第二十二話
巨人の背に、ひとつの半円形魔法障壁が築かれていた。
その中に、セリスとジジはいた。
セリスは巨人と死霊、そしてそれらと懸命に戦う一人の騎士と、二人の少女の様子を冷静に見つめている。
一方、ジジは、早鐘のように打ち付ける心臓を押さえながら、一心に呪文を呟き、羅列していく。
その指に、輝く石を持つ指輪があった。
石が放つ高貴な紫色の光線は、緩やかに魔法陣と姿を変えながら、ジジを中心にみるみる内に肥大してゆく。
その指輪は、街の異変に気付き此処に来る途中に、セリスが差し出したものであった。
何故、これを?とジジは驚きと共に尋ねた。するとセリスは、こう言い放ったのだった。
――これは、貴方の命です――
セリスの言葉は、全くその通りであった。
もしも自分が、聖王となるならば。そう、イェズガルドの名を受け継ぐのならば。
ジジの脳裏に、前聖王であり既に故人のシェイダの姿が。
そして、彼等の姿が浮かんだ。
なんという皮肉だろうか。
まさか自分が、この力を使う日がくるとはのぅ…。不思議じゃあないか、師・イェズガルドよ…。
「てぇいっ!」
カッキュが槍を振り回し死霊の武器を弾いてゆく。
牛系の獣人特有の二対の太い角が生えたその姿は、まるで気高い自然の王者のようだ。
一方、一見カッキュとは対象的に穏やかな様相の羊系獣人スィクは、その可愛らしい風貌とは裏腹に、堂々と巨人の体を蜂のように突き刺している。
若い女性ではあるが、二人はなかなかの腕前のようである。
オルセは、巨人から放たれる糸を回避し、或いは次々とたたっ切る。
「しかし、この糸はなんなんでしょうか、ね!?」
「肉食系魔虫です」
「…―そういう事ですか。」
スィクの返答に漸くオルセは、埃を被った海馬から記憶を弾き出した。敵は死霊だという、その思い込みが、全てを暗く閉ざしていたのだ。
肉食系魔虫の中には、綿のように柔らかく、鉄のように固い糸を吐き出す生き物がいる。
その糸で生き物を絞め殺し、食べるのだ。
また更にその中には、生き物に寄生して殺した後、その生き物の全身に糸をはり、操るものがいる。
そうして、安全で温かい場所に移動し、死体に卵をうえつけて、命を繋ぐという。
つまり、死霊を操っていたのは虫なのだ。
だからこそ、斬っても斬っても、再生して見える。正確には、糸で繋いでいるだけなのだ。
―敵は人の魂を操っているのではない、虫の魂を操っているのだ―
それでは、ガアプがオルセと同じ状況だとしたら、まず勝ち目はない。
ガアプも金獅子団長だった事から、多少の魔法を使える。
だが、この怪物達は、多少の魔法で倒せるようなものではない。その上、ガアプは敵が虫を操っているとは知らない。明らかに、不利である。
焦りの中、オルセは円形保護魔法陣で術を唱える者をチラリと見やった。
その姿にオルセは先程、目を疑ったものだ。まさか、彼が聖園に関係するものとは…。
ガアプ様はあの人に見覚えがあるようだった。聖園の上位階級者なら、それは理解できた。
様々な謎や疑問が、頭を巡る。
だが、考えはまとまらない。どの仮説も仮説の域をこえる事はない。
ジジ達は味方であるという事さえ確証はない。だが今は、彼等の力を借りるしか道はない。
オルセは敵が魔法陣に近付かないよう、牽制と攻撃を加える。カッキュとスィクもまた、それに習う。
オルセには、この攻防が酷く長く感じられた。
ジジもまた、魔法詠唱の長さに痺を切らし始めていた。
なんという長さ、なんという精密さ、難解さ。
また、唇から呪文がこぼれおちるほどに、体も重くなってゆく。体力がどんどん削られてゆく、おぞましい感覚。それが、精神をもそぎおとしてゆくようだ。死に近付く恐怖とは、このようなものを指すのかもしれない。
「…我、光の殉教者。我、闇の殉教者。」
ジジの言の葉に、音律と周波紋とともに、神羅万象に絡み付いている魔法流が、次々と影響されてゆく。
「東西南北から出でる、認識への包括、そして知識への愛撫。」
数々の反応が、パズルのように組み取られ、世界が結合してゆく。
「導くものよ、輝ける守護者よ、涅槃の森から覚醒せよ…!」
ジジはその石を掲げた。
「出でよ!魔聖霊・イェズガルド…!!」
瞬間、ジジの周囲の光が、爆裂した。
「な!」
オルセは、強烈な光に思わず目を瞑った。それでも、瞼の薄皮を貫くそれは、一切弱まる事無く、瞬き、彼を包んだ。この世の全ての可視光線が膨張するかのように。
それは、どこまでも四散し、やがて呪詛となり始めた。
幾何学模様の光の束が、雪崩のように大地を埋め尽くす。
巨大な魔法力がけたたましく世界を揺らす。
やがてそれらは、収束して、見慣れた形を築いてゆく。
「…ひ、人?」
光が漸く元の形に戻ったのを合図に、オルセは目を見開いた。
「「はぁ〜い、こんにちは」」
宙に、先ほどまでいなかった筈の巨大な男性がひとり、浮かんでいた。いや、正確には、ふたり。
「……これは?」
オルセはそのあまりにも奇怪な形に呆然とした。四本の足にほっそりとした肩からふたつに分かれて、顔がにょきりと生えている。
「魔聖霊、イェズガルド様です。」
カッキュがいかにも感動をしているような様子で、イェズガルドを見上げる。その脇に立っていたスィクが洸惚を露に「聖典の通り麗しい御姿ですわ…」とやけに艶っぽく呟いた。
「…はぁ、麗しい、ですか…」
オルセは、紫の長外套に半裸を隠したそれを仰面する。彼女が言う麗しいポイントがイマイチ掴めない。
――魔聖霊――
徳が高く、強い魔法力・聖なる力を持った人物の魂が封印された宝石を魔聖石、封印された偉人を魔聖霊と呼ぶ。その程度は、一般常識だ。
だが、まさか、イェズガルドが魔聖霊だとは…。しかも、奇形?
