第3話:最強のグルメ騎士と走る調味料
「おい、もっと腰を入れて走れ! 上下の振動で肉の繊維が傷つくだろうが! このオークロースは熟成直前のデリケートな時期なんだぞ!」
「そ、そんなこと言われてもぉぉ! 狼の群れに追いかけられてるんですよ!?」
飽食の迷宮の薄暗い通路を、アリアは息を切らせて疾走していた。
背後からは、『スパイスウルフ』の群れが飢えた獣の眼光を光らせて迫っている。
彼らが狙っているのはアリアではない。
彼女が抱えている巨大なオークのロース肉だ。
エッジの『呪いの旨味共鳴』によって極限まで引き出された芳醇な脂の香りは、魔物たちにとって抗いがたい麻薬のようなものだった。
「くそっ、これだから素人は。肉の温度が体温で上がらないように、もっと脇を開けて持てと言ったはずだ!」
「注文が多すぎますぅぅッ!」
アリアが涙目で角を曲がった、その時だった。
迷宮の出口付近に、巨大な影が立ちはだかっていた。
全身を銀色の重厚な鎧に包み、背中には身の丈ほどある大剣。
その威圧感は、背後の狼たちすら一瞬足を止めるほどだった。
「見つけたぞ、忌まわしき魔剣の持ち主よ」
男がゆっくりと振り返る。
兜の奥から鋭い眼光が放たれた。
「王国騎士団長、ガストンだ。その手に持つ邪悪な気配……ここで断ち切らせてもらう!」
「き、騎士団長様!? 待ってください、私はただの──」
アリアが弁明しようとした瞬間、背後のスパイスウルフたちが痺れを切らして飛びかかってきた。
前門の騎士、後門の狼。
絶体絶命の状況にアリアが悲鳴を上げる。
だが、エッジの思考は全く別の方向へ走っていた。
『……ほう? 今、鼻孔をくすぐったこの刺激臭は……クミンとブラックペッパー、それに微かなコリアンダーか?』
エッジは鋭敏な感覚で、襲い来る狼たちが撒き散らす粉塵の正体を見抜いた。
「アリア、構えろ! あの駄犬どもは敵じゃない、歩くミックススパイスだ!」
「ええっ!?」
「右から来る個体は胡椒の香りが強い。まずはあいつの脇腹にある香袋を狙え! 角度は水平、深さは3センチ! 肉に直接触れさせず、噴出する粉末だけをオーク肉に浴びせるんだ!」
エッジが強引にアリアの腕を操作する。
アリアの意思とは無関係に、魔剣は美しい軌跡を描いて一閃された。
「ごめんなさぁぁい!」
アリアの謝罪と共に、先頭の狼が宙を舞う。
斬撃は狼の急所を掠めつつ、体内に溜め込まれたスパイスの粉塵を爆発的に噴出させた。
舞い散る香辛料の霧の中を、アリア(に持たれたエッジ)が踊るように駆け抜ける。
「よし、次は左だ! 均等にまぶせ! 焼き上げる前の下味こそが料理の命だぞ!」
次々と狼たちが無力化され、そのたびに黄金色のスパイスがオーク肉へと降り注ぐ。
ただの逃走劇が、エッジの手によって高度な『下ごしらえ』へと変貌していた。
「ぬぅ……!?」
剣を構えていたガストン将軍の動きが止まった。
彼の鼻が、ピクリと動く。
戦場に漂い始めたのは、血生臭さではない。
上質なオークの脂の甘みと、それを引き締める挽きたてのスパイスの香り。
(なんだ、この暴力的なまでの食欲をそそる香りは……! オーク肉特有の獣臭さを、スパイスウルフの刺激臭が完全に中和し、むしろ高め合っているだと!?)
ガストンの腹の虫が、鎧の中で盛大に鳴り響いた。
彼は震える手で大剣を握り直すと、アリアではなく、残りのスパイスウルフたちにその切っ先を向けた。
「え……?」
アリアが呆気にとられる前で、ガストンが咆哮する。
「どけぇぇッ! その肉は……いや、その『料理』に傷をつける者は、このガストンが許さん!!」
「おいアリア、好都合だ。あのオッサンが露払いをしてくれる間に、とっとと厨房へ向かうぞ。
下味は完璧だ、あとは火を入れるだけだ!」
「もう訳がわかりませんーーッ!」
最強の騎士団長を殿に従え、食材を抱えた少女と魔剣は出口へと走り抜けた。
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【登場人物】
- ガストン将軍: 王国騎士団長 / 聖剣の使い手 / 隠れグルメ
【アイテム・用語】
- 歩くミックススパイス: スパイスウルフの体内に蓄積された、クミンや胡椒に似た極上の香辛料。




