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第十六話

「…そうして、魔法使いアランは姫を救い、王様になりました、めでたしめでたし…」

 ジジは魔法物語の魔法使いアランの章に栞を挟むと、ゆっくり分厚い魔法物語の本を閉じた。


 ちらりと見ると、子ども達の反応は様々である事が窺えた。

 アーシェの目はキラキラと瞬き、ルキは何でもなさそうな顔をしていて、ディノはすっかり眠っている。

  全く性格が違う兄弟である。


「素敵だわっ魔法って!ああ、私もアランみたいな魔法使いになりたい…」

「つまり、王様になりたいんだね」

 ルキの言葉に、アーシェがキッと横目に見る。

「ルキって本当に夢がないっ。でも、確かにそうね。それに、魔法使いが王様になれるわけないわ…物語だもの」


「なれるとも」

 の突然な言葉に、二人がハッと顔を上げた。


「ふふ、今のエアドラドの王、レマは元々は魔法使いなのじゃよ」「「本当っ!?」」

 途端に元気になる二人に、ジジはゆっくり首を上下に振ると、

「あぁ、本当じゃよ。正確には、聖なる者じゃが…」

「「聖なる、者?」」


 ジジは、本棚に魔法物語を納めると、かわりにエアドラド歴史書、と書かれた本を取り出した。

「…これには、エアドラドの歴史が記されておる」


 ジジは最初の頁を開いた。タイトルの上に、一枚の挿絵が載っている。革命の王、ヒルドと記されていた。

 右目を眼帯でかくし、左目は燃えるように赤い。鷹揚と一本の剣を両手に大きく掲げており、背に大きな神竜が描かれている。


「これが、初代の王ヒルドじゃよ」

「知ってる。母さんから聞いた」


  気付くと、二人の目は真剣そのものであった。いつの間にか、ディノが起きてヒルドをつついている。

「ほぅ、キリアさんがのぅ…」

「違う。本当のお母さん。」

 安穏と相槌つジジに、アーシェがきっぱりと言う。ジジは軽く眉をひそめると、何も詮索せずに続けた。

「神竜の血を飲んで育ったそうじゃ。真っ赤な目はその証と言うがどうだか分からぬよ。目が赤い子は獣人にはよくおるし、時折ヒュームにも産まれおる。お前達のようにじゃな」


 ちらりとジジは三人の子どもの瞳を見た。三人とも、赤い目をしている。挿絵の、ヒルドのように。

「ヒルドは革命を起こしたのじゃ。獣魔人革命と言ってな、それまで人間としてではなく、獣や奴隷として扱われておった獣人や魔人の、人としての権利を訴えたのじゃ」


「…人として扱われなかった…。」

 ディノの言葉に一瞬顔を曇らせ、ジジはかぶりを振った。

「そんなものではない。正に獣以下、石ころ以下じゃった」


 ジジは更にページを捲った。

 エアドラドの国地図。皺くちゃの固い指先は、皇都シオンの真ん中をさした。

「エアドラド城。世界でも有数の美しき竜の城。ここには昔、悪いヒュームの王様がいた」

 指先は更に、城の周りの大きな湖をくるりとなぞる。


「アルタナ湖。世界最大と言われる人工の湖。悪い王は獣人、魔人、反抗的なヒュームに城と湖を強制的に作らせた。男も女も子どもも老人も関係なく、粗末な餌に汚水を飲ませ、痩せた体に鞭を打ち休みもなく働かせ、毎日何人も何人も死んだ」


 ジジの目は悲しみに沈んでいる。

 この樹の魔人は、その長命さから、もしかしたらその場にいたのかもしれない。思い出を語るような、悲哀に満ちたさえずりだ。

「やがて城が出来た。それから数年後、湖が出来た。人々はやっと解放されると思うた。彼等の多くは貧しい農民じゃった。重い税と赤貧に苦しむ日々の方がまだ幸せじゃったから。皆、村に帰れると思っておった」

