第11話|不器用な告白未満
夜は、思いのほか静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、屋敷は穏やかな気配に包まれている。
小さな談話室。
暖炉には控えめな火が入り、赤い灯りがゆらりと揺れていた。
リゼリアは銀の小鍋でミルクを温める。
焦がさぬよう、ゆっくりとかき混ぜる。
甘い湯気が立ちのぼる。
蜂蜜をひとさじ落とすと、やわらかな香りが広がった。
豪華ではない。
けれど、一日の終わりにふさわしい温もり。
「まだ起きているのか?」
低い声。
振り向くと、扉の影にディアスが立っていた。
外套を脱ぎきらぬまま、少しだけ疲れた表情。
だがその目は、穏やかだ。
「お仕事が長引くと思いまして」
カップを差し出す。
白い湯気が、二人の間に柔らかく漂う。
ディアスは椅子に腰を下ろし、カップを受け取る。
両手で包み込むように持ち、しばし湯気を見つめる。
一口。
静かに喉が動く。
その瞬間、肩の力がほんのわずかに抜けた。
重たい鎧を脱ぐように。
「……お前が作るものは」
言葉が途切れる。
珍しく、視線がテーブルの木目へと落ちた。
指先が、カップの縁をなぞる。
「……安心する」
それだけ。
飾らない声。
けれど、そこに嘘はない。
安心。
戦場でも政でもなく。
家で、妻に向けて出る言葉。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
「それは……嬉しい言葉ですね」
静かに微笑む。
鼓動は、隠せないほど早い。
ディアスはわずかに眉を寄せる。
「私は……」
続きかけて、言葉を飲み込む。
言葉にするには、まだ不器用すぎるのだろう。
だが沈黙は重くない。
同じ空間にいることが、自然になっている。
そのとき。
と、と、と。
小さな足音。
扉がそっと開く。
「お父さま……?」
寝間着姿のチェリースノーだった。
目をこすり、涙の跡が光っている。
「こわい夢をみたの……」
ディアスはすぐに立ち上がった。
椅子の脚が静かに床を擦る。
しゃがみ、娘の目線に合わせる。
「どんな夢だ」
低いが、やわらかな声。
「さみしい夢……」
一瞬、ディアスの表情が揺れる。
すぐに、腕を差し出した。
「ここにいる」
抱き上げる。
ぎこちない。
だが確かな力。
娘は父の胸に顔を埋める。
その小さな背を、ゆっくりと撫でる大きな手。
不器用でも、守ろうとする手。
リゼリアは、息を静かに吐く。
この人は、ちゃんと父だ。
そして。
この人は、家族を手放さない。
「少しだけ、温かいものを」
ミルクをもう一杯、薄めにして注ぐ。
三人で小さなテーブルを囲む。
娘は父の腕の中で、こくこくと飲む。
やがて瞼が重くなり、ゆっくりと閉じていく。
その様子を、二人で見つめる。
言葉はない。
だが、視線が重なる。
守る覚悟。
共にある決意。
それが、静かに通じる。
侍女に娘を預けた後。
再び、二人きり。
暖炉の火が、ぱちりと音を立てる。
ディアスはしばらく炎を見つめてから、ぽつりと呟く。
「……悪くない」
「何が、ですか?」
「こういう時間も」
わずかに口元が緩む。
告白ではない。
けれどーー
戦いの外で、安らぐ時間を受け入れた証。
リゼリアはそっと頷く。
恋としては、まだ不器用だ。
触れた指先も、視線も、慎重すぎるほど。
だがーー
母として、妻として。
愛は、確実に形になりつつある。
暖炉の火が揺れる。
二人の影が、また少しだけ近づいた。
家族の形は、静かに。
だが確実に、変わり始めていた。




