第三十話
ルナファラは、旧王国こと、ドラグノア王国の第二十一代国王を父に、第一王妃を母に、一人娘として産まれた。
国王には三人の妻がいたが、子どもはルナファラただ一人であった。
それ故に、ルナファラは、民に恐れられ、恐怖王とまで呼ばれていた王に、溺愛されて育ったという。
冷たく血の通っていないような政治を行う王さえも、愛を享受ほどに、ルナファラは可愛らしい姫君であった。
愛の恩恵を注がれていたルナファラであったが、彼女は生まれつき不思議な力を持っていた。それは誰もが見たことも聞いたこともない、魔法とも違う力だったという。
どのような力であったか、それは誰もしるよしがなかった。
…王のあまりの愛により、城の深く深くに隠され、愛しく愛しく育てられていたために…。
やがて、旧王国にも滅亡の日がやってくる。獣魔人革命の火が城を焼き付くし、国王一族を飲み込んだのだ。
…そして、ルナファラは…。
転げ落ちるように階段を下りる、が、最後の一段を踏む瞬間、ディノは飛翔を余儀なくされた。
土煙をあげて階段が破壊される。
「っく!」
反転し、壁を蹴り上げて破壊から逃げたディノを、土煙から飛び上がった何かが追いかける。触手、黒い触手だ。
ディノは触手を眼球に確認すると、剣をかまえ、そのまま触手に突きを叩き込んだ。
難なく触手が二つに寸断される。
だが、二分された触手は面積を増やし、再びディノを襲うべくその身を伸ばす。
すれすれでディノは大地に転がるように交わすと、二本の触手はひとつに混ざり、走り出したディノをさらに追う。
「しつこいな、なんだってんだ!!」
剣が効かない。剣技を得意とするディノとは、まさに最悪の相性だ。
以前、剣が効かないアメーバ系の魔物と戦ったことがあったが、その時は魔法使いのサポートがあった。こういった敵には、魔法が最適なのだ。
炎系の魔法で一気に焼き尽くす、風系の魔法で形骸さえ残さず吹き飛ばす、水流系の魔法で流し去る・・・魔法は敵の体全体にダメージを与えることが出来る。
そうすることによって、敵が肉体を保つのを防ぐのだ。
だが、今は魔法使いがいない。
魔法を使えるユズは捕らえられ、アーシェとははぐれてしまったのだから。
かけっこなんかするんじゃなかったと思っても、後悔先に立たず、もうすでに遅い。
「ああくそ、こういう奴はどうすんだっけ?!」
触手から全力で逃げながら、ディノは横目に本体をみやった。本体は悠然と触手を伸ばしている。まるで、ディノを玩ぶかのように。
「き、気にくわねぇ〜〜!」
本体は、もうひとつの触手でユズを抱えあげている。
ユズはじたばたと抵抗しているが、触手には通じておらず、人形のようにブラブラするだけだ。
「ああん、もう!こいつぅ、こいつぅ・・・っふぅ!」
触手の締め付ける力が強まったのか、ユズが苦しそうに顔を歪めた。
「ユズ!」
「うあああ!」
ユズの顔が一気に赤く染まる。時間は無い。ディノはしゃにむに本体へと走り出した。
大地を蹴り、剣を掲げ一気に振り下ろす。ぶつん、と鈍い音をたてて触手が切れる。
ディノはユズが床に落下するのを寸でで抱きかかえると、疾駆を再開する、だが。
「と、とれねえ!」
触手がユズに張り付いて取れない。それどころか、ぶよぶよと激しく動いてディノの動きを妨げる。背後には、触手が逃すまいと迫ってきているというのに、走る速度はどんどん下がってゆく。
「ちくしょうっ」
「ディノ、ディノっ」
「な、なんだよ!」
「水様性のアメーバみたいだから、これ、魔法が効くんだよね?!」
「ば、馬鹿やろ、いま魔法を使ってみろ、俺たちまでアブねえだろうがっ」
「違うよ、こう使うの!」
ユズが粘液の中で自身の服を必死にまさぐる。その手は、防寒用の魔法陣に触れる。
「火の魔法陣よ、その銀の鎖を打ち破り、縛られた力を解き放て−−−呪詛解放!!」
黒い防寒具に縫い付けられた銀の糸が、ブチブチと音をたてて切れる。それとともに、炎のような輝きが溢れた。
「あっつ、熱っ」
一気に熱を帯びた触手に、思わずディノは手を離した。ユズが床に投げ出されるとともに、べろりと触手が剥がれ落ちる。
「火遁の術!」
受身をとり床に着地すると、ユズは炎の印である人差し指を一本立てて、唇から炎を巻き起こした。
炎は容赦なく触手を包む。白い湯気と腐った水が蒸発したような匂いが拡散し、充満する。
