第5話:汚れた厨房と借金の味
王都の裏路地、湿った石畳の先に佇む古びた建物。
看板の塗装は剥げ落ち、『錆びないスプーン』という店名もかろうじて読める程度だ。
アリアは軋む木製の扉を押し開け、重たい空気が淀む店内へと足を踏み入れた。
「ただいま……。やっぱり、誰もいないわよね」
店内は静まり返っていた。
かつては冒険者たちで賑わっていたであろう客席には、埃が降り積もり、天井の隅には大きな蜘蛛の巣が張られている。
夕日が差し込む窓ガラスは曇り、この場所が長い間、客を迎えていないことを物語っていた。
「おいアリア! なんだこの惨状は! 客席に蜘蛛の巣だと? ここは廃墟か? それとも新手のカビ熟成庫か!?」
エッジの怒声がアリアの脳内に響き渡る。
潔癖症の魔剣にとって、この不衛生な環境は拷問に等しいようだ。
「うう、ごめんなさい……。お父さんが病気で倒れてから、お店を回せなくなっちゃって。掃除する余裕もなくて……」
アリアは申し訳なさそうに肩を落とす。
彼女が危険な迷宮に潜った理由、それは単なる小遣い稼ぎではなかった。
「父さんの治療費と、店の借金……。『黒曜銀行』への返済が迫ってるの。
今月中に金貨10枚を用意しないと、この店、取り潰されちゃうんです」
「黒曜銀行だと? あの王都で最も悪辣と噂される闇金ギルドか。……ふん、どうりで店から貧乏神の腐った口臭のような気配がするわけだ」
エッジは呆れたように呟くが、すぐにその意識を別の場所へと向けた。
彼にとって、借金よりも重大な問題が目の前にあるからだ。
「だが、今はそれどころではない。アリア、お前の腹の虫がさっきから大合唱しているぞ。まずはそのオーク肉を調理する。厨房へ行け!」
アリアは頷き、カウンターの奥にある厨房へと入った。
そこもまた、惨憺たる有様だった。
油汚れがこびりついた壁、黒ずんだコンロ。
「き、汚いッ!! 貴様、この環境で料理をするつもりか!? 食中毒で死ぬぞ! まずは掃除だ! 手始めにその調理台を磨き上げろ! 研磨剤がないなら砂を持ってこい!」
「ええっ!? 私、もうお腹が限界で……」
「黙れ! 不衛生な厨房で作る料理など、餌以下だ! さあ動け!」
アリアは空腹で震える体に鞭を打ち、エッジのスパルタ指導のもと、厨房の一角を必死に磨き上げた。
本来の目的である食事にありつけたのは、それから三十分後のことだった。
「よし、最低限の清潔さは確保した。フライパンを熱しろ。油は……なんだその酸化した油は! 捨てろ! オーク肉自体の脂を使うんだ!」
ジュワァァァッ!
熱したフライパンに分厚いオーク肉を乗せた瞬間、暴力的なまでの香ばしい匂いが厨房内に爆発した。
エッジの『呪いの旨味共鳴』によって熟成された肉は、焼くだけで極上の香りを放つ。
「いいか、肉の表面を焼き固めて旨味を閉じ込めるんだ。音を聞け! チリチリという音が、パチパチという高い音に変わる瞬間……今だ、ひっくり返せ!」
アリアは言われるがままにフライパンを振る。
不器用な彼女だが、エッジの指示はコンマ一秒の狂いもなく完璧だった。
完成したのは、シンプルな『オークロースのソテー』。
しかし、その黄金色の焼き目は、三ツ星レストランのメインディッシュにも劣らない輝きを放っていた。
「い、いただきますッ!」
アリアはナイフを入れるのももどかしく、肉にかぶりついた。
カリッとした表面を突き破ると、中から熱々の肉汁が溢れ出し、口の中いっぱいに濃厚な旨味が広がる。
「ん〜〜〜っ!! おいしいぃぃぃ!! なにこれ、本当にお肉!? 溶けちゃう!」
「当たり前だ。俺の切れ味で繊維を断ち切り、完璧な火入れをしたんだ。不味いわけがないだろう」
エッジは得意げに鼻を鳴らす(ような気配を見せる)。
アリアの空腹は満たされ、その瞳に生気が戻っていく。
しかし、二人はまだ知らなかった。
この極上の匂いが、裏路地を通りがかった『ある人物』の鼻を刺激してしまったことを。
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【登場人物】
- ベルナルド: アリアの父 / 『錆びないスプーン』の元店主(病気療養中)
【場所】
- 『錆びないスプーン』の厨房: アリアの実家の調理場。長期間使われておらず油汚れと埃にまみれていたが、エッジの指示で一角だけピカピカに磨き上げられた。
【アイテム・用語】
- 黒曜銀行: 王都で最も悪辣と噂される金融ギルド。アリアの店に多額の借金を貸し付けている。
- オークロースのソテー: エッジの指示でアリアが調理した料理。魔剣の能力で熟成された肉を、自身の脂で焼き上げただけのシンプルな一品だが、味は至高。




