第三十四話
ディノは、一気に走り出した。そのまま素早く、ルナファラの後方へと回る。
「おい、どうすればいい?」
「あなたがたは・・・。」
ルナファラが嬉しそうに微笑む。
その横を、禍禍しい触手が弾いた。ディノは後退すると、それを切り裂いた。だが、触手は瞬時に親元へと帰ってしまう。まったく攻撃をうけていない。
アーシェはディノの後方にたつと、光の矢を放った。
だが、敵はひらりとそれをかわす。狙いを定めてからでないと打てないことが悟られたために、的中率はぐんと下がってしまったようだ。
「ディノ、怨霊は体を持ちません。ですから、剣といった刃物や打撃を与える武器は一切効きません。ですが、聖なる力を使えば、なんとか彼らに攻撃を与えることができます。彼らは複数の魂が混ざり合ったものです。聖なる力で魂を浄化していけば、彼らの力は必然的に弱まります。」
「おいおい、俺の出番は無いってか!?」
頭を抱えるディノに、アーシェが問い掛ける。
「そのような意味ではないです。・・・その剣には、銀が含まれていますか?」
「ああ、純銀製だよ。」
その返答に、アーシェは足をとめた。まじまじと剣を見つめる。
アーシェの顔に、仄かに笑みが表れた気がした。
「分かりました。それに聖なる力を注ぎます。」
「なっ、武器に魔法を注ぐなんて、火に油いれるもんだ、破裂するだろうが!」
ディノはアーシェに声をあげた。
物質に魔法を故意に流してはならない―――それは常識だ。
物質は独自の魔法の流れを持っている。その流れに沿わないものを流すと、物質は魔法と魔法がぶつかり合い、摩擦し、膨大な熱量を出す。それは武器の粉砕を招くだけでなく、所持している者の危険を意味する。
「俺に死ねっていうのか?」
「大丈夫です。聖なる力は、魔法とは似て非なるもの。魔法とは異なり、全てに和合します。―――剣を。」
「・・・分かったよ。だけど、その前に…」
ディノはアーシェの肩を掴んで引っ張った。アーシェの背後を、触手がさっとかすめる。
「力を注ぐ時間とやらをあいつらがくれるかが問題だな。」
ディノが苦虫を噛む表情で呟くと、上空から応答の声があった。
「時間が欲しいのですね。」
ディノの前に立っていたルナファラが、大地を蹴り上げ飛翔する。
ルナファラを殺そうと、怨念たちはルナファラへと容赦なく触手をはなつ。
それを、素早い動きで旋回して攻撃をかわしてゆく。
だが、先ほどより若干、動きは鈍く感じられた。
「急いでください。私が対応できなくなるのも、…時間の問題です。」
ルナファラの一声で、アーシェは再びディノと向き合った。
阿吽の呼吸で、ディノも剣をかざす。
銀独特の、白っぽい輝き。
ディノの背丈ほどの剣は、剣としては異常に長く、大きいものだ。シンプルなデザインで、大胆に加工されたそれは、ラムシェムでも群を抜く切れ味だ。
「母さんからもらった剣なんだよ。大事にしろって言われてるやつなんだからな、慎重に頼むぞ?」
「分かっています。」
ディノの剣に手を触れると、アーシェはゆっくりと息を吸い込んだ。深く、深く。そして更にゆっくりと、肺から空気を吐き出してゆく。
やがてアーシェの手のひらから、じんわりと光が溢れ出した。そのまま光は、まるで溶けてゆくように剣へとのびると、螺旋を描いて刃に巻きついてゆく。
それを見やると、アーシェは手を下ろし、剣を撫でた。
「これで、怨念を裂くことができます。」
ディノはまじまじと剣を見つめた。
剣の周りを取り囲むように光が瞬いている。剣が発光しているようにも思えて、ディノも触れてみる。だが、熱も何も感じない。
「本当か?」
「ええ。ただし、怨念を裂くたびに浄化のため力は失われていきます。」
「何回も切れば、あいつらは昇天してくれるんだよな?」
「…分かりません。彼らの怨念がどれほどのものなのか、私には検討もつかないのです。」
「じゃ、じゃあ・・・!」