煙が拡散し終わると、触手が転がっていた場所には黒い影のようなものだけが床を焦がしているのだけが視覚できた。
ユズの猛攻は止まらない。更に親指を立てて雷の印を作ると、迫りくる触手に向かって雷撃を放つ。
「雷遁の術!壱、弐、参!!」
雷撃が収束し、三つの魔法弾となって触手にぶちあたる。触手は次々と粉みじんにはじけ飛び、四散した。
「ふぁ・・・。」
「まいったか!」
印は風馬にだけ操れる簡易の魔法陣だ。
簡易の魔法陣だというのに、ユズの術は魔法として立派なものといえる。先ほどの、炎の呪詛を編んだ魔法防寒具の使い方といい、ユズには魔法の才があるようだ。
「俺、おまえを敵に回したくねぇな。」
「えへへっ。折角の防寒具おしゃかにしちゃった。」
「まあいいよ、あいつを倒せば体を温まんだろ。」
二人は立ち上がると本体をみやった。先ほど、暗雲の塊のように見えていたソレは、その黒が僅かに薄らいでいる。触手を失ったためであろうか。
「こいつは、いったい何なんだ?俺が試練を受けたときはこんな奴いなかったぞ。」
ディノの記憶にある儀式は、こんな変な化け物は登場しなかった。ただ落下して、ただ歩いて、ただ形を踊って、それだけで終わった。こんなものは、儀式には一片も無い。
「ディノ、こいつ、もしかして亡霊なんじゃない?その、封印されているっていう・・・もしかして、なんかよく分かんないけど、封印解けちゃったとか・・・」
「まさかお前、あれが魔女ルナファラの亡霊だってか?」
と、二人の会話に反応したのか、化け物が声を出した。
とはいっても、どこが口なのかはまったく分からない、声かどうかもはっきりとしないものだったが。眠る年寄りの声帯がぶるぶると小さく震えるような、声。
「・・・ルナ、ふ、る、ルナ、ふァ・・・」
暗黒の雲がどんどん薄らいでゆく。
「るな、ルナるううう、ナるな、ふぁら、るな、る・・・」
まるで言葉とともに色彩を失ってゆくように、それはやがて灰色になり、信じられないことに乳白色に染まってゆく。
「ルナファラって単語が気になるのか?」
ディノの呟きを正しいものだと暗示するかのように、化け物は『ルナファラ』という言葉をボロボロと吐き出してゆく。まるでそれは、嗚咽しているようにも聞こえた。
「あんた・・・」
「ディノ、近づいちゃ、」
ディノは制止するユズを無視して、化け物につま先を向ける。そしてゆっくりと、歩を進め始めた。
「あんた、ルナファラなのか?」
「ルナ、ルナばら、る、ル、るば、ルナ、ルナファラ・・・。」
「魔女、ルナファラの亡霊なのか?」
ディノの声が届いていないのだろうか、そればかりか、ディノが近づいてきていることにさえ反応せず、ただただ化け物は、うめき声をあげながら、その色を変えてゆく。
乳白色、薄い白、そして・・・透明に。
「なっ・・・」
ディノとユズは息を呑み、思わず後ずさった。透明の先にあったのは−−−無数の生首。
大量の大小の生首が、混ざり合い、蠢き、密集している。
みなみなうめき声をあげているが、うめき声は統一していない。それでこそ、老若男女とわず。
表情は苦悶。
全てが苦悶に埋め尽くされている。
そして全員が、打撲の青と擦り傷きり傷の赤に染まり、浅黒く、青白く、汚濁した黄色に変わっている。
そのうめきは部屋を異常な世界へといざなう。
濃厚な苦悩が部屋中に充満する。
まるで世界中の人々のうめき声を閉じ込めてしまったかのように。
救済を求める声、痛みにあえぐ声、絶望になげく声、叫び、叫び、叫び。
「う、うぁ・・・なに、なんなの、これ・・・あ、頭が痛くなる・・」
「ユズ・・・!」
あまりの異常音に、ユズが耳を押さえて膝を落とす。ディノはユズに寄り添うと、その耳を抱え込んだ。
うめきは尚も収まらない。まるで地獄を引きづりあげてしまったかのように、阿鼻叫喚が二人にのしかかる。ただの空気の波であるのに、それはあまりに重すぎた。
「く、あ・・・」
耳を押さえても手の甲をすり抜け、脳に激震を与える。
「るな、るナルァな、るなふぁ、ルナフぁら・・・、殺ず、死ぬ、」
止まらない。
「しね、死ね死ね死ね死ねしね死死死死死・・・しねしねしね死ね・・・!!」
音は収束し、大音響となって周囲を揺らす。
「ルナファラはころ、殺ずうううううううう!!!!!」