第四話「シンプルなルール」
床に叩き落された女性は、人目も憚らず嗚咽を漏らした。だが、そんな弱々しい姿に軍服の女は一瞥すらくれず、冷たい目で周囲を見渡す。
「質問は以上か、ルーキーども?」
その言葉に、黙って手を大きく挙げる者がいた。軍服の女は無言のまま視線を彼らに向ける。
「聞きたいことは何だ? 泣き言ならモンスター共にでも言ってろ――」
「お勤めでここに送られたなら、政府はボクたちにやってほしいことがあるはずです。それを教えてください」
口を遮るようにして、はっきりと声を響かせる。
その言葉に女の目が一瞬ぱちくりと揺れたあと、面白がるような歪んだ笑みが浮かんだ。
「いいね、そういうストレートな奴が一番好きだよ、ルーキー!」
彼女は小指ほどの黒く小さな鉱物をつまみ上げて見せる。
「こいつはモンスターの鉱物だ。どの国もこいつを手に入れたがっている。最高のエネルギーを秘めた代物で、数千万の価値がつくこともある。こいつを集めてこい。五年生き延びれば、恩赦もあって一生遊んで暮らせるぜ」
「わかりやすくて助かります。で、次の質問です」
「おいおい、まだ聞くのかよ?」
「質問は一つまでとは言われていないので」
軍服の女は肩をすくめ、にやりと笑った。
「質問自由か。いいぜ、続けな」
「ありがとうございます。次に、この建物の役割と私たちの行動スケジュールについて。それから支給品の内容と、ルールがあれば教えてください」
「お前、マジで学生気分かなんかか? 前線基地に来ておきながら、マニュアルでも欲しいってか?」
呆れたように吐き捨てられたが、女は答えを惜しまなかった。
「この建物、通称“お役所”は探索前の生存確認と行先の提示、ついでにお前らの死体の整理場所だ。夜はモンスターが接近するから原則外出禁止だ。命が惜しけりゃ、日が出ている間だけ動け。武器と装備は毎日一応支給される。運が良けりゃ新品も混じってる」
「なるほど」
うなずくだけで、余計な感情は挟まなかった。けれど、誰かが小声で「マジかよ……」と呻いたのが聞こえた。
軍服の女は拳銃を軽く叩いてから、一言だけ吐き捨てた。
「生き残れ。それがすべてだ」
ルールはシンプルだ。
分かりやすくて、クソったれな地獄。理解するのに、これ以上の説明は要らない。
「10分後に点呼する。それまでに好きな武器を手に取れ。遺書を書きたいなら、後で要望を出せ。いくらでも紙っ切れは転がっている」
そう言い捨て、軍服の女は部屋を後にした。
重たい体に鞭を打つようにして、数人が段ボールの中へ群がった。
武器を奪い合うように手を伸ばす姿を横目に、燈は周囲の連中を見た。
一人だけ、真剣な目をしている者がいる。
だが、ほとんどは絶望に染まった顔で、知識もないまま武器を選んでいた。
無手で未知の化け物と戦うより、あの軍人から知識を引き出した方がまだマシ――そう考えていた、その時だった。
軍服の女が戻ってきた。今度は手に人数分の紙とコンパスを抱えて。
「受け取れ。今のお前らが生きて帰れる場所を示した地図とコンパスだ。集団行動もあり、単独行動も――もちろん、ありだ。さあ、好きにしろ」
その言葉と共に探検家になったルーキーたちが、地図を片手にバラバラと出ていき始めた。
そんな時だ、コンパスと地図を並んで受け取ろうとしている中、そのうちの一人が、軍服の女に向かって手にした武器を振りかざした。
「クソ女がっ! 死――!」
しかし、その先は紡がれなかった。
――乾いた音が鳴った。
糸の切れた人形のように、そいつはドサリと崩れ落ちた。
「……やっぱり、毎回一人はこういう馬鹿が出てくるな」
軍服の女は微動だにせず、まるで事務処理のように言い放つ。
「それで? 他に文句がある奴はいるか、聞いてやるぞ」
人が一人、今殺されたばかりなのに――
彼女は涼しい顔一つ崩さなかった。
むしろ、その目には「確認」という意味合いの余裕すら宿っていた。
その視線に、悲鳴を上げた誰かが耐えきれず部屋を飛び出していった。
悲鳴が遠ざかり、乾いた風の音だけが部屋に響く。
今、この部屋に残っているのは燈と軍服の女性――正確には、“人だったもの”を含めて三人だ。
女がジロリと燈に視線を向ける。
「で、お前はどうすんだ? ずっとここに居ても、誰も助けちゃくれんぞ」
「聞きたいことがあります」
静かに、でもはっきりと口を開いた。
「ボクが生き残るのに、おすすめの武器を教えてください」
「……はぁっ?」
顔に露骨に“呆れ”を浮かべた彼女は、親指で武器の入った段ボールを指した。
「好きなもん持ってけって言っただろ、ルーキー」
だが、燈は続けた。
「ボクの聞き間違いじゃないですよね? あなたはさっき、“生き残れ”と言いました。そして“鉱物を集めろ”とも」
「なら、あなたにはボクが生き残るための助言をする義務がありますよね。そうでしょう? 教官殿」
そう言い切った瞬間、女は「ああ言えばこういう奴か」とでも言いたげに頭をかきながら、値踏みするように燈を上から下まで見た。
「……んー。こいつとこいつが分かりやすくて使いやすいな」
そう言って差し出されたのは、ボロボロのクロスボウと、ベルトに通されたダガーだった。
彼女はぼそりと続ける。
「品質は、まあクソ以下だがな」
その呟きを聞き逃さず、燈は黙って二つの武器を受け取った。
「使い方はシンプルだ」
「クロスボウは矢を装填して、トリガーを引くだけ。ダガーは、鞘から抜いて化け物にぶっ刺す。それだけ。これ以上ないくらい、単純明快だろ?」
燈はその言葉を聞きながら、壊れかけたクロスボウを握りしめた。
――この地獄で、生き延びるために。