…と、イェズガルドのふたつの首がオルセに傾いた。
「あらぁ、タイプだわ♪」
「師は…全っ然お変わりが無いようで」
足元にぽつねんと佇むジジに気づき、それが同時に毒づいた。
「やだわぁ、なにアンタ、ジジ?ちょっと見ない間に随分枯れちゃったのねぇ、なに?今、冬?」
ジジとセリスは苦々しい顔で小さくため息をつく。
「魔聖霊イエズガルドよ…師よ、実に30年ぶりじゃ。…まぁ、師を呼んだ所為でまた100年は年をとったような気がするがのぅ。」
「そう、今度は貴方が聖王なのね…。」
「いやぁね、因果だわ」
右の顔と左の顔、同じ顔が全く別のことを同時に話す。
「で、お相手はあの子?」
「やだぁ、結構素敵な子じゃない」
「やぁよ、なんだか金獅子野郎を思い出すわ、あの構え」
「やん、騎士なのね!」
「金獅子は騎士じゃないわよ、騎士オタク糞野郎でしょ」
「あの超絶救済不能馬鹿と騎士サマは違うわよ、あぁ〜ホントいいわ〜」
四っつの目に捕らえられて、思わずオルセは後ずさる。何だか、妙な身の危険を感じた。
「違う違う、あっちじゃ、あのでかいのと、死霊じゃあ、見りゃわかるじゃろうがあ。」
その会話を黙って聞いていたジジがついに声をあらげた。痩せほそりかわいたジジの指先が、巨人と死霊をズバリと差ししめす。
「そこが分からないのが」
「私たちなのよね」
イェズガルドは、ぶらぶらと上体を動かす巨人と死霊を交互に見やると、鼻で笑った。
「…蟲ね」
イェズガルドは即答すると、四本の腕をするりと真横に伸ばした。
「「消えなさい」」
刹那。
突然に、雷撃が空気を切り裂いた。
光線が膨張し、飛散する。
猛烈な火柱が直立し、激しい熱風を噴出する。
爆裂音が、嵐のように街道を突っ切る―――!
…それは、あまりにも一瞬の出来事であった。
「…な…」
次の瞬間、オルセ、カッキュ、スィクは、自身の目を疑い、愕然とした。
先程いた筈の巨人も、死霊もそこにはいなかった。
ただ、彼等のいた場所には、円形の小さな影のような、存在と焼失の結果だけが大地を焦がしていた。
「…炎系高度魔法?雷と組み合わせ…?詠唱もなく?」
カッキュが眉間に皺を寄せて、その現実を口にした。
ゾッとする。なんて強大な力なのか。
これが、魔聖霊――。
オルセは、イェズガルドを見上げた。全くもって、平然としている。だが、
「聖王!」
セリスが、ジジの体を支えている。ジジの顔は、すっかり青ざめている。
「…ほんに、容赦ないのぅ。」
ジジは咳き込みながらイェズガルドを睨んだ。
イェズガルドは遠くを眺めてジジを無視している。どうやら、魔聖霊の魔法の付加は、そのまま魔聖霊を召喚したものにかかるようだ。
オルセはジジに歩み寄ると、すぐさま剣を下ろし膝をつき、躊躇なく額衝いた。
「聖王様。お力添え、まことにありがとうございます。何卒、様々な無礼をお許し下さい」
オルセは、頬が熱くなるのを感じた。
まさか聖王だったとは。
知らなかったとはいえ、ジジをただのモグリの魔法使いの老人だと思い接していた事に、オルセは青ざめ、恥じた。
なんという失態を犯してきたのか。
「…顔をあげては下さいませんか。わしはただの老いぼれですじゃ」
ジジが酷く困ったような声を出した。それをセリスが正す。
「なりません。貴方はイェズガルドを召喚いたしました。貴方は既に聖王です」
それは明らかな聖園管理人の戒めの言葉だった。ジジはうつ向き、溜め息を噛み殺した。
…と、遠くの景色を傍観していたイェズガルドが、ふぃに言葉をついた。
「アンタ達、そんな形式じみたお遊戯やってる場合じゃないんじゃなくて」
「アレを見なさい」
イェズガルドの言葉に、全員が彼等の視線の先を見た。
街の外れの墓地。
オルセは、身体中の血が地獄の底に沈められたように感じた。
そこには、誇り高き竜の巨像が、赤く燃えていた。