表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/47

第二十五話

 ドラグノア最大の平原、アベドルト平原の西部に、その集落はあった。


 遊牧民風馬の即席の里。宿営地と言ってもよい。

 東に位置する火竜山脈から吹き下ろす風により、乾燥したこの広大すぎる土地には、道しるべはおろか、樹々がおい茂る事さえない。

 無限のごとく、わずかな草が生えるのみの枯れた大地が続く。


 また平原には、古くから獣人魔人の魂がうろついている為に、普通、人は入ろうとはしない。

 帝国でさえ、鎮魂が行える者以外の立ち入りを禁じている。

 鎮魂歌ひとつも歌えぬ者が一歩足を踏み入れたら最後、魂にむさぼられてしまう。無念の心に縛られて天に昇れず、ただただ這いずりまわる怨霊という魂に。


 そんなおどろおどろしい大地とは裏腹に、上空に広がる夜空は完璧にまで美しい。


 今宵も星は流転する。

 月…ルシファンを天心に、僅かに明滅しながら大きな円を描く。光の尾を羽衣のようになびかせて、闇を駆け抜ける。


 星は魂なのだと、エアドラドの民は言う。

 それは生命が心臓の鼓動を止めた時に、生命から不思議な光が浮かび上がり、天へと絶えぬ火の粉のように昇ってゆくからだ。


 魂。

 それは人間の精神体であり記憶であり善意であり罪でもあるのだという。それは、実に様々な色をしていた。


 …命という鎖をとかれ、肉体から離れ浮上する光。朝には、太陽という竜に照らされて見えないものの、曇りの日には雲母にかくされて見えないものの、何もない夜には、だがくっきりと漆黒の空に存在を証明し、主張する。


 魂、等しく、星。

 星、流転、すなわち浄化。


 再び大地に生まれゆく無垢な肉体と結合する為に、星は空を巡り浄化されるのだという。

 孤独に、さえぐものもなく、道すらない虚空を、ただたださ迷い、大地のかつての自身を忘却するのだという。


 まるで、行き先も帰る場所も無く、歩く旅人。


 人が、人生とは旅そのものであると唱えるのは…必然なのかもしれない。

 そしてそれは、標準点さえ朧気な、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚により確認される現実という幻想の中で、唯一の「リアル」なのかもしれなかった。


 その一粒が、ふいに失速した。


 そしてそのまま、流星群から外れてゆく。瞬く間に速度をあげて、地平へと消えてしまった。

 あっけなく、何もなかったかのように。


 だが、それにエアドラドの民は意味を感じるのだった。


 今まさに、かの星の全てが浄化され、眠る母の子宮に還ったのだと…。



 だがそれは所詮、空想である。宗教と呼ばれる、秩序の端の産物である。

 人は創造する。世界の理さえも、脳内で描き続ける。

 世界とは常に仮説の域を超えないものだ。

 生きるとは正に、空想なのだ…。


 感覚のままに、大地にも空にも、この瞬間にも、魂が這い、駆け巡り、産まれる。




 人はまだ、この世界の真の意味を知らない。



「あっ、流れ星だ!」


 風馬の里に住む少女…ユズは、門の両脇に立つ見張り台の上で、走り去る星を指差して声を張り上げた。

 すぐ横には、聖なる者であるアーシェがたたずんでいた。


 遊牧民と聖女。

 その組み合わせは本来、実に奇妙なものだろう。だがしかし今は、姉妹のように自然でもあった。

 二人は共に、同じものを見つめていたから…。


「赤ちゃんが産まれるのでしょうか。綺麗な桃色。もしかしたら…女の子かもしれませんね」

 アーシェはユズに微笑むが、ユズはひとさし指を一本たてて、右へ左へゆらした。

「甘いアマ〜い。お姉ちゃんユパのように甘いな。だってね、あたしが産まれた時は、ギンギラに燃え燃えの橙色の星が流れたの!だから皆てっきり男の子だと思ってたらしいよ!」


 ふふふん、と鼻をならすユズは、やけに自信にたっぷりである。何故かは、分からない。そういう性格なのかもしれない。

 だが、すぐにふてくされたような顔をして、「まぁ、よく男の子に間違えられますケドー」とアーシェにぶーたれた。


「私もよく間違えられますよ」

 くすくすと笑った後のアーシェの言葉に、ユズが「嘘!」と過剰反応をしめした。

「とっても、やんちゃでしたから。少し前からは、そんな事は少なくなりました」

 アーシェの答えに、ユズが少し考える。


「ねっ、ねっ。それって、成人の式の辺り?やっぱり…成人の式の後だと、女らしくなる…?」

「帝都の成人の式は18からですから、風馬とは違うかもしれませんね。風馬は12で成人の式を行うのでしょう?」

 ユズがコクコクと頷く。


「そうなるとやはり違いがありますね。でも私、男女差がはっきりしてくるのは、やはりユズさんの年頃だとは思います」

 途端に、ユズの表情が険しくなった。

 どうやら、ユズは女らしくなりたい、のではなく、女性という性に嫌悪を感じているようだ。


 12…この年頃の少女とは、そういうものなのかもしれない。性差が肉体にも現れてくる年齢。

 男性との力の差が歴然と見え始め、自身が非力な存在なのではないかと思い込む。

 世間の目も、変化する。


 何より、自身が自身の変化に何より気付かされる。

 過去の自分が消滅してしまうかのような不安と、絶望。それが新たな自分の誕生であるとは、理解が出来ない、年齢。


「…お姉ちゃんとディノ、暫くここにいるんだよね?」

「えぇ、剣が出来るまで…キリコさんは三日かかるとおっしゃっていました」

 ユズが、ゆっくりと立ち上がる。


「式は明後日なんだ」

 ユズがうんとしなやかに背伸びをした。

「みんなに、見ててほしいな」

 ユズの表情にかげりを感じるのは、気のせいだろうか、闇のせいだろうか、(それとも――…)


 アーシェに成人の式はなかった。

 それは聖なる者にそもそもそういった式が一切無く、かわりに聖なる力を強める為の式があった為だ。だが、成人への意識自体は帝都の者達とは然程かわらない。


 共に、大人への変化を――まさに階段を上るように――理解していくからだ。


 長いモラトリアムの中で、社会から協調性を学び、守るべき者が生まれ、大人への意識を強めていく。

 そして、ふいに大人へと羽化した自分に気付く。

 だが、風馬の子ども達のモラトリアムは非常に短い。医療も魔法学も、聖なる力の分析も大分すすみ、人々の寿命が長くなると共にモラトリアムもまた長くなった今日を思えば、大変短いであろう。

 それは正に、階段を駆け上がるようだ。


「あたし、頑張るから。成人の式、頑張るから。…だから皆に、あたしが大人になる所をみてほしい…」

 ユズが呟く。


 遠くで、また星が地平へと駆け抜けた。

 ユズは、女性への嫌悪と、大人へと成長せざるおえない焦燥と不安を、その小さな胸に抱いてるのかもしれなかった。

 アーシェの心臓にもまた、正体の分からない感情の泥が伝染していた。

 共感だろうか、同情だろうか。

 分からない。分からないが―…。



 アーシェはその少女を見守りたいと思った。

 大人が子どもを慈愛の目で見つめるそれではなく、同じ変化に戸惑う友として。

 ユズを見守りたいと、思った。



 星は今宵も廻りゆく。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