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第二十三話

 ガアプの背中に、蟻のように死霊が群がる。

 死霊達はガアプの体を機械的に切り刻み、或いはむさぼる。

 それを、ガアプは必死に耐えていた。

 ガアプの胸の下に震える子ども達の周囲を、血だまりが侵食してゆく。


 黒衣の男は、ガアプの懸命な血飲み子への愛に、腹を抱えて笑った。

「…あはははは!馬鹿!すっげー馬鹿!面白いっすげーマジ面白いよ!」

 ガアプは無言に、ただ子ども達を守る。それしか、彼には方法はなかった。

 男は、哄笑にむせながら、ガアプにゆっくり近付いく。男が歩み出すと、途端に死霊達の動きがピタリと止んだ。


「…微笑みをありがとう、おじいちゃん」

 男は巧笑を柔らかに繕いながら、ガアプの後頭部に靴底を下ろす。そしてそのまま、蹴仆した。

 ガアプの額が、鈍い音をたてて大地にめり込む。男は更に、ぐりぐりと踵を押し付ける。


「君達、素敵なおじいちゃんを持てて良かったね…」

 勝利に陶酔しながら、男は語りかけた。子ども達の目が、ルビーのように輝いている。

 男はその色に興奮を覚えた。それほどまでに、それは純粋で無垢で、血のように赤かった。汚してやりたい。壊してやりたい。凌辱してやりたい。もっともっと。

「…でもね」

 男は、腰から短剣をひいた。女の白眼のような鈍い光をたたえる。

「もう、おじいちゃん」

 片手に持ちあげる。そして、


「…殺すから」


 振り下ろす―――、が。

 おかしな事に、感覚が、なかった。

「あ?」


 瞬間、男の体が吹き飛んだ!


 まるで巨人にでも弾かれたかのように無様に宙を飛んで、そのまま受け身も出来ず落下する―!


「ぎゃっ」


 蛙が潰されたような声を出して、男は石畳の地面に強かに叩き付けられる。

「…うぅ」

 身体中、どこもかしこもズキズキと痛む。

 何故だ?

 どうしてだ?

 何があったんだ?

 男は、動かない体に鞭打って、僅かに体を起こした。そして、目玉に入った景色に驚愕した。


 世界が、ぐにぐにと歪んでいる。

 色彩が境を失い、渦を描きながら混濁している。

 まるで、断末魔のような声が、上から下からも横からも聞こえる。

 周囲を万の馬が駆け回っているような激震。

 重力が体の中央から派生しているような、無茶苦茶な感覚。

 異世界だ。

 これは、魔界だ。


「…あかい」


 幼い、声だ。


「…あかい、あかい」


 子どもだ。子どもが二人、宙に浮いている。…違う!違う、違う!



――竜だ!!



 そう、男の目の前には、竜がいた。


 その竜は、全くもってごく普通の人間のヒュームの形をしている。

 だが、その小さな体躯は宙に浮いており、男の身長と同じくらいの高さに、彼らの赤い視線は存在していた。そして驚くべきことに、彼らには通常のヒュームには存在しない「翼」があった。


