第八章:血と熱の再会
その夜、救急センター内は、降りしきる雨の音さえ掻き消すような怒号と足音に支配されていた。
大型トラックと歩行者の接触事故。
無線から流れる緊迫した情報に、私の背筋を冷たい汗が伝う。
「救急隊、現着します! 三十代男性、意識レベルJCS三桁、血圧低下!」
自動ドアが開き、土砂降りの雨の匂いと共に、血の混じったストレッチャーが滑り込んできた。
私は救急救命士として、搬送された患者の傍らへ飛びつく。
「搬送中、Vf(心室細動)一回! 除細動実施済みです!」
救急隊員の声に短く応じ、私は喉を鳴らして、挿管の準備を急いだ。
泥と血に塗れた、一人の男性。
呼吸は浅く、死の影がその輪郭をなぞっている。
私は迷うことなく、彼の顔に付着した泥と凝固した血を、濡れたガーゼで強く拭い去った。
その瞬間。
私の指先から、世界の全ての感覚が消失した。
視界の端々が白く明滅し、鼓動が耳元で暴力的なまでに鳴り響く。
「……うそ、でしょ……」
そこに横たわっていたのは、私がこの数年間、片時も忘れることのできなかったあの人の横顔だった。
「どうした、早くしろ!」
医師の叱咤に、私は弾かれたように我に返った。
私情を挟む余地など一秒もない。今、目の前にいるのは「幼馴染」ではなく、私が繋ぎ止めるべき「患者」だ。
けれど、震える指先が、彼の肌に触れるたび、あの三月の夜の記憶が、焼けた鉄のように私の脳裏を焼き尽くす。
あの時も、彼はこうして私の腕の中にいた。
あの時も、私たちは別れの予感に震えていた。
けれど、こんな形での再会を、誰が望んだというのか。
「……お願い。戻ってきて。行かないで」
処置を続けながら、私は声にならない叫びを繰り返していた。
職務としての冷静さと、一人の女としての絶望が、私の内で激しく衝突する。
彼の心電図モニタが、無慈悲に波形を乱し、アラーム音が部屋中に響き渡る。
心停止。
医師が胸骨圧迫を指示するより早く、私の身体が動いていた。
彼の胸に両手を重ね、渾身の力を込めて押し込む。
私の体温を、魂を、全て彼に注ぎ込むかのような、祈りにも似た蘇生処置。
「まだ……好きだと言ってないのに……! 目を開けてよ!」
周囲のスタッフが息を呑む中、私は涙を拭う暇もなく、彼の命を繋ぎ止めようと必死に抗い続けた。
どれほどの時間が過ぎたのか。
機械的なアラームが止まり、モニタに規則的な波形が戻った瞬間、私はその場に膝から崩れ落ちそうになった。
「自己心拍、再開。……助かったぞ、よくやった」
医師の言葉が、遠い霧の向こうから聞こえる。
彼は搬送用のストレッチャーに移され、緊急手術のためにオペ室へと運ばれていく。
走り去るストレッチャーを見送る間、私はただ、自分の手のひらに残る彼の胸の、重く、硬い感触だけを噛み締めていた。
かつての柔らかな抱擁とは違う、死の淵を彷徨った者だけが持つ、峻烈な生命の余熱。
私たちは、再会した。
数年の沈黙を破り、お互いに今の恋人も、地位も、何もかもを失った状態で。
血と泥にまみれ、最も無防備で、最も真実の姿で。
「……おかえり」
誰もいなくなった処置室で、私は独り、そう呟いた。
頬を伝う涙は、あの夜の雨と同じ匂いがした。
けれど、私の心には、絶望ではなく、ある種の覚悟が静かに宿り始めていた。
もう二度と、この手を離しはしないという、傲慢なまでの決意。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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