第九章:目覚めの告白
集中治療室の夜は、規則的な人工呼吸器の音と、点滴の滴る音だけに支配されていた。
私は、看護師としての職務を終えた後も、許可を得て彼のベッドの傍らに座り続けていた。
窓の外では、あの夜を洗い流すような激しい雨が、いつの間にか止んでいる。
白一色のシーツに沈む彼の顔は、酷く青白く、けれど、あの新宿駅の動画を見たときよりもずっと穏やかに見えた。
私は、震える指先で、彼の骨ばった手に触れた。
冷たい。
けれど、その奥には、私が必死に呼び戻した心臓の鼓動が、確かに脈打っている。
私の掌から伝わる熱が、彼の血流に混じり、命を繋いでいる。
その実感だけが、今の私の支えだった。
「……ん、……ここは……」
不意に、彼の指が微かに動いた。
重い瞼がゆっくりと持ち上がり、焦点の定まらない瞳が、真っ白な天井を彷徨う。
私は息を止め、彼が私を見つけるのを待った。
数秒の、永遠のような静寂。
やがて、彼の視線がゆっくりと降りてきて、私の瞳を捉えた。
「……ゆき、……か」
掠れた、消え入りそうな声。
けれど、その響きは、あの三月の夜に私の名前を呼んだ時と同じ、深い情愛に満ちていた。
「……そうだよ。私だよ。分かる?」
私は涙が溢れるのを堪え、彼の視線を真っ直ぐに受け止めた。
「動画、見たよ。……お前が、誰かを救ってるのを。……かっこよかった」
「……馬鹿。あんなの、見なくてよかったのに」
「会いに行こうと思って、……足が滑った。情けないよな」
彼は自嘲気味に口角を上げたが、すぐに苦痛に顔を歪めた。
私は反射的に、彼の胸元に手を添える。
そこには、私が蘇生処置でつけた、青い痣が残っているはずだ。
命を救うために、私は彼を傷つけた。
その痛みが、私たちの新しい絆の証のように思えた。
「もういいの。何も言わないで。……今は、生きててくれるだけでいい」
「……あの時は、ごめん。……好きだと言ったら、お前を縛ると思ってた」
「私も同じだよ。……あなたを自由にさせたかった。でも、本当は怖かっただけ」
私たちは、数年越しの「本当の言葉」を、一つずつ丁寧に拾い上げていった。
お互いに別の誰かを愛そうとし、都会の孤独に耐え、それでも結局、この場所に辿り着いてしまった。
それは逃れられない宿命であり、私たちが自分らしく生きるために必要な、あまりに長い回り道だった。
彼は、ゆっくりと自由の利く左手を動かし、私の手を握り返した。
その力は弱々しかったけれど、私の心に、かつてのどの抱擁よりも強い熱を伝えてきた。
「……仕事も、恋人も、全部捨ててきた。……今の俺には、何もない」
「私もだよ。……直哉くんとも、お父さんの期待とも、全部お別れしてきた」
「……笑えるな。……俺たち、本当に何もなくなったんだな」
「ううん。……命があるよ。私が、あなたの中に残した熱がある」
私は彼の手に自分の額を押し当てた。
もう、幼馴染という仮面は必要ない。
救命士と患者という境界線も、今のこの瞬間だけは、消えてなくなっていた。
窓の外、夜明けの光がうっすらと差し込み始め、病室の白さを際立たせていく。
それは、私たちが「昨日までの自分」を葬り、新しい一日を始めるための、祝福の光のように見えた。
「……ねえ、これからは、一緒に生きてもいいかな。……どこへも行かずに」
私の問いに、彼は答えなかった。
代わりに、握られた手に力がこもり、彼は深く、深く頷いた。
その瞳には、かつての絶望ではなく、再生への静かな光が宿っていた。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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