第二十話
死霊達の、まるで遊びに興じる子どものような背を見失わぬよう、ガアプは狭い路地を駆ける。
今にも暗がりに足をとられてしまいそうになりながら、それでも交錯させる。
街の静脈を走るような、うねる道は、やがて石畳では無く、踏み固められた土に変貌していった。
更なる闇の外れへと、誘われているのか。
次第に両手に広がる建物が減少し、ついにはただの田畑と移る。家々の密集地は、既に背後であった。
その頃に漸く、この道が何処に続いているのか、ガアプは悟った。
―――悪趣味極まり無い―――
そこは、墓地へ続く街道であった。
ひとつの竜の巨像へと道がのびており、道の横には小さい竜の石像が並んでいる。それよりいくばかりか大きい竜の像が、円を描き巨像を囲む。
巨像は、ガアプの背丈の実に三倍以上はある。
エアドラドの多くの地域は、土葬でなく火葬である。
死した者は燃やされた後、この竜の巨像の下に集められ、巨像の下にある巨大な地下室に納められる。皆、ここで静かに眠る。
ふざけている。
ガアプはついに、竜の像の円の中へと入った。
猛烈な風が天をめぐっている。雲は漆黒の炎のように流れている。雲に隠されていた月が、ふいにその肌を露にした。
月光に照らされ、闇の中から巨像の前に立つ者の姿がくっきりと浮かぶ。
男だ。
黒衣に身を包み、定かではないがほくそえんでいるようだ。螺子曲がった猫背が、厚い布地に覆われていても分かる。
背後に、数十の死霊になった街人を従えており、街人の幾人かは槍や剣などの武器をぶらぶらと両手で揺らしている。
「…何者だ」
男がにんまりと口を歪めると 、茶色に汚れた歯が、ぬめぬめと月光を撥ねた。
「ガアプ、お前ガアプだろう」
男はそう呟くと下品な笑声を出した。意外にも若々しい声質だが、それは喘息に似て、不快なものであった。
ガアプは沈黙のまま、男の横に放置された子ども達を確認した。ぐったりとしてはいるものの、確かに息はしているようだ。
「…聞こえないのかぁ!お前ガアプだろぉーー!この老いぼれ騎士がよぉーー!!」
男が、努声をあげる。どうやら、かなり沸点の低い男のようだ。しかもこの男は、ガアプが騎士だと知っている。
この男、一体…。考えを巡らせながら、ガアプは答えた。
「…そうだ。私の名はガアプという。」
その返事に、男は手を叩いた。
「ガアプ!やったぁ!ガアプ!」
そして、
「じゃあ死ね」
男の言葉に、首輪が外された飢えた犬のように死霊が放たれた。その牙は、勿論ガアプに向けられている―――。
「むぅ…!」
ガアプは気合いを入れると、自ら死霊の荒波へと飛込んだ。
ガアプはまず、首に噛みつこうと顔を寄せた死霊の腹部を正拳突きし、吹き飛ばした。死霊の群れが、一気にその列を乱し、或いは崩れる。
ガアプは更に踏み込む。
今度は回し蹴りを行い、ガアプを囲んでいる死霊を弾き飛ばす。円を描き死霊が崩れる。
後ろに潜んでいた、武器を持った死霊達の刃が煌めく。
ガアプはその乱雑な打ち込みを一瞬でみきると、その刃と刃の間にスルリと入り込む。
剣を持った死霊の一人の手根骨を上から手刀で打つ。死霊の手から反動で落ちた剣を握ると、そのまま死霊を蹴る。
そして上腕に力を込め、叩き斬る!
「…あぁ〜?」
黒衣の男はうめくと、頭に触れた。フードのように男の顔を隠していたそれが、黒の両翼を広げた。それは、烏であった。
烏は男の頭から離れると、弧を描き男の周囲を飛び回りながらゲェゲェと鳴きわめく。
男は、烏の作り出す風の中で、がりがりと乱暴に頭を掻きむしり、ぶちぶちと髪を抜き、じたんだを踏んだ。
「…あんだよっふざけやかってぁぁ…!」
男の苛立ちを剥き出しにする姿を、ガアプは死霊の肩と肩の間から見た。
と、光が突然に瞬いた。瞬時に、体を捩り、かわす。
爆裂音。
ガアプが先程まで足をとめていた大地が輝き、次の瞬間吹き飛ぶ。
「魔法…」
厄介な相手だ。死霊を操り、しかも魔法まで使うとは。
だが、ガアプの脳裏には引っ掛かるものがあった。
死霊を操る方法を知っているという事は、魔法の知識をある程度持った上で、更に独学か裏で学んでいるのだろう。
魔法を学んでいるのなら、魔法学校に属していた可能性がある。魔法学校を落ちこぼれ、闇に手を染めたのか?
