第二十六話
アベドルト平原の朝の空は、今日も青い。
「ったく、俺にだって予定があるんだぞ!」
ぶつくさ言いながら、ディノは火を見つめていた。
魔法陣の中央に抱かれた火に、時々、魔法を封じた家畜のふんを投げ入れる。ふんを乾燥すると、燃料となる。
それに魔法を詰めると、火炎になるのだった。
ディノは文句を言いながら、炎をひたすらつくっていた。
「あんたねぇ、実の姉が世界を旅する時に、なんも持たせない肉親がいるかい?」
同じく炎をつくっているキリアが、不満を漏らすディノに、叱咤した。
だが、ディノは平然と自分を指差す。
「…ここにいるけど」
「アーシェが姉だって事さえ気付かないようなやつは論外だねっ」
キリアは、ふんっと鼻をならすと、家畜のふんを投げ入れた。
「ったく、一晩の内に姉妹のように仲良くなったアーシェとユズを少しは見習ったらどうだいっ?」
「しらねぇよ。夜に散歩しに二人で出てった時に、アーシェの魂を鎮魂させて、かわりに家畜の魂でも入れてつれて帰ったとかしたんじゃね?」
ディノの悪態に、キリアの目が冷たく光った。
「…あんた、本当に天邪鬼だね。いやだよ、本当の鬼の方がまだ可愛げがあるよ」
火がバチバチと燃え上がる。その周囲をキリアは、更に風の魔法陣で囲う。
「ま、こんな感じかね、キリコいいよ〜」
キリアの呼び声に、夫のキリコがのそのそ歩いてきた。その両腕には、ロッゾから貰った、あのダークベアの鉄の爪が抱かれている。
「ったく、土産なんか渡すんじゃなかった…」
キリアとキリコはこれから、この鉄の爪で、護身用の小剣を一太刀、作る。育ての親として、アーシェに何か出来ないだろうかと思案していたキリアが、ディノからダークベアの鉄の爪を土産物として差し出された際に、思い付いた事だ。
ダークベアの鉄の爪は、昔から上質な武器の材料として高値で取引されている品物だ。希少価値が高く、本当に素晴らしい武器が産まれるので、一部の金持ちしか持てないほどだ。
これで護身用の小さな剣をつくらせてほしいと、キリアは懇願した。三日以内で必ず作る、と。
アーシェは、直ぐに懇願を承諾してしまった。
お陰さまで、ディノの予定が狂ってしまった。目的地ハシェイブの名物、ハシェイブ酒をがぶ飲みするという、実に下らない予定が。
「はぁ〜。三日もこんな何もない草っぱらのまんなかで何やれっつーんだよ…」
愚痴を溢すディノに、キリアが即答した。
「なにいってんだよ、あんたには明日ある、ユズの成人の式の導き役をやってもらうよ」
「は〜いって…ハァ!?」
ディノはキリアの返答に思わず飛び上がった。
「ユズ、もう12なのかよ?」
「あんたの3つ年下だからね…。ってかあんた、妹の誕生日も忘れてたのかい。風馬に寄ったのは本当に近道と物狙いだったんだね…」
「ったり前じゃん!」
「情けな〜」
キリアは頭を抱えこんだ。キリコは静かに笑っている。
その動作に怒りを感じつつ、ディノは続けた。
「てか、どうして俺が導き役なわけ?成人の式の導き役は、最も縁が近いものって決まってんじゃんか。普通、親のキリコ父さんか、母さんの役だろ?」
ディノの言葉に、キリコが僅かに悲しそうな顔をした。
「俺はユズの父親じゃねぇ。ユズの父親は、ガンツ兄者しかいねぇ…。死んでからもう五年になるけれど、やっぱユズの父親はガンツ兄者しかいねぇよ」
ガンツとは、キリコの血が繋がった兄の事だ。
ユズは、キリコの姪に当たる。母親はユズを産んだ後、産後の日達が悪くて亡くなってしまった。つまりユズは、男手ひとつで大事に育てられた子どもなのだった。
ユズを天塩にかけて育てていたガンツであったが、鎮魂に失敗し、怨霊に食われてしまった。
その時、ユズはわずか六歳だった。
「…そか、なら兄妹のちぎりを交した俺の方が近いな」
ディノはキリコの胸の内を理解すると、何もなかったかのように、炎にふんを投げ入れた。
キリコはガンツを尊敬していた。
力が強く、鎮魂も巧く、なにより賢かった凛々しい兄を愛していた。だから、ユズの父になりきれないのである。
死んでも心の中で人は生き続けるという。それは揺るぎない事実で、慈悲深い意味でも、残酷な意味でも…確かに残された者達の体の中に存在する。
ディノは若かったから、ガンツがディノの中にあまり残ってはいない。
けれど、気持はよく分かった。
ぼうぼうと燃え盛る炎が、ディノの皮膚を、じりじりと熱していた。
その日の夜。
里を濃密な闇夜が覆っていた。そして、里の中央の大広場から、ついに成人の儀式は始まった。
獣の皮をよくなめし、きつく張り合わせた太鼓が並ぶ。太鼓の大きさは様々で、まるで満月が幾つも低空を浮かび上がっているようだ。
