静かなる隠キャ戦争 ―中間テスト編―
六月の教室は蒸し暑く、扇風機が申し訳程度に音を立てて回っていた。
中間テスト。
それは隠キャにとって一種の地雷原だ。
点数が高すぎても、低すぎても、目立つ。
人に話しかけられるリスクを伴う。教師に褒められる可能性もある。最悪だ。
「お前、意外と頭いいんだな」
その一言が、隠キャの平穏を崩壊させるのだ。
僕――木嶋翔太、高校一年生、隠キャ歴おそらく人生丸ごと。
この戦いに備え、入学前から綿密な戦略を立てていた。
平均点+2点を狙う。
バカでもない、賢すぎもしない。教員の目にも、クラスメイトの目にも留まらない範囲。
安全圏だ。
そして問題は、同類――いや、ライバルの存在。
西堀茜
隠キャにして隠キャ。自他ともに認める空気読みの達人。
黒髪ロング、眼鏡着用。見た目からして、教室の影そのもの。
入学初日、お互いの雰囲気を読み取って察してしまった。
以来、同族として互いを意識しつつ、牽制し合ってきた。
メッセージアプリの交換もした。だが一度もメッセージは送っていない。
つまり、理解している。
我々はそういう種族だ。
そして今、戦場はテストへと移行する。
休み時間、僕はこっそり周囲の会話に耳を傾けていた。
「西堀って、国語ヤバいらしいよ。中間、学年トップいけるかもって」
……やはり、ただ者ではない。
しかしそれは――
(目立つだろ)
心の中でツッコんだ。彼女らしくない。
……いや、違う。
わざとだ。
目立つフリをして、実際には2位か3位に落としてくる可能性。
その上で、こう言うのだ。
「別に、いつも通りだけど?」
……恐ろしい戦略。まさかの噂のコントロール。
これは黙って見ているわけにはいかない。
ーーーー
テスト初日。国語。
問題文を見て、僕は瞬時に計算する。
(これは……満点狙える)
しかし、そんなことをすれば、担任の吉村が職員室でこう言いふらすだろう。
「木嶋、あいつ真面目だな。国語の模範解答みたいな答案だったぞ」
それはダメだ。絶対にダメだ。
よって、僕は答えの一部を少しだけ間違える。選択肢を一つずらす。漢字も一画だけ省く。
完璧ではないが、致命傷でもない。
「惜しいな」と思わせる調整。
これぞ、隠キャ奥義――「注目回避の間違い術」。
テストが返却されたのは翌週のことだった。
僕の国語の点数は……84点。
よし。平均は72点前後と予想されるので、絶妙な『陰』。
そして、隣の席。西堀の答案が返却される。
ちら、と視線を送る。彼女は無表情だ。だが、少し口元がゆるんだ気がした。
……なんだ、その余裕は。
ふと、彼女の答案が机の端から覗いた。
(87点)
……は? 何その微妙な差。
勝ってるのに勝ってない点数。
(計算したな……!)
直後、目が合った。茜が眼鏡の奥で、静かに笑っていた。
(そちらの調整力、見事です)
(あなたこそ……上出来すぎる)
無言のまま、我々は小さく頷き合う。
だがこの戦い、まだ終わっていない。
五教科すべてが終わるまでは――。
ーーーー
数日後、テスト返却がすべて終わった。
互いに平均+αの点数でフィニッシュ。どの科目でも微妙に競り合い、どちらもトップにはならず、かといって悪くもない。
そして放課後、僕はなぜか昇降口で彼女と鉢合わせた。
無言のまま、靴を履き替える。沈黙。
「……木嶋くん」
西堀が、先に口を開いた。
「……何か?」
「今回のテスト、ちょっとだけ楽しかったかも」
思わず、僕は一瞬だけ、笑ってしまった。
「……同じく」
それっきり。互いにそれ以上は言わない。
でも、その一言で十分だった。
多分、彼女もそう思っている。
廊下を出る瞬間、彼女が小さく振り返って、こう呟いた。
「次も、調整してこなかったら……許さないから」
それは挑戦状か、それとも――
(……脅し?)
いや、違う。
もしかして、ほんの少しだけ、楽しみにしてる……?
僕の心が、ほんの一瞬だけ、騒いだ。
……やばい、これってもしかして――
いや、ない。ないない。
僕たちは隠キャで、ただのライバルで、ただの調整マスターで――
……でも、ちょっとだけ。次のテストが、楽しみになった。