 子ども達は、皆不思議そうにジジを見上げた。

「…帰れなかったの?」


 ルキの憶測は残酷にも正しかった。ジジは重く息を吐くと、指を移動させた。

 城、アルタナ湖、アルタナ湖に注ぐメルン川。水門。

 水門に指は止まった。

「奴隷達が、王に命ぜられ水門を開けた」

 水門、アルタナ湖に注ぐメルン川、アルタナ湖、城。

「ここで王族は宴をし、獣人、魔人が突然の水に逃げ惑い、流されてゆくのを見下ろしておった。死んだ人間の数は、数百万とも、数千万ともいわれておる。湖の底に、皆が沈んだ…皆、死んだ…」


 子ども達の息を飲む音が、僅かにページをゆらした。三人とも、怒りにうち震えているようだ。そう、その姿は、その時のヒルドそのものだろう。

 いや、ヒルドは…


「ヒルドだけが、生き残った」

 ヒルドはヒュームだった。彼はだが、獣人魔人を愛していた。

 彼は彼等が人間だと知っていた、理解していた、認めていた。

 だからこそ、ヒルドは革命の準備をしていた。それが、王の密偵の一族、風馬に悟られた。


「革命を企てていたヒルドと、その仲間を根絶やしにする為に、そして戒めの為に、王族は人々を沈めたのじゃ。」

 だが、ここに誤算があった。

 ヒルドは生き残った。

 そして、無慈悲な王に絶望した風馬の長がいた。

 風馬の長こそが、ヒルドの命を救ったのである。そして彼を匿った。うちひしがれ、絶望していた 彼に、懺悔と共に喝を入れた。


「立ち直り、ヒルドは風馬の長と和解し、義兄弟の契りを結び、国中をかけずりまわり、力を蓄え、そして革命の狼煙をあげた。国事犯の牢獄に使用されていたイリバスト城塞を襲撃し、解体したのじゃ」


 革命の火は瞬く間に広がった。

 人々は、王の元に蝟集した。手に手に頑丈な棒や、鍬や鋤やらを掲げ、暴徒と化して。

 それが生き残る為に残された、唯一の方法であり、人間の自覚だった。

 力への意思が燃えたぎり、革命王・ヒルドは叫んだ。


「我々は、人間だ!!」




「かっこいいっ」


 アーシェが嬉しそうに手をたたいた。ジジはにんまりと口を右にあげた。


「絶対血縁王制の定義は、実質、その日に崩れたのじゃよ。ヒルドは王になったが、ヒルドが王になった理由は、革命を起こした者としての責任を払う為じゃ。すぐにヒルドは、王とは血ではなく、優れた者が司る、と王制のシステムを作り替えた。王の剣、盾、杖により選ばれた…な」


 何、何、と子ども達が一斉に説明を要求する。まるで、親鳥に餌をねだる雛のようだ。幼い頃の知的欲求は、食欲と同質の渇きをもっているのかもしれない。

 ジジは三人を順に見ると、更にページを進めた。


 今度は、美しい正三角形の中点に冠が、各頂点に剣、盾、杖が描かれた挿絵がのっていた。ジジのカサカサの指が紙と摩擦して、柔和で柔らかな音を奏でる。


 剣。

「警護と秩序を司る。つまり、騎士などのお仕事じゃな。ここの王さまは護王と言いよる」


 盾。

「政治を司る。国の約束事をみんなで話し合う。この王さまは治王じゃ」


 杖。

「法律を司る。聖なる者もおるな。聖王」


「これらを三身といい、王を一天と言う。三身が王を選ぶのじゃ。現王レマは元々は前王アレオンの妻じゃったが、妻じゃから王になれたのじゃあない。この三身に選ばれたのじゃ。そして王は…」


