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静寂の尾行(その2)

 放課後の校門前で、僕は軽く咳払いをした。


 そんなつもりはなかったけど、なんとなく気配を消すという行為に似合う儀式みたいなものだった。黒髪の前髪を指で整えてから、僕は小さく深呼吸をして、ゆっくりと歩き出す。


 ターゲットは——いや、西堀茜は、既に三十メートルほど先を歩いていた。


 僕が彼女を尾行する理由は、まあ、単純だ。というか、かなり低俗だ。先にされたからだ。


 僕の行動を探っていたんだよな?


 それなら、僕もやり返さないと気が済まない。


 そう思って今日、僕は教室での無言の心理戦を制して、先に校門を出た彼女の後を追っていた。


 最初の目的地に到着するまで、15分ほどかかった。



ーーーー

 西堀は、校舎から歩いて15分の場所にある市立図書館に入った。土日でもない、ただの平日の放課後に、図書館。これは……完全に「それ」だ。


(うん、隠キャの主戦場の一つ)


 僕はガラス張りの図書館の外側にあるベンチに腰掛けて、スマホを開いたふりをしながら様子を伺う。中に入るのはリスクが高い。けど、見えた。入口横の検索機の前に立っている西堀。眼鏡をくいっと持ち上げて、検索機を操作していた。


 十秒後、彼女は検索結果をメモしたのか、持参したノートに何か書き込み、2階の文芸コーナーへと姿を消した。


(……文芸。やっぱり。小説だよな)


 そのまま、30分が経過。


 彼女は戻ってきた。手にしているのは、2冊の文庫本と1冊の評論集。


(あの厚さ、たぶん、谷崎潤一郎か……太宰か……)


 まるでストーカーみたいだと自分で思う。でも同時に、思う。


(ここで確認しておくのは、僕のプライドのためだ)



ーーーー

図書館を出た西堀は、そのまま川沿いを歩き、地元のスーパー「サンピア」に入った。


(……え? 買い物?)


 少し意外だった。彼女は家庭的なイメージがあまりない。というか、僕が勝手に「人間関係を一切持たない系隠キャ」だと思っていただけかもしれない。カートは使わず、手提げカゴで、するすると店内を歩いていく。


 僕も別の入口から入店し、同じ空間を保ちながら、少し距離をとってついて行った。


(……あ、豆腐。なるほど、冷奴は隠キャの食事の定番だ)


 次に彼女が手に取ったのは、乾燥わかめ。次に白だし。そして、ひじき煮の素。


(健康志向……? それとも、誰かと住んでる?)


 一瞬、脳裏に「隠キャ女子が弟と2人暮らし」とかいうラノベみたいな展開が浮かんだが、すぐに打ち消した。彼女はそんな甘い存在じゃない。あくまで、僕と同じように、隠キャとしての孤高の誇りを持っているはずだ。


 会計の時、エコバッグを持参していた。


(……準備がいい。抜かりない。油断がない)



ーーーー

 買い物を終えた西堀は、少し遠回りをして、駅前の小さな公園へ向かった。そこは住宅街の隙間にある、あまり人が通らない場所だ。ベンチが2つ、木が3本、猫が1匹。たまに小学生が遊ぶくらいの地味な公園。


 西堀はそのベンチに腰を下ろし、図書館で借りた文庫本を取り出した。ページをめくる手は滑らかで、何のためらいもなく、読む姿勢が自然だった。


(これは……これはすごい。僕でも外で読書なんて、しない。視線が気になる。ページをめくる音ですら、周囲の空気をざらつかせる気がする)


 でも彼女はやった。普通に、静かに、黙ってそこにいた。


 5分、10分、15分——読書を終えると、そっと本をカバンにしまい、立ち上がった。


 その時だった。ふと、彼女が振り返った。僕が身を隠した木の陰から、彼女と目が合いそうになった。


(やば……)


 でも彼女は、何も言わなかった。代わりに——軽く、口角を上げた。


(……今、笑った?)


 わずかに、ほんのわずかに。勝利の笑み? まさか。まさか、ばれてた? いや、でも、昨日の僕の行動を読んでいたなら……彼女が気づかないはずがない。



ーーーー

 家に帰ると、僕は机に突っ伏していた。


「……完敗、なのか……?」


 図書館、スーパー、公園——どれも目的が明確で、無駄がなかった。そしてなにより、彼女は一言も発さずにすべてをこなしていた。僕がいつも気にしてしまう「周囲の目」なんて気にせず、ただ自分の行動を貫いた。


(完璧だ。隠キャとして、理想的だ)


 だが、ここで素直に認めるわけにはいかない。


(でも……でもな。尾行されたってことは、つまり、気にしてるってことだろ?)


 つまり僕は彼女の中に存在している。彼女の意識の中に、僕というライバルがいるってことだ。


(負けじゃない。これはまだ、戦いの途中だ)


 僕はスマホを手に取った。通知はゼロ。もちろん、彼女からも来ていない。


(よし……このまま、送らない。絶対に、こっちからは送らない)


 その瞬間、画面が光った。


「……!」


 メッセージアプリ、西堀茜:

 

《今日、図書館で見かけたけど、たまたま?》


「ぐっ……!」


 先に、送ってきた。


 でも、その文面には敗北宣言も挑発もなかった。あるのは、ただの事実確認。感情を見せない、まるで壁のようなメッセージ。


(……やっぱり、お前は強い)


 僕は返さない。いや、返せない。


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