だが、死霊をこんなにも操る点をみると、相当の使い手である。成績がかなり優秀であった筈だ。だが、男の様子や使役の仕方を見ると、魔法戦術を含む魔法の知識にたけているとはとてもではないが、思えない。
…そんな事よりも、男は何故「竜の血飲み子」そして「騎士ガアプ」を知っているのか。
「竜の血飲み子」を探す内に「名を失った騎士の存在」そしてそれは「金獅子ガアプ」という事象にたどり着いたとでも言うのか?
この男が?そもそも何故、血飲み子を狙う?
そしてガアプは、気付いた。
―――これは、組織的なものだ。
血飲み子を追ってガアプに辿り着いたのか、ガアプを追って血飲み子に辿り着いたのか、それとも両者を追っていたのかは分からない。
だがどれにせよ、この広いエアドラドから、たった三年でこの男が血飲み子とガアプを見つけたとはとても考えられない。
ならば、この男は何者かが仕向けた下の人間かもしれない。また、ガアプをそもそもの狙いとしていたのだとしたら、一天三身の…多分、盾の、それも地位が高い人間が絡んでいるのだろう。
――なんて、厄介な――
「死ねよ、死ねよ、何で当たらないの?!」
男は魔法を弾きながら犬のようにわめき続けている。
男の放つ魔法は敵味方の焦点さえも乱雑なもので、男の魔法により何体もの死霊がその体をえぐられてゆく。
無論、痛みを感じない死霊達は、魔法で腕や足といった体の一部が吹き飛んでも、ガアプにその牙を向ける。
ガアプは魔法弾の間を抜け、次々と死霊に剣を振るう。
その刃は、恐ろしく正確に死霊の首を撥ね、或いは心臓を突いていく。
だが、この緻密な動きが長く続かないだろう事を、ガアプは知っていた。
体が思うように動かない。そればかりか、重く感じた。
自分は剣の代わりに鍬を振るい過ぎたのだと、痛感していた。
だが、ここで終るわけにはいかない。諦めたら最後、ガアプのみならず血飲み子の命さえ危ういだろう。
ここで倒れるわけには、ゆかぬ…!!
「あんだよ、なんでだよ、ふざけんなよ!!」
ガアプが死なない事に、そして魔法が当たらない事に、黒衣の男は罵声をあげた。見境無く、次々と魔法を放つ。
男の頭上を、ギャアギャアと烏が叫び飛び回っている。殺人を促すような、頭に響く、汚らしい、音。
ふと、ルキの体がびくん、と痙攣した。気が付き始めたのだった。
薄目を開けて、小さくうめく。
そして、一気に目を覚ます。
「……あ、ぅ…。」
その小さな赤い瞳は、信じられぬ光景を映した。
わけもわからず、混乱した頭で、横に倒れるアーシェの肩を激しく揺する。
「アーシェ!起きて!」
小さく寝起きのような声を出して、アーシェが瞳を開いた。
そして、直ぐ様、ルキに抱きつく。
「……!」
アーシェは恐怖に顔を引きつらせ、人垣の向こうのガアプを見た。全身がガクガクと震える。疑問が頭を駆け回る。
おじいちゃん…何故剣を、振るっているの?
…どうして、人を殺しているの?
あなた方に、大切な事を、伝えなければなりません。
なあに、お母さん。
もうすぐ、ある御方が、この場所にいらっしゃいます。
ある、御方?
よいですか、何があってもその方に付いてゆくのです。
その御方は、あなたたち二人を、導く者です。
導く、者?
ええ、その御方はあなたたちを守り、
愛して下さる御方です―――。
お母さん、
おじいちゃんが、
死んじゃうよ…。
「…やだ。」
ガアプの背中を、容赦なく剣と槍が打ちつけ、切り裂いて、ゆく。
「やだ。」
その肉を、爪と歯で噛みつき、食らってゆく者が、いる。
「やだ。」
あかい、
あかいあかいあかいあかいあかい。
あかいあかいあかいあかいあかいあかいあかい……!!
あかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかい…………!!!!
「やだぁぁぁぁ!!!」