隠キャの条件
高校に入学して、早くも二週間が経とうとしている。自己紹介は終わったが、それ以上の会話はほとんどない。
木嶋翔太、16歳、黒髪セミロング、前髪長め。話しかけられることも、話しかけることも、必要最低限にとどめている。それが、僕の流儀だった。
西堀茜、同じく16歳、ロングの黒髪に眼鏡。僕と同じように、クラスの輪から少し離れたところにいる。教室の角、壁際の席。放課後、誰もいないときを見計らって帰るタイミングも、なんとなく似ていた。
(あの子も、こっち側だった)
「隠キャの条件」というタイトルで、僕はノートに十項目を書いた。
⚫︎人と目を合わせない
⚫︎スマホの通知はすべてオフ
⚫︎常にヘッドホンを持ち歩く
⚫︎昼食はひとり、または数名で静かに
⚫︎SNSは閲覧専用
⚫︎イベントには必要最低限の参加
⚫︎話しかけられたら答えるが、自分からは話しかけない
⚫︎服装は地味で目立たない
⚫︎好きなことはあるが、それを大声で語らない
⚫︎恋愛に興味はあるが、表に出さない
全部書いたあと、僕はため息をついた。
こんなことを誰かに見せる気もなかった。けれど、ふと思いついた。
(あの子は、どうなんだろう)
まさかと思った。でも、この衝動は抑えきれなかった。
誰にