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第三十五話

「いざ、よいーー?」


 ユズは思わず呟いた。まったく想像していなかった人物が突然あらわれたための驚きが、彼女の顔を疑問に歪めている。それは、他のものも同様だった。

 ただひとりを除いて。


「十六夜、ようやく出会えましたね。」


 ルナファラが、青年へと、十六夜へと足を進める。

「…頭が霞む、体が邪気そのものになってしまったようだ。」


 青年は顔をあげた。その唇は笑みを象っていた。だというのに、瞳の色は黄色く淀んでいて、死人を髣髴させる。違う、本当に死人なのだ。彼が十六夜ならば、千年の時を肉体が耐えられるわけ無い。寿命というものは、とうに途切れているはずだ。


 彼は、亡霊なのだ。


「ええ、あなたは邪気。邪悪に捻じ曲がった人間の心。」

 ルナファラは真剣そのものの顔をしているが、声は高揚しているように思える。十六夜とは、親しい人物なのか。

「…かつて、風馬は隠密業をしていた。国王の下で、様々な隠密業を。…主に、暗殺を。」

 ユズの誰に言うでもない、自分への呟き。

「ルナファラと、十六夜はおんなじ時代に生きてた。ふたりは、知り合いだったの?」


「あなたがたには、伝えるべきでしょう。」


 ルナファラが振り返る。


「もう、千年も前のこと。人種間の・・・ヒュームと他種族の関係が嵐の後の川のように結合し、穏やかな流れへと変化した今なら言えること。」

 少女の容貌、細く儚い霊体、今にも消え入りそうな存在。だが、その姿は、鷹揚として三人を見つめていた。


「…歴史には、あってはならないことがあった…。」


「獣魔人への、残虐な行為のことか?」

 ディノの問いかけに、ルナファラはゆっくりとかぶりを振る。


「そうではない、そうではないのです。国王の、獣魔人への行いは、過去の歴史が手繰りだした必然だった。家畜として獣魔人を扱ってきた人間の愚かな行為、そして家畜としての運命を受動的に受け入れてきた獣魔人の非力と悲しみが生み出した、歴史の流れの、あれは頂きだった。」


「頂き?」


「彼が、ヒルド現れたのは、歴史の必然でした。革命という火種は既に出来ていた。何百年もの獣魔人の憤りは、ヒルドを生み出し、ヒルドは火の粉として燃え上がる必要があったのです。」


 ルナファラが目を閉じる。その瞼には千年の時間が流れているのだろうか。

「ヒルドは、突然あらわれたヒューム。自らを竜の血飲み子と語り、東の地からやってきました。人間は神ではない、竜こそが神なのだと言い、人々を諭しながら…やがて、多数の、獣魔人の人々を従えて。ですが、彼の反乱の火は簡単に崩されたのです。」


 アーシェが唇を押さえた。

「そんなことは、伝承にはありません。」

「ええ、そうでしょう。彼は歴史において、失敗をしておりません。何故なら、彼の失敗を知る者は、全員殺されたのだから。」


 ルナファラは、たんたんと続ける。

「国王の城の前で、ヒルドが連れた人々は全員殺されました。堀へと…当時、湖を作ろうと城の周りを奴隷達が開拓していました。その奈落のような深い堀へと、突き落とされたのです。…だが、偶然にもヒルドは生き残りました。ヒルドだけが。」


「…どうして、ヒルドだけが生き残ったんだ?」



「簡単なことです。」


 ルナファラが、ディノをじっと見つめる。彼女の視線は、ディノの深紅の瞳に注がれていた。ヒルドと同じ、竜の乳飲み子の瞳に。彼女はディノが竜の乳飲み子だとは知らないはずだ、なのに、その表情は懐かしい人にあうようなものに、どこか似ている。