「…ジジ、ジジ」

 ディノが机を揺らし手をあげている。

「なんじゃ?ディノ」

「せぇなるのって何っ」

 ディノが興奮ぎみに訪ねたのを、ルキが驚きぎみに答えた。

「え、ディノそんなこともしらないの?聖なる者は魔法使いだよ」


「ちっが〜〜〜うっ!!」


 いきなりのジジの大声に子ども達は一気に目を落ちそうなくらいに開いた。

 その様子にジジは赤面し咳き込むと、更にページをめくった。


「聖なる者は聖なる力を持つものじゃ。魔法使いじゃあないわい」

 そういって、ジジが開いたページには、竜の城のある島の地図。ジジの指の先は城の隣である。

「ここが彼等の住んどる所じゃな、聖園という。聖なる力とは治癒など魔法では出来ない事が出来る。元々は様々な地方におったが一ヶ所に集められるようにのうたのは、日中は太陽の光で押さえられておるアルタナ湖に沈められた人々の怨念を、毎夜癒してゆく為じゃ。怨念は魂の歪みであり、癒された怨念は空に上れる。これはアベドルト平原にもいえる事じゃ。アベドルト平原は改心した風馬の長がアベドルト平原に渡りて聖なる力ではないのじゃが聖なる……」


 すでに、子ども達は何が何だか分からなくなっていた。


 アーシェとルキは、まるで苦いものを噛むよう言われているような、ディノにいたっては泣きそうな顔である。

 だが、そんな事には気付かず、一心にジジは本に向かって説明をしている。

 ジジは教えるのが好きなようだ。狂ってると言っても差し支えがないくらいに。

 気持に火がついてしまったらしい老人は、熱に浮かされ、有り得ない加速度で舌を回してゆく――。


 と。

『カラン、カラン、カラン』


「すみません、オルセです」

「おやおや、もうお迎えの時間じゃな。時が経つのは早いのぅ」

 ジジとは逆に、時間が経つのは遅い、と苦痛と共に思い始めていた子ども達は思わず、互いの表情を見た。にやり。


 ジジは残念そうに本を閉じると、部屋の扉を開けて玄関へと歩み出した。子ども達も一斉に駆け出す。いつの間にやら、ジジを追い越して。



「わ、おじいちゃんっ」

 玄関には普段迎えに来るオルセの他にガアプがいた。

「おや、これはこれはガアプさん。お話はかねがね…」

「お初にお目にかかります」


 そう言って、ガアプは深深と頭を下げた。ジジも続く。

「じー、今日、王さまの事ならったよ」

 ディノはガアプの足に掴んで体重を乗っけた。

「そうか。…いつもありがとうございます」

「いえいえ、ただのお喋りな年よりの道楽ですじゃ。」

 ジジはそう言うと照れたように鼻を掻いた。


 ふと、ガアプは、心に引っ掛かるものを感じた。

 …何処かで…

「何処かで、一度お会いしませんでしたか?」

 ガアプの言葉に、はて、とジジは首を傾げた。そして、

「申し訳ないのじゃが、覚えがありませんのう。…はじめましてですじゃ」

 ジジは微笑んだ。


「おじいちゃん、早く!」

 ガアプは心に引っかかりを感じながらも、子供達の催促の声に押されるように玄関を出た。


「ガアプさん」

 ジジが、ふと思いついたように声を出した。

「裏の道を通ってお帰りなされ。花畑がありましてな、丹精込めて子供達と育てたものなんじゃが、これがなかなかでしてな」

 子供達が一斉に咲いたの?と声をたてた。ジジは微笑んで首を上下する。


「花畑ですか。行きましょうよ」

 オルセの言葉に、弾かれる様にして子供達が走り出した。

「・・・では」

 ガアプはジジに頭を下げると、子供達の背中に早足で続いていった。

 ジジの強い視線を、背中に感じながら。



 風景が柔らかに背後へと駆けて行く。

 子ども達は瞬く間にいくつもの風を切った。

 すぐに、花の力強い芳香が、した。

 ジジの家に隠れるようにして広がる畑に、その花達は咲き誇っていた。


 黄色。赤。白。

