第三十三話
「我が名はルナファラ。あなた方の殺意を受け入れる、同じ時代を生きたもの。第二十一代国王バルフレアを父に、第一王妃パンドラを母にもつ、エアドラドの名を引く最期の女。」
ディノは白い服を纏った少女の言葉に思わず耳を疑った。
怨念たちが人柱であるということは、彼らに取り込まれそうになった際に見た闇で知った。
だが、まさか魔女ルナファラが子供たちに聞かせる御伽噺のように、魔霊窟をさまよっているだなんて。
「あなたが、ルナファラだったのですか。」
動揺はまた、アーシェも同じであった。自分をこの場所へと案内したのは彼女であったからだ。
ルナファラだと思い込んでいた、この黒い者たちへと。
「導かれしもの、どうか私に力を・・・」
瞬間、ルナファラが消え、頭上に大きな穴があいた。
《おまえがルナファラ・・・貴女様が、殺した・・・》
生首たちが囁く。
《美しい首、気高き首、にくいにくいにくい・・・》
「私はここです。」
ルナファラの澄んだ声が響く。
声はディノたちの頭上、斜め上空にあった。衣がはためき、それに包まれたルナファラは、ディノたちを真っ直ぐに見詰めていた。
「聖なる力をもつものよ、そしてユズとディノといいましたね。どうか私に力を貸してください。どうか、どうか・・・。」
くず折れた階段を確認すると、ディノは問い掛けた。
「あんたが、アーシェを導いたってか。」
小さな、頷き。
アーシェもまた、それに続いた。
「入り口が崩れ、地下へ行く階段が途切れていました。怨念を感じ、戸惑っていたところに、彼女がいました。彼女の誘いがなければ、わたしは・・・」
「じゃあ、ワナだ。」
膝をまだガタガタと震わせながら、ユズが立ち上がる。その表情は疑心と憤懣にみちていた。
「そうやって、わたしたちを混乱させているんだ。あんなことをして、あんな時代をつくって、あんなものを築いて。そんなやつ信じられない。力を貸せ?冗談じゃない。そうやって体力を削るつもりなんだろ。アーシェもディノも、だまされちゃだめ。あいつは---魔女だ!」
ユズの目が濡れている。冷め切った色で、震えるその理由は、間違いなく怒りと戸惑いからくるものだ。
ルナファラの魂が形成する人間を模した霊体は、その顔を悲しみに歪めた。
「−−そうかもしれません。ですが、私は…。」
爆裂音。
音と同時に、ルナファラの体を青白い炎が包む。間一髪のところを回避すると、ルナファラは降り立った。
ルナファラの体は薄く透き通っていた。遠くからみれば、布が浮かんでいるとしか見えないかもしれない。
だが、その布は確かにルナファラの衣服であり、彼女の体を防護している。服だけ、霊体ではないのかもしれない。
降り立つことで、彼女が小柄な少女であるということがよくわかった。
彼女が真にルナファラなのならば、今の彼女の姿は、死の直前のものであろう。だとすれば、ルナファラは本当に若くして亡くなったのだろう・・・いや、鎮魂のための肉体として、殺されたのだろう。
その可憐な霊体は、怨念たちと堂々と対峙する。
《どうして、死んで下さらないのです?》
《なぜ、殺されないのだ?》
生首たちの目の色が、悲しみの色を湛える。表情が、歯がゆさで皺くちゃになる。
《どうして死なないの!ぼくたちを殺したくせに!!》
生首たちの顔が、怒りと悲観にくれる。様様な顔が、バラバラと表情を変える。まるで、負の感情が泡をたてて生まれていくようだ。
《ここは寒い――》
叫び、尽きることのない悪い夢が、
《ここは冷たい――》
現実を汚染してゆく。
《ここは苦しくて堪らない――!!》
生首たちの唇がぶつんと切れ、中から大小、無数の触手が飛ばされる。
ルナファラをそれを翻し避ける。彼女が触手を避けるたびに、床には底のしれない穴があいてゆく。
「だめ!ディノ!!」
ユズの声に、ディノは己の動きを止めた。ディノの右手は、剣の柄を握り締めていた。
「ディノ、あいつは酷いやつなんだ、魔女なんだ!みんなを騙そうとしてるんだ!」
「ユズ、よく考えろ!それなら、あいつはアーシェをここにつれてきたりしない!」
ユズはディノの服にしがみつく。
「ちがうっ、罠なんだ。あいつはみんなを騙して首を落とすんだっ。ディノもみたでしょう?!あの人たちは人間なのに、あの人たちはオモチャじゃないのに!!」
「落ち着くんだ、落ち着くんだ、ユズ!」
「罠なんだ、罠なんだ、罠なんだぁぁああ!!」
「ユズちゃんっ!」
パシン、と軽い音が響いた。
ユズの頬を、両手で押さえたアーシェが、そこにいた。
「アーシェ、どうして・・・?」
「ユズちゃん、大丈夫。大丈夫だよ、安心して?」
アーシェは、そのまま沈黙するユズの頭を抱きしめた。アーシェの胸元に下りる熱がある。温い涙が、アーシェの衣服に浸透し、拭われてゆく。
「あなたは、ここで待っていて。」
アーシェはもう一度ユズを力強く抱きしめると、ゆっくり立ち上がった。そして、杖を取り出すと、それを唇に当てる。
「・・・魔の流れよ。その偉大なる抱擁で彼の戦慄を妨げよ。聖なる壁よ、忘却の大地から降り立つ悲しみの夢から、どうか守りたまえ・・・。」
紫と黒の光が大地から噴出し、見る見るうちにユズの周囲に独特の陣を描いてゆく。それが、守護のための魔法陣と聖紋であることは、ユズにはすぐに分かった。
「あ、アーシェ?!」
「この陣から出なければ、大抵の魔力と念力から守られるわ。じっとしているのよ。」
「だめだよ、行かないで!」
離れようとするアーシェを、ユズの小さな手が掴む、懇願する。
その時、ユズの視界が僅かの影を持った。見上げると、それはディノだった。
「ディノからも言って、行っちゃだめだって、お願い!」
「ユズ…」
「お前、ちょっと黙ってろ。」
低音。
ディノの重たい言葉が、ユズの体に圧し掛かる。
予想もしていなかった兄の反応に、ユズは言葉を失いそうになったが、それでも小さく声をあげた。
「でも、・・・罠かもしれないんだよ。」
「そん時は、そん時…
―――ぶっ倒すだけだ!」