「私が、ヒルドを生かしたのです。十六夜に命じて。」


 三人は息を飲み込んだ。

 信じられなかった。どうして、王国を滅ぼそうとやってきた男を、王国の実の王女が生かそうというのか。

「どうして、どうしてそんなことを…?」

 アーシェのか細い問いかけ、返答は至極あっさりしたものだった。


「私は…私を殺そうと思いました。私は、死にたかったのですよ。」


 それは、衝撃だった。思わずディノは声を張り上げた。

「アンタ、自分が…自殺したかったから、革命を起こしたっていうのか!!」


 ルナファラはその時、初めて微笑んだ。可憐な、純真無垢な微笑だった。


「王国の血は、近親結婚が多かった。このことにより、呪われた残酷な血は濃厚だったのかもしれませんね。王国の一番の呪いは、私のような女が生まれたことでしょう。私は死にたかった。この、高貴だと呼ばれながらも、最も狂った血を破壊したかった…。」


 ルナファラの瞳は冷静だ。


「力が、ありました。私には、不思議な力があった。傷を癒す力です。…けれど、私は誰も救えはしない。この呪怨に塗れた肉体は、誰も救えはしない。そればかりか、私の周囲では血と涙がとめどなく流れました。暴力、虐殺、…妊婦が生きながら腹を裂かれて胎児を見せられる…そんな父上の“お戯れ”も何度も見ました。…傷を癒す力を持ちながら、誰の傷も癒せない。」


 深い、深い憤りと悲しみ。−−−だが、彼女は陶酔しているようにも見えた。


「私は、なんの為に、この世に遣わされたのか。私は、なんの為に生きているのか。」


 歴史の隠された事実は、三人を無言の人形に変えていた。何かを問おうとしても、何も言えなかった。口から出ようとする、どうして、何故、それらの疑問が、彼女の前で意味をなさないことを三人は無意識に感じ取っていたのだろう。


「…最初にお話したように、革命の火種は既に出来上がっていたのです。ヒルドという炎を生かすだけ、後はそれだけだったのです。死ぬ準備は、とうに出来ていたのです。」


「じゃあ、アルタナ湖が出来たとき、…堀に水が流されて、何万人の人が溺れ死んだとき、洪水からヒルドが偶然いきのこったのも、あなたがやったことなのですか?」

「ええ、そうです。聖なる女性。正確には、十六夜が術を使いヒルドを生かしたのです。そして、十六夜は嘘をヒルドに伝えました。」


ー―−王国を怨んでいる。人が殺されるのはもう耐えられない。革命の手伝いをしてやる。−−−


 それは。

 それは、ルナファラの気持ちだ。


 十六夜は下僕として、ルナファラの気持ちを伝えたのか。

「ヒルドの革命は成功しました。十六夜の助言を聞き、西の盗賊“金の獅子”を剣に、南の魔性“サーカス”を杖に、北のイリバスト城砦を占領し、北の軍師“木馬”を救出することで、革命の火は国中に飛び火しました。城は崩れ、父上と母上、そして血族の多くが処刑されました。…私は、十六夜の提案により、アベドルト平原の魂を鎮める生贄として処刑されることになりました。」


 ルナファラの十六夜を使った“自殺する”計画は、こうして成功したのだ。


 すべてはルナファラの計算の通り、彼女は死に、王国は崩壊し、新しい姿へと蘇った。残虐で不平等で理不尽な国家から、理性的で平等で平和な国家へと。

 そしてその、ルナファラの理想は、千年もの間も続いている。小さな内乱もいくつかあったが、それは世界的にみて稀なほど“豊かで幸福な”国の姿であろう。


「どうして、生贄になったの。」

 ユズが疑問の声をあげた。全ての常識を覆されて、彼女は打ち震えていた。今にも涙を流してくず折れてしまいそうな彼女に、ルナファラが言う。

「わたしは、償いをしたかったのです。そして、」


−−−人を、救いたかった−−−



 なんて清らかで、なんて醜い欲望だろう。


 慈悲の心を持ち、癒しの存在となるために、彼女は欲望を肥大化させ、見事に永遠に等しい形へと成したのだ。だが、それは。


『・・・助けて。』


 ディノは、再び十六夜を見つめた。

 十六夜の蒼白の唇が、小さく動いている。ぼそぼそと、うめき声にも似た声が、雫のように滴る。

 だが、それは十六夜のー青年のー声ではなかった。幼い、本当に幼い、性別さえ分からぬほどの声。


『・・・たす、苦しい苦しい・・・いたいよう、いたいーいたいー・・・』

「どうして、」


「どうして、俺達を呼んだ。どうして、封印が崩壊してる?」


 十六夜が頭を押さえ込む。ディノはそれでも、続けた。


「どうして、風馬の初代の長がここにいる?」

 十六夜が頭を抑えながら蹲る。苦痛が、彼を襲っているようだ。


「彼は柱です。私が怨念を寄せる贄で、彼は怨念をひとつに纏めるための柱なのです。そして、封印がなんらかの原因で弱まり、柱はバランスを崩しました。邪念に、取り込まれてしまった。だが、私はバランスが壊れ、無闇に膨張しはじめた怨念を浄化する力がないのです。」


