終章:永遠の体温
退院の日の空は、雲一つないほどに澄み渡り、冬の冷たくも鋭い光が街を射抜いていた。
病院の玄関を出ると、彼はまだ少し不自由そうに足を引きずりながらも、私を探すように周囲を見渡した。
私は救命士の制服ではなく、あの三月の夜に彼に見せたような、柔らかな素材のコートを纏って彼の前に立った。
私たちは言葉を交わす代わりに、どちらからともなく手を伸ばし、指を絡めた。
向かったのは、新宿の喧騒を遠くに望む、静かな展望公園だった。
眼下に広がる東京の景色は、あの日、動画の中で私が戦っていた戦場であり、彼が孤独に削り取られていた檻でもあった。
「……これから、どうする?」
彼は街を見下ろしたまま、静かに問いかけた。
「まずは、実家に帰ろう。お父さんに、ちゃんと二人で会いに行きたいの」
「ああ。……今度は、幼馴染のふりじゃなくて、ちゃんと挨拶しような」
彼は少しだけ照れたように笑い、私の手を強く握り直した。
都会に背を向け、私たちはかつての自分たちが捨て去ろうとした「根源」へと、今度は二人で向き合う覚悟を決めていた。
もう、何者かを演じる必要はない。
私たちは、ただの私たちとして、新しい物語を書き始めるのだ。
数日後、私たちは地元の駅に降り立った。
ホームに漂う土の匂いと、冬の枯れ草の匂い。
実家の玄関を開けると、父はいつものように新聞を広げ、私たちの姿を見るなり「遅かったな」とだけ言って、少しだけ目尻を下げた。
直哉のこと、麻里のこと、そして都会での過ちと再生。
私たちは全てを隠さずに話した。
父は黙って聞き入り、最後には彼の手を握り、「生きててよかった」と、震える声で呟いた。
その夜、私たちはかつての卒業式の夜と同じ、街の外れにあるあの川沿いの道を歩いた。
冷たい風が吹く中、私たちはあの日のように「別々の道」ではなく、同じ未来を見つめて立ち止まる。
「……あの夜、本当は『行かないで』って言いたかったんだ」
「俺も、『ここにいろ』って言いたかった。……弱虫だったな、二人とも」
私たちは笑い合い、そして今度は静かに、決別のためのものではない抱擁を交わした。
彼の胸の鼓動が、私の手のひらを通じて伝わってくる。
かつての「痕をつけて」という願いは、今、彼が負った手術の傷跡と、私の手に残る蘇生の記憶として、一生消えない証となっていた。
それは呪いではなく、私たちが共に生き抜いたという勲章だった。
東京に戻った私たちは、小さな部屋で新しい生活を始めた。
私は救命士として、今日もサイレンを鳴らし、命の最前線へと駆け抜ける。
彼は広告の仕事に戻ったが、今度は虚飾のためではなく、誰かの心に届く真実を語るためにペンを執っている。
夜、疲れ果てて帰宅し、玄関の鍵を開けると、そこには彼がいる。
当たり前の日常。
かつての私たちは、この「当たり前」を手にいれるために、あまりに多くの涙と時間を費やした。
けれど、あの空白の数年があったからこそ、私たちは互いの体温がどれほど奇跡的なものであるかを、細胞の一つ一つで理解している。
「おかえり。……今日も、誰かを救ってきたのか」
「ただいま。……ううん。今日は、あなたに会うために帰ってきたの」
私たちは食卓を囲み、何気ない会話を重ねる。
窓の外、夜の新宿の灯りが星のように瞬いている。
かつての三月の雨は、もう降っていない。
私たちの内側には、あの日確かめ合った熱よりも、もっと静かで、もっと深く、そして決して冷めることのない永遠の体温が、確かに宿り続けている。
愛している。
その言葉は、もう空気に消えることはない。
私たちは、ようやく、自分たちの人生の主役になれたのだ。
(完)
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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