「時間はありません。とにかく、魂の浄化を施します。ディノ、出来る限り時間をかせいでください。」
「―――分かった。了解だ!」
ディノは剣を握りなおすと、電光石火の速さで走り出した。空中を逃げ回るルナファラになんとか追いつく。
「そんな大人数でガキ一匹追い回すなんて、おまえら本当に趣味悪いな!」
ディノが強烈な風となって怨念の塊に走り寄る。
そしてそれと同時に剣を横にのばした。寸前のところで無数の首のひとつがディノの動きを目視、怨念は二分、回避。
<邪魔、邪魔をするなぁ!!>
急激なターン。怨念が一気にディノへと標準を変える。
「そうこなくっちゃな!」
ディノは怨念たちの突進を垂直に飛んでかわすと、剣を振り下ろした。剣先は、防御の隙間さえ与えず、敵のど真ん中にぶちあたる。
<ううう!!>
怨念たちのうめき、悲鳴。
流血のかわりに、黒い霧が噴出する。まるで、古びた物質のように脆い感触。魂だけの存在であるために、するりと刃は通る。そのまま後退。
怨念の反撃。無数の触手がディノへとはじき出される、が、ディノを捕らえることはできない。
「なんだ、こんなものか、千年の呪いなんてものは!」
ディノの追撃。いともたやすく、怨念に命中し、霧が吹き荒れる!
戦いの高揚。不確かな敵であったが、攻撃があたるとなっては、さほど恐怖はない。形勢は逆転したようだった。
ディノの更なる攻撃。大地を蹴り上げ、接近。剣を強く握り締めーーー!
「気を抜いてはいけない!」
ルナファラの叫び。それと、ほぼ同時であった。
瞬間、ディノの動きが停止した。
いや、停止したのではない。動けないのだ。
ディノが振り下ろした剣は、確かに怨念を真正面に打ち据えていた。剣は半分まで深く突き刺さり、あたりには黒がぶちまけられていた、だが。
「なっ・・・!」
ディノは息をのんだ。
剣を抜くことができない。刃をすすめることさえ、かなわない。力を込めても、それは同じだった。まるで、岩にでも突き刺してしまったかのようだ。剣は、びくともしない。
次第に大きくなる焦り。その焦りと共に肥大化する、黒煙の向こうの殺意。殺意は、一気に膨張した。
ディノは即座に剣から手を離した。だが、敵の動きが速すぎた。ディノの腹部に走る激痛。見ると、自身の剣柄が貫いている。次の瞬間、ディノは弾き飛ばされるように壁に背中を打ち付けた。膝から、落下。
「ディノ!!」
アーシェはディノへと走り寄ると、その肩を抱いた。ディノは荒く咳き込むと、
「一体、なにが起こった?」
黒煙の向こうから、怖気たつような声が聞こえる。無数の、殺意の声。無闇に命を奪われ、永遠のような時を悪夢と共に過ごした魂たちの声。
その声が、ゆっくりと収束してゆく。糸が編みこまれ、縄になってゆくように。そうして現れた声は、若々しい男のものであった。
「ルナファラ…。」
男の、つぶやき。晴れてゆく黒い霧の中から、やがてひとつの生首が見えた。否、それは生首では無かった。それは、首も体も正常にある、ひとりの男だった。
「ルナファラ・・・。」
男は、黒い服で首までを包んでいた。
そのために、まるで生首が浮かんでいるように見えたのだろう。手足まで、漆黒の衣装。
黒ではないものといったら、短く切られた白髪と、やけに眩い金色の瞳、腰や太ももに下げられたクナイの銀色のみ。
肌の色は極端に白い。衣服の上でも分かる筋肉の隆起、だが、締まりよく無駄が無い。一目で、戦闘を糧に生きていたろうことが分かる。そして、彼は。
「ヒューム?」
一人のヒュームの唐突な登場に、ユズは思わず立ち上がった。正真正銘のヒュームだ。
何故。他の生首はどうなったのか。
それだけではない。もうひとつの衝撃が、ユズを、そしてルナファラ以外の二人を襲っていた。彼が纏う服、それは。
「十六夜。」
ルナファラが冷静な表情で、彼の名を呼んだ。
…風馬一族を作り出した、ひとりの男の名を。