 しばしの沈黙。

 あの猪突猛進なディノでさえ、なにか考え込んでいる。


「…そうか…分かった!」

 沈黙を切り裂くように、ディノは考え込んでいた表情を取り払った。


「そんで、俺達を呼んだってわけだな?ってか、なんだかハズレくじでも引いたみたいな感じだけど。」

 ディノは適当に伸びをすると、剣を再び握り締めた。


「協力、してやるよ。」


「ディノ!?」

 ユズが声をあげた。ディノはユズの方を向かずに、背中だけで答える。

「風馬の成人の儀式は、封印を整えるもの。だけど、封印が壊れてるんじゃ、成人の儀式は出来ないだろ。…可愛い妹のためだ、協力してやろーじゃん!」


「ディノ・・・。」

 ユズは、ディノの言葉に思わず赤面した。なんだか、気恥ずかしかった。

 久しぶりに帰ってきた放蕩兄貴がこんなことを言うとは、想像していなかったのだ。恥ずかしい、そして何より嬉しかった。


 確かに、このままでは風馬の顔に泥が塗られるだけでなく、周囲に怨念が撒き散らされる恐れがある。だから、協力する以外に道はない。それにしても、やはりというか・・・ユズを見捨てない情の深さに少し胸が熱くなる。

 里では喧嘩ばかりだった。知能の低い喧嘩ばかりしていた。でも、それでも、兄弟という絆は深いものだったのだ。


 まだ、ルナファラに不信感を持っていたユズであったが、それでも気持ちは爽やかなものへと変化していた。


 が。

 しかし。


「ちょっとまって。」

 突然、疑うような表情になる、ユズ。


「なんだよ、ユズ。」

「あんさぁ、わたしの前に成人の儀式をしたやつって、ディノだけだよね?」


「・・・・。」

 笑顔で停止するディノ。


「ディノ、もしかして羽化の踊り…間違えまくったんじゃない?」

「・・・・。」


「だから、封印が、」

「だあああああーーー!!!」

 ディノは、ユズの詰問を遮るように突然さけんだ。


「やる気出てきた!やる気出てきた!俺なにすればいーの!?」

「は、話をごまかすなぁぁ〜〜!」


「えぇと、」

 見かねたルナファラは、ひとつ咳払いをすると、三人を見渡した。


「聖なる女性に力を与えられましたよね?」

「ああ、これのことだろ?」

 ディノは、仄かに輝く大剣を掲げあげた。銀色の鋭い輝きに添うように、聖なる光の瞬きがある。強い力を感じた。

「それで、」


「十六夜を食い止めてください。」


「へ?」


 ディノのすっとんきょうな声とほぼ同時だった。


 十六夜が突然、顔をあげたかと思うと、ディノへ接近。怖気はしる殺意を感じて、ディノは剣を振り下ろした。


 ガキイイイン!!


 剣と剣がぶつかり合う音。十六夜の腕には、細身の刀が握り締められていた。

 目に、覇気が無い。だというのに、殺意だけ皮膚から、髪の毛から、溢れてくる。大勢の人間に囲まれて、処刑を待つ人間とは、こんな気持ちなのだろうか。無数の視線を感じる。これは間違いなく、怨念たちのもの。


 ディノはいったん、間合いを取るべく後ろへと飛んだ。十六夜も同じく。等しい間合いが生まれる。


「あんたの中に、いったい何人の人間がいるんだろうな・・・」

 十六夜が、無表情でディノを見つめている。さきほど垣間見えた彼の心は、怨念たちに奪われてしまったのだろう。


 殺意だけが、部屋を満たす。


「まあいい、かかってこいよ!!」

 ディノは、十六夜めがけて走り出した。


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