キリア!?なんで母さんの名前がここにあるんだ…!」

 ディノは驚嘆した。

 キリアは生きている。風馬の里で、今も生きていると言うのに、なぜ名前が掘られているのか。


「ここであの日、三人は死霊に殺されたことになっているんです。」

「なんでっ、なんでなんだ!」


「…竜の血飲み子の存在を知ってしまったから、…神竜の死を知って、しまったから。」




 …竜。

 話には聞いていたが、冗談のような気がしていた。信じてはいなかった。それよりも。




「神、竜…」

 呟いて、自分がより混乱するのを感じた。ディノはそう、他人事のように感じていたから。

 おとぎ話だ、妄想だ。



 ちがうのか?



 人の死を偽造するなんて、ふつうのことではない。ふつうの人間には出来ない。


 まさか、国が?

 なんのため?



 …嘘、だろう?




 アーシェが再び歩き出した。ディノはフラフラとした足で、その後についてゆく。




 街を下りて、横断する。アーシェは、まるで住みなれた街のように歩く。道の流れは昔と一緒なのだろう。その足取りに迷いはない。

 人混みを抜けて、再び山を登り始める。

 長時間の歩みなのに、不思議と汗が流れない。頭が真っ白だからだろうか。歩みもなんだか空気をかいているように感じた。いまいち感覚の掴めない歩行だったが、どうやら目的地につけたらしい。