 極上の色彩世界。

 山陰に下ろうとしている鮮やかなたそがれの光の帯に彩られ、しなやかに風に揺れる。


「見事なものですね。遠回りになりますが、うん。これはそれだけの価値はありますね」

「ああ、素晴らしい」

 子ども達が兎のように跳ねながらだんだん進むのを、オルセが転びますよ、と注意するのを、まるでガアプは夢の中で聞いているように感じた。


 心に、棘があった。

 それが、ちくちくと痛む。

 幻想的な景色の中、ぼんやりとその正体を探しても、まるで分からない。

 目の前の美しい無数の花花から、灰色の花を一本見掛けてしまったように。心にぽつんと、雨の滴がおちたように。


「おじいちゃん…!」

 痙攣。

 足元に、アーシェがいた。

「はい、これ」

 差し出されたものに、ガアプはひざまずいた。アーシェの両手から、ガアプの白髪混じりの頭の上へ。…それは、花の冠であった。


 戴冠式の、ようだ。


 アーシェの頬が、林檎よりも赤く誇らしげに綻んでいた。

「あなたは、王の杖、剣、盾に選ばれました」

 ふと、目頭が熱くなった。何故だ?

「おおせの儘に…」

 立ち上がり、アーシェを抱き締めて抱えあげた。また少し、重くなった。


「王の杖、剣、盾を学んだのか」

 ガアプの言葉に、頷く。

「王は、三身に選ばれるんだって。わたしね、ずっと王様って血で選ばれると思っていたの。だからね、とても嬉しい。だってそれって平等で、正しくて、素晴らしい事だと思うのっ」

 ―――何?


「…ジジさんは、そう教えてくれたのか?」

「とても凄い人なのね、革命の王ヒルドさんって。わたし、好き!」

 アーシェの幸せそうな顔に、ガアプは苦いものを感じた。


 ―――あの老人は、そう教えたのか。


 それは多分に詳細で、だが間違っている。

 ガアプはそう言おうとして、だが言葉を飲み込んだ。否定してどうなるのか。


 確かに歴史の書や法では、王は血で選ばれないとされている。三身が、平等に選ぶと。

 だが、実際は違う。

 この国が生まれかわってから、王は皆、ヒルドの末裔かそれらの血族、あるいは親族である。三身は、その中から選び続けているのである。

 ヒルドは望まなかったろう現実は、あまりにも彼が突出した男であったから生まれたと言える。

 まさに、王と呼べる男だったのだろう。虐げられた人々が、或いは王を奪われた人々が、すがりついた男。だからこそ、皮肉にも矛盾は産まれたのだ。


 この国は、ヒルドの血に今だすがり続けているのである。

 それに異論を吐いていた過去の自分。そして今、反逆者の汚名を着せられ、命を狙われている、自分。

 まさに、腐敗―――。


 だが、そんな事を子ども達に語ってどうするのだ?

 平等を否定しなくとも、彼等はこれから大人になるに連れ、嫌と言うほどその矛盾をつきつけられるだろう。

 無論、教えない事が罪になりえる事は、ガアプ自身しっていた。

  だが、この笑顔を壊してまで教える事だとは思えなかった。


「きっと、レマ様も素晴らしい方だわ。わたし、会いたい」


 瞬間。

 ズキリ、と。

 棘が心の臓の壁を食らった。

「ああ、そうだな。きっと素晴らしい方だ。…きっと」


 ガアプは、幸せだ。

 人は、金や地位など無くとも、例え鳥籠のように狭い世界でも、幸福を歌うことが出来る。

 自身の中に、幸福の青い鳥を容易く飼育する事が出来る。


 愛しい子ども達に囲まれ、愛や夢や、或いは希望に胸を膨らます。

  至福という名の、幸福で美しく、平凡な日々。 甘く、優しく、抱擁されるような日々。


 ガアプは、幸せだった。


 鋭い棘から、細く線を描いた血にさえ、無意識に目を瞑ってしまうほどに。



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