 右の肩甲骨から白い鳩のような翼を3、左の肩甲骨から黒い蝙蝠のような翼を3。計6っつの、ツタのような血管を這わせた、血みどろの翼を。


 空中に足を揺らしながら、二人は感じていた。

 怒りが奔流のように動脈を、殺意が瀑泉のように静脈を流れていくのを。

 強烈な力が底もなく生まれてくるのを、二人は感じていた。


 肉体の隅々が、どこもかしこも電気を放っているかのように痺れている。

 皮膚から下の全てがマグマのような熱を発しているかのように、熱い。

 頭蓋は中身を失ったかのようにクラクラしている。

 心臓ばかり生き物のように継続的に跳ねている。


 二人は、自分たちが今一体何をしているのか分からなかった。

 そればかりか、何処にいるのかさえ明確ではない。

 ただ、烈火のような憎しみだけが、敵を殺せと体中を蠢いている。

 そして何故か、とても悲しいような…。


 二人が、ぐったりとうつ伏せになったガアプを見下ろす。

 ガアプは、泣いていた。黄色く濁った目玉から目尻の皺、白髪まじりの髪へと、涙がうっすら線を描いている。

「…痛いの?」

「…苦しいの?」

 二人の問掛けに答える事も出来ず、ガアプの虹彩はただただ二人を映している。ふと、瞳の中の子ども達が優しく微笑んだ。

 アーシェが、小さな小さな手を広げ天に掲げ、呟いた。


「治してあげる」


 細くしなやかな腕に、輝く紋様が走るように現れる。そして、ゆっくりと放出される。

 蛍の光。

 あまりにも小さな、眩い光たち。

 それが、たちまち膨張し、傷付いたガアプを抱擁するように包み込んだ。


 みるみる内に、ガアプの外傷が塞がってゆく。まるで、傷などついた事がなかったかのように。

 …それは、あまりにも高度な聖なる力だった。

 ガアプが回復したのを確認すると、二人はくるりと男に向き直る。


 瞬間、二人に火の玉が襲いかかった。


 男が体を無理矢理動かし、放った魔法弾。それは爆炎となり、二人を包んだ。

「化け物が…!」

 男は、卑下た笑みを浮かべた。だが、それは一瞬にして、男の顔から失われた。


「あかい」


 二人は、自分の唇から小さく零れ落ちるその言葉に気づいていなかった。


「あかい、あかい」


 柔らかくて幼く鈴の音のような可愛らしい声は、本質を剥き出しにしているかのようで、男の恐怖心を掻き立てた。


「なんだよ、…どうなってるんだよ!」

 子ども達は無傷だった。黒焦げになる筈の皮膚は、艶やかで健康的だった。


 子ども達はただ、男を見下すように見つめていた。

 男は、必死で目の前にある分けの分からない現実から逃れようとした。


 だが、二人から、そして周囲から発せられる正体の分からない威圧感が、男の肉体を押さえつけていた。


 何故、自分の魔法が効かないのか、意味が分からない。

 何故、体が縛られているかのように動かないのか、理解が出来ない。


 死の恐怖が、男の胸を渦巻く。

 殺される。殺される!


 逃げなければ、逃げなければ、殺される!


 男は、懸命に意識を集中した。呼応するように、死霊達が動き出し、子ども達に牙を向ける。

「いいから死ねよ…!」

 が。


 瞬間、死霊は次々と、破裂した。

 正確には、水溜まりに飛込んだような軽い水音をたてて、挽き肉と化した。そしてそのまま、肉と血は炎上した。

 後には、灰も見えなかった。

「ひぃやぁぁああ…!」

 無茶苦茶な力の差だった。

「…こんな話は聞いちゃいない…!…こんな話は…!!」


 これが竜の血飲み子というものなのか。これが竜の力というものなのか。

 これが。


「こんなの、俺は聞いてないぞ…!!」


 男は、炎系魔法を連続で放った。だがそれは、子ども達に全く当たらず、横にそれてゆく。

「聞いてない聞いてない聞いてないぃぃ!!!」

 詠唱もせず、魔法を放つ。その為に、内臓に魔法が直接影響し、更に魔法陣が全身を焼く。魔法負荷が男の肉体を体の内から蝕んでゆく。

 男は口から血を吐き出した。だが、魔法の連発をやめなかった。が。


「…あぁ!?」

 突然、魔法生成が出来なくなった。

「…何でだ?何でだ!」

 男は辺りを見渡し、ハッとした。世界を埋めつくしている筈の、魔法の流れが、男から逃げるように消えていた。


「無駄だよ。世界は僕たちの味方だから…」


 いつの間にか、男の眼前にルキがいた。言葉は、冷酷な響きに染まっていた。

「誰に命ぜられたの…」

「言う!言うから殺さないでくれ!」

 ルキが微笑む。男は、ほっと胸を撫で下ろし、言葉を紡いだ。


 男は必死にまくしたてた。

「酒場で俺に薬を売ってくれたヤツだ!名前は知らない!知らないんだ、本当だ!老騎士のガアプてか言うジジイ殺して血飲み子を奪えと言われた!」

 ルキが男に冷静に問う。


「…この計画は自分で図ったの?」

「違う!そいつが全部!俺が魂を操れるっつってたら計画を持ってきたんだ!金も!俺は本当はただの薬中の酒飲みなんだ!俺は悪くないんだ!あいつが全部悪いんだよ、信じてくれ!」