太鼓は、風馬の民に古から伝わる独特の方法で作られていた。ドラグノアの一般的な太鼓は、軽やかに高らかに咽喉を震わせるが、風馬の太鼓は違う。まるで何かを爆裂させるような、巨大な生き物が大地を踏みしだき歩くような、重々しい音だ。
それらを、里の者たちが叩く。
太鼓の中央には、大きな炎が天へ天へと無数の手を伸ばしている。魔法と乾燥燃料で組まれた火は、焦げ臭い匂いを辺りに撒き散らしながら、更にその勢いを強めていく。
成人の式の、これは前夜祭。
今年、成人になる者は、ユズひとり。儀式の主役は、ユズただひとりだった。
燃え盛る火。
炎に照らされ、漆黒の闇からユズがゆっくり浮かび上がる。
全身を黒衣に包み、手に「刀」と呼ばれる古い形の剣を握り、表れたその姿は、当に闇からうまれでたかのようだった。強烈な光に輪郭を奪われ、まるで両手に握る剣の切っ先のように、輝いている。
大衆の瞳に囲まれ、緊張に神経をすり減らすユズの幼い横顔から、汗がひとすじ落ちる。
まばらな雨のような太鼓の打ちが、ユズの登場により、一気に熱を帯び始めた。加速し、纏り、膨張し、豪雨から滝へ、そして音の渦へと。
「風馬一族、羽化の形、はじめ!」
高まるボルテージは、その一声で破裂した。
「壱!!」
張りのある少女の声が、太鼓の音に押されて、一気に周囲を威圧する。
ユズは、電光石火の速さで太刀を振り下す。地面スレスレでぴたりと刃が停止する。
「弐!!」
次はそれを斜め上にあげる。正確な角度で、そして位置で、刃がまた止まる。
「参!!」
くるりと反転し、再び剣が振り下ろされる。完璧な垂直。ユズはそのまま、膝をつく。ユズは目を閉じると、大きく息を吐き出した。
ユズを囲み、人々は息を呑んで彼女を見つめている。民衆に紛れて、ディノ達もまた、ユズを見つめていた。
「あれは羽化の形と呼ばれる舞だ。」
腕を組みながらキリコがぽつんと呟いた。
「羽化の…形?」
すぐさまに疑問を発したのはアーシェだった。その反応に、キリコはユズを指差す。
「先ほどの剣舞を“形”と言う。風馬の古くからの剣術の基本動作だ。ユズが持っているのが“刀”。全ては古くから伝わるものだ。」
「そうそう、アレばっか毎日やらされてた。」
ディノが嫌そうな口調で吐き出すと、すかさずキリアが耳を引っ張った。
「剣の受け方や流し方、打ち方まで美しくまとめた世界で最も無駄が無い動きだよ。この基本動作が、風馬の民の戦闘能力を培ってきたんだ。“形”がなければ風馬とは認められない。」
「わ〜ってるよ!だけどクソ毎日はさすがに飽きるって。」
「そうだな、お前はサボってばかりだった。お前の“羽化の舞”は我流すぎて、まるで喉を詰まらせた蛙のようだった、うむ。」
キリコの間髪入れぬ発言に、キリアが腹をかかえる。
「あははっ!そりゃあ良い例えだねぇ!」
「…個性だよ。」
ディノはまるで苦虫を100回噛み砕いたような顔をすると、ユズを見やった。
「でも、ホント…ユズは上手いな。」
ディノの発言とほぼ同時、太鼓の音色が再び熱を帯びだした。
太鼓の影から、今度は黒いベールに身を包んだ六人の女性が躍り出る。
うねうねと身体をくねらせるその様子は、毛虫のようで、そして木々の揺らめきのようで、おぞましい動き…非人間的な、どこかゾッとするものだった。
「あれは…ルナファラ?」
「ああ、旧王国最後の姫、ルナファラの幻影だ。よく知ってんな、アーシェ。」
「ええ、聖園の鎮魂の舞のひとつと全く同じ踊りです。…こんな繋がりがあるなんて。」
アーシェが思わず感嘆を唇からこぼす。
「そりゃあそうだ。聖園はアルタナ湖に沈んだ魂を、風馬はアルベルト平原に埋められた魂を慰め、鎮めている。平原の魂を鎮めている最大の鍵は、残虐な旧王国の最後の国王の一人娘の肉体なんだからね。」
キリアの説明に、アーシェは僅かに首を傾けた。
「ルナ、ファラ…」
その目は、何故か悲哀を浮かべていた。
六人のルナファラが蠢き、這いずり回る。
悪魔の化身、泥で出来た邪心、血と快楽に溺れた魔女。ルナファラ達はユズを誘惑し、闇へと引きずり込むかのように踊り狂っている。
「六人なのは、それぞれ頭・右腕・左腕・胴体・右足・左足をあらわしているんだよ。さあ、風馬の長の子孫であるユズが、ルナファラをの肉体を切り離してゆく。」
キリアの言葉どおりだった。ユズは立ち上がると、次々とルナファラを切り崩してゆく。
罵声のような太鼓に蹴落とされるように、ルナファラ達が地面に落ちる。
まるで花びらのように等間隔にルナファラは地面に伏せていき、その中央にユズは降り立った。
火炎を背に、ユズが声を上げて刀を上空へと突き刺す。
「我が名はユズ!今、邪悪な肉体を斬り、大地を鎮魂す!」
まるで天を貫くように立つユズのか細い両足は、堂々と大人へと翼を広げるひとりの少女を、しっかりと支えていた。