 そこは、民家だった。

 石がくちて、所々くずれている。

 作った者が専門の知識を何ひとつもたず建てたのだろうか、それとも雨嵐が激しく打ち付けたのだろうか。

 はたまた、近代的なデザインではあるが実は何百年も前にたてられたものなのだろうか。

 …まるで、魔物にでも襲われたように荒れている。


「ここに私たち、住んでたのですよ、ディノ。」

 漸く開かれたアーシェの唇。

「家?ここが?随分とボロボロなんだな」

 外にいるのに、居間の全容が分かるのは、大きくそげおちた壁のためであった。

 壁と共に崩れたのか玄関が見当たらない。ディノは遠慮がちに穴から家の中へと足を踏み入れる。


 生い茂る草に食われた家具が、この家に人が住んでいたことを肯定する。床がギシギシと腐った音をたて、カビの臭いがディノの鼻孔にふわりと入り込む。

「ここに、住んでた?」

 家の中を歩く。傾いた壁、屋根に開いた穴から落ちる光、乱雑に詰まれたガラクタ。

 そのひとつを、ディノは手にした。苔の生えた木彫りの熊。

「ここに…」

 ディノ、と呼び止められ振り替えると、そこにはアーシェの柔らかな瞳があった。


 アーシェ、俺やっぱ覚えてない…そう、言おうとした時だった。


 ふと、不思議な感覚が、心臓を押した。

 なんとも言えない奇妙な感覚が心臓から肺へとわたり、身体中の血管をめぐる。冷たさと温かさを混ぜあわせた、まるで春のような心地よさがディノの皮膚をなでさすった。

 それが既視感だと知るのに、時間はかからなかった。


「あの日、俺は部屋からでた」

「ディノ?」

「だって、二人はずっと窓の外をみてて、俺、」

 だから、

「廊下を、かあさんに抱かれながら移動した」

 心配そうに見守るアーシェを無視して、ディノは歩いた。

「居間で、酒飲んでた」

 居間には、ボロボロにくちた椅子と机、そして埃のかぶった酒瓶が転がり落ちていた。

 それに目を落としながら

「酒くさいから、俺は母さんの方が大好きだった。母さんは酒が飲めないひとだった、だから、」


 あの日も顔をそむけて、


「ディノ」

「それが最後なんてしらなかった、わかんねーよ、だって酒くさくって、いつもどーりで、あの頃は誰かが急にいなくなるなんて分かんなかった」

「思いだしたの?」


「友達に、会いにいくんだって、母さんは言ったんだ。だからみんなすぐに来ると思ったのに、だれも来なかった、さびしくて泣いても、誰もこなかった」

「ディノ?思い出したのね?」


「しらなかったんだ!」


 ディノの一喝に、アーシェは体をびくりとさせた。かまわず、ディノはアーシェの肩を掴んだ。


「あの人たち、どうなった?」

「え?」

「父さんと、じいちゃんはどうなったんだって言ってんだよ!!」



 硬直。

 予想に反した反応だったのか、アーシェはそのまま、困ったように顔を螺子曲げた。


「なんなんだよ、あの墓。アーシェ、アンタは何を内緒にしてるんだよ、一体なにをしたいんだよ!」


 ディノの罵倒に、アーシェは思わず視線を落とす。

 …怒り狂うディノに萎縮しているのではない、彼女があることを言うのに戸惑っていることは、歴然だった。


 アーシェは何故か、震えている…。


「アー、」

 突然なアーシェの異変に、ディノが彼女の名をよぼうとしたときだった。

「父さんは」

 アーシェの声が、ディノを遮る。


「父さんが旅に出たのは、本当なの。」

 かすれがかった、耳をそばだてないと聞こえない、そんな声。

 ディノは黙って彼女の言葉を待つ。ゆっくりと、だが確実に、アーシェは続けた。


「父さんは、私たちの秘密を守るために、都から姿を消したの。それは聖王と父さんの決断で、、知ったのも父さんがいなくなってからだったの。私たちは、ただの身よりのない子どもとして、聖園に受け入れられた。」


「じゃあ、あの墓は偽物なんだな?二人は、生きてるんだな?」

 ディノの質問に、アーシェは首を振った。…左右に。




「違うの、それは違うの」

「なにが?」

 アーシェは涙を目に浮かべ、そのまま手で顔をおおった。

 そして、

「おじ、おじいちゃんは、わた、わたしたちを…」




…かばって、死んだの。




 どういう、ことだよ。



「母さんに、嘘をついたのか?」

 アーシェは黙っている。

「なんで嘘なんかついたんだよ。」

 アーシェは尚も黙っている。ついにディノは声を荒げた。

「なんでそんなつまんねー嘘なんかつくんだよ!」


「だって!!」


 アーシェの顔が、ディノの眼前にある。

 アーシェは、泣いていた。

 目に涙をためて、でも必死にこらえて、だけれど涙は流れて。

 流れて。



「そんな悲しいこと、言えるわけないじゃない…!」




 …ああ。


 その時、ディノはようやく思い出した。



―そうだ、この人は―


 馬鹿みたいに優しくて、

 馬鹿みたいに強がって、

 馬鹿みたいに他人を思い遣って、



…―こういう、人だった。



 懐かしい感覚が、ディノの頬を熱くさせる。目に、喉に、耳の下に、不思議な痺れが走る。

 ディノはようやく、思い出した。

「ごめん、アーシェ」



 俺は成長していない。

 あの頃のように、この人を簡単に困らせる、迷惑かけて、怒らせ、泣かせて。


 変なやつらに飴でつられて、

 肉食マギフロッグの池に自ら飛込んで、

 トイレに連れてけってせがんで、


 その背中に馬鹿みたいについてって、


 そのくせ、世界は自分が主体だったんだ。怪獣の、まんま…。


「ごめん、アーシェ」

 アーシェが首を左右に振る。

「いえ、いわなかった私が悪いのです。言葉にすることに恐怖した、私が。」


 違う。

 母さんはあの時アーシェの嘘に気付いていたはずだ。だから何も言わず、抱き締めたんだ。

 ディノは…自分の愚かさに立ち尽くした。 俺は、馬鹿だ。


「アーシェ。」

 ディノに呼ばれて、アーシェは顔をあげた。おかしなことに、アーシェの顔は困惑色に染まっていた。


「え?」


 それは、ディノも同じだった。

 沈黙の中、声を出したのはディノ。

 だが、ディノの呼び掛けと全く同時に、違う声が響いたのだ。


 アーシェの名を知り、親しく呼ぶもう一人の人間の声が。


「久しぶりだな。」


 騎士。

 一人の若い騎士が、いつの間にか部屋に佇んでいた。

 深い青の制服に、黒っぽい紅のマントを着込み、胸に公章が輝く。宝石と金であしらわれたその公章は、獅子を象っている。

 肌が白く、整ったその顔には、服と同じように青い瞳。黒髪の間でその瞳は、冷めた眼光を放っている。


 アーシェには、それが何者なのか一瞬で分かった。都で一年共に過ごしたのち、離れてしまった兄弟。もう何年も会っていない、容姿もすっかり大人びた、…だが変わらない雰囲気、面影。


「ルキ。」

 アーシェは彼の名を呼んだ。



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