 男は懸命に懇願した。


「…そう、じゃあ、その人の名前は?」

「…知らない!本当だ!信じてくれ!殺さないでくれ!俺は知らないんだ!」

「分かった…」

 ルキがにっこりと微笑んだ。

 男が泣きじゃくりながら、ルキを見上げた。肺をひきつらせて、ルキに感謝をのべる。

「…ありが…」



「お前が悪い」



 男は青ざめ、それを見た。

 ルキの頭上に、巨大な魔法陣が形成されていた。

 ルキがそれに、手を触れた。


 そして、男に焦点を合わせ…



「ぎゃああああああああ!!!」


 男の叫声が辺りに共鳴する―――。



 ………。


 …――いつの間にか、世界は通常に戻っていた。既に、異世界はなかった。


 先ほどまでの、ごく普通の共同墓地。

 空は朝が近いのか、青みかかっている。その青い天を照らすかのように……中央にそびえる竜の巨像が、火柱と化していた。


「…いけない」


 ルキは、信じられないといった表情を浮かべて、その感触を感じていた。

「…お前達は、手を汚してはいけない…」

 ルキを、背後から抱き締める者がいた。その事実が、ルキの魔法射程をずらした。


「…お前達は、そんな事をしてはならない…」


 すまない。


「そんな事をする為に、お前達は生かされているのではない」


 すまない。


「そんな事をする為に、お前達は生きているんじゃないんだよ」


 お前たちにそんな選択を与えて、なにより…。



 お前たちを、守れなくて――…



「お母さん…?」




 ルキは自分を止めた人物を見つめた。

 それは、ガアプだった。

 ガアプは、泣いていた。

 それだけで、ルキの怒りをおさめるのには、それだけで、十分だった。




―あなた方を守り―






――愛して下さる御方です――





「…ごめんなさい」


 ルキは瞬時に、姿を変えた。翼を失い、打ち落とされた鳥のように、ガアプの胸に飛び込んだ。

 アーシェもまた、同じだった。


 二人は、ガアプの温もりを感じながら、心臓の音を聞いた。ガアプは二人を、ただ抱き寄せた。


 ただ強く、抱き締めた。




「…はぁ、はぁ」

 黒衣の男は、命をとり止めた事に驚きながら荒い息を吐いた。そして、ゆっくりとよろめき立った。

「…クソが!クズが!!」

 男は三人に罵声を浴びせながら、もつれる足を動かした。


「…クズが!クソ野郎どもが!死んじまえ、バカが…!!ふははは、あは、あはは…」

 と、男の朦朧とした頭が、何かにぶつかった。


「…馬鹿は貴方でしょう」


 男は、ひっと息を飲み込んだ。眼前には、街道に追いやった筈のオルセが立っていた。


「…あ、ああ…」

 オルセはたじろぐ男の肩を掴んだ。

「馬鹿はアンタじゃないかっ!!」

 オルセが拳を挙げようとするのを、カッキュとスィクが寸前でとめる。


「この男は、我々にお任せ下さいませ。」

 スィクがオルセをなだめすかすように言うと、直ぐ様カッキュが男を魔法で緊縛した。

「お前を杖にかける。覚悟するんだな」


 杖――それは、聖園を舞台とした最高裁判の事だ。

 男はそれを聞くと、うなだれた。


「…薬を使っているようですね。大分混乱しています」

 セリスはカッキュの報告を聞き、ジジをみやった。

「いかほどに?」

 ジジは、暫し考えた後に、オルセに問うた。

「…ルキ、アーシェ…彼等は竜の血飲み子じゃな。ディノもかのう。そうじゃな、金獅子・オルセ」

 竜の血飲み子、という言葉に、スィクとカッキュ、セリスに動揺が走る。

 オルセの顔が青ざめ、慎重に返す。


「はい。ですが、この事は公にはならさないで頂きたい…お願い致します」

「レマの命令で動いとったのじゃろう?」

 ジジの言及に、オルセが押し黙る。そして、暫く思考を巡らせると、観念したように頷いた。


「…ふぅむ」

 数々の疑問が、ジジの中でぐちゃぐちゃと泡を立てて渦巻く。思考が、まとまらない。

 …まずは皇帝であるレマに、この事を報告しなければ。早急に。


「聖園管理人セリス、そして聖園の守り人よ。この事は最重要秘密として処理する。今後、この事を口外する事を禁ずる。全ての処理・対処は、皇帝、および私の判断によるものとする」


「はっ!」

 聖王の絶対命令に、三人は凛として答えた。




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