第3話|賄い革命
朝の光が厨房の窓から差し込み、銀色の調理器具をやわらかく照らす。
リゼリアは、まだ少し緊張しながらも、この屋敷での生活に慣れつつあった。
「さて……旦那様が好きにして良いと仰ったとはいえ、いきなり食事を変えるなんて言ったら、料理人のプライドを傷つけちゃうわね」
前世でも、会社でベテラン調理師に「能書きばかり言う小娘」と言われたことがあった。
彼らには、第一線で培った誇りがある。
何かを変えるなら、まずはその中に入っていくこと。もしくは、自分の考えを柔軟にすること。
それが長年培ってきた持論だ。
とはいえ、今世は元公爵令嬢――今は公爵夫人。
「不審がられないよう、まずは賄いから整えましょうか……」
小さくつぶやき、リゼリアは厨房の扉を押し開けた。
目の前には、元宮廷料理長で今はレヴァンティア家の料理長、グレゴール・ハイネマンが立っていた。
大柄で白髪混じり、腕組みをしてこちらを見下ろすその姿に、思わず背筋が伸びる。
「令嬢が口を出すとは……」
不満げな声が静かな厨房に響く。
しかしリゼリアは微笑み、現世で培った給食の知識を思い出す。
栄養バランス、手際の良い段取り、そして何より、食べる人の心を温めること――。
これをここで生かせる。
そう思った瞬間、胸が少し高鳴った。
「少しだけ、皆さんのお食事のお手伝いをさせてください」
慎重に、しかし確実に、まかないの配置や調理の手順を整えていく。
残り野菜や肉の切れ端を活かしながら、チャーハンを手際よく仕上げる。
見たこともない料理を、見たこともない手順で貴族の婦人が作り上げる様子に、厨房中の視線が釘付けになった。
出来上がると、料理長と数人の料理人に味見をお願いする。
その時、グレゴールが腕組みのまま少しだけ前に身を乗り出した。
「……なるほど、あなたのやり方も悪くないな」
普段は厳しい表情の料理長の口から出た、予想外の言葉。
「手順は少し独特だが、味は確かだ。栄養のバランスもよく考えられている」
腕組みのままではあるものの、わずかに眉を緩め、目の奥に興味の色が見えた。
リゼリアは小さく微笑み、深くお辞儀をする。
「ありがとうございます。少しずつ、皆さんの力を借りながら、皆さんのお食事を整えていきます」
厨房の空気が、ふわりと柔らかくなった気がした。
「よし、あなたが手伝うなら、私も協力しよう」
グレゴールの声に、他の料理人たちも自然と肩の力を抜き、わずかな笑みが広がる。
その時、カイルが口を挟んだ。
「ただし……落ち着くまではです。リゼリア様は当家の奥様です。アーヴェルン公爵家からも、嫁ぎ先で使用人のように働かせていると抗議が入るかもしれません。ずっと厨房にいられるわけではありません」
その言葉に料理長は苦笑し、小さく愚痴をこぼす。
リゼリアは穏やかに答えた。
「私が好きでやりたいのです」
一瞬の間のあと、カイルも続ける。
「それに……チェリースノーお嬢様の義理とはいえ、お母様でもあるのです。ずっと厨房にいられては困ります」
リゼリアはグレゴールと目を合わせ、やれやれといった様子で頷いた。
この場所を整え、家族を支える力になる。
胸の奥に、小さな決意が静かに根を下ろした。
その日の昼食、使用人専用の食堂では、リゼリアの料理が振る舞われた。
少しずつ、食堂に笑顔が戻っていく。
「おいしい……!」
湯気の向こうから、使用人たちの小さな感嘆の声。
その一つひとつが、胸にじんわりと温かさを運ぶ。
リゼリアはふと、食卓で横に座るチェリースノーを思い出した。
笑顔が増えるたび、あの子への愛情もまた深まっていく。
この日をきっかけに、使用人たちの食事は少しずつ整えられ、体調や表情にも明るさが戻っていった。
食堂には、以前よりも和やかな空気が流れるようになる。
それは、リゼリアが公爵夫人として、家族と屋敷を支えるために踏み出した――確かな第一歩だった。
夜。
その様子を見守っていたカイルは、執務室で主人であるディアスに報告していた。
「リゼリア様の料理で、使用人たちの食事も整い、皆の顔にも笑みが増えています。
体調が良くなったと話す者もおります」
ディアスは言葉少なに頷き、その硬い表情の奥に、わずかな安堵の色を滲ませた。




