夏の予習
「ねえ、翔太?今日、ヒマ?」
スマホの画面に現れた島田由衣のメッセージを見た瞬間、僕――木嶋翔太は思わずスマホを手から滑らせ、布団の上に転がしてしまった。焦ってそれを拾い上げ、何度も目をこすりながら再確認する。
島田、だと……?
陽キャの代表みたいな島田。クラスでいつも中心にいて、誰にでも笑顔を向け、放課後も友達とにぎやかに過ごしている彼女が、なぜ僕に?
――ひょっとして、これ、何かの罠じゃないか? ドッキリとか、そんな気がしてならない。
でも、それはあり得ないよな。島田がそんなことするわけがないし、まさか僕をいじって楽しむために、わざわざ連絡してきたわけじゃないだろう。
でも、どうして?
『ごめん、ちょっと予定があって無理かも』
そう返信しようとして、指が止まる。予定? 何もない。家でゲームか、メッセージを考えるだけの日々だ。
でも、もし島田が僕を誘った理由が「暇つぶし」だったら? いや、それはないだろう。何か別の理由があるはずだ。
『カフェ行かない?』
その一言が、妙に引っかかる。カフェ――か。
カフェといえば、陽キャたちの集う場所。リア充の聖地、陰キャの僕にとっては、まるで異世界のような場所だ。どうして僕がそんなところに行くんだろう? 少しだけ不安が胸をよぎる。
その時、ふと思い出したのは、西堀茜のことだ。
黒髪ロングで、静かで知的な雰囲気。普段は誰とも話さないが、僕とだけは、ほんの少しだけ言葉を交わすことがある。何も特別なことはないけれど、あの冷静で落ち着いた顔の中に、ちょっとだけ照れが感じられる瞬間があった。
でも、彼女とカフェ――そんな選択肢が、本当にあり得るのか?
その答えはわからないけれど、だからこそ、少しだけ勇気を出してみようかと思った。
『…うん。行ける』
指が震えていた。送信ボタンを押した瞬間、スマホを布団に投げて、顔をうずめる。
ーーーー
「いや、そんなに緊張しなくてよくない?」
カフェのテーブルの向こう側で、島田があきれたように笑っている。
「ごめん……」
僕は視線を下に向け、アイスコーヒーを無言で見つめていた。周りにはカップルや友達グループがにぎやかに話している。その笑い声が耳に刺さり、目立ちたくないのに、なんだか浮いている気がして、ますます緊張が高まる。
「ってか、なんでそんな姿勢? 背中丸まってるよ。ネコ背か」
「…たぶんネコ背だと思う」
「いや、もっと堂々としようよ。カフェなんて、ただの場所でしょ?」
ただの場所――それは、島田にとってはそうかもしれないけど、僕にとっては全然違う。ここは、まるで別の世界みたいに感じられる。
「で、なんで僕なんか誘ったの?」
できるだけ感情を殺して言ったつもりだったけど、少し声が震えていた気がする。
島田は少し黙ってから、ゆっくりと答えた。
「うーん、予習かな」
「……予習?」
「そう。キミが、誰かと来るための予習。ね、翔太ってさ、茜のこと、気になってるでしょ?」
心臓が大きく跳ねる。バレてた? でも、どうして……?
「な、なんで、そう思うの?」
「わかりやすいから。ほら、休み時間にメッセージ見て微妙にニヤけてるとことか」
「見てたの!?」
「うん。観察力、なかなかいいんだよ」
島田が軽く笑うのを、僕は直視できなかった。恥ずかしさと動揺で顔が真っ赤になりそうだけど、島田の表情にはからかいの色は全くない。純粋な、少しだけ興味を持ったような眼差しだ。
「でも、まだちゃんと会話してないんだよね?」
「……うん。なんか負けな気がして」
「それもしかして、陰キャのプライドってやつ」
陽キャにそんなことを言われると、少し悔しいけれど、否定する気にもなれなかった。確かに、それが僕の悩みのひとつだ。
「だから、予習ってわけ。翔太がちゃんとカフェ慣れして、堂々と茜を誘えるように。今日はそのための、第一歩って感じ」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃないけど、見て、ちゃんとここに来れたじゃん。第一関門突破ってことで」
確かに、最初は断ろうとしていた。でも、少しだけ、ほんの少しだけ、自分を変えたいという気持ちが勝った。
「木嶋くんって、実際しゃべると面白いし。なんか、もったいないよ。ずっと黙ってるの」
「……僕は、うまく話せないから」
「大丈夫、茜もきっと、そう思ってるよ。似てるもん、ふたり」
似てる――か。そうかもしれない。僕と西堀さんは、言葉が少ない分、お互いに何かを感じ取っているのかもしれない。言葉にしなくても、伝わるものがあるのかもしれない。
ふと、僕はスマホを取り出して、メッセージの画面を開く。西堀さんとのトーク画面には、最後に送られた文が残っていた。
『図書館の蔵書、今週の更新って何か知ってる?』
『文芸と評論、4冊。詳細は掲示板に』
事務的なやり取り。でも、その中にも、なんとなくお互いの距離を感じ取っていた。次に送るべき言葉が、少しだけ見えてきた気がした。
『カフェ行ってきた。意外と静かだった』
送信してから、すぐに後悔した。でも、もう送ってしまったんだから、仕方ない。
スマホが震えた。
『混んでなければ、悪くない場所だと思う』
それは、西堀さんなりの「興味」だろう。少しでも僕に関心を持ってくれているんだと思うと、心が温かくなった。
少しずつなら、進めるかもしれない。
今日という日が、そんな「予習」だったのなら。僕は、次の一歩を踏み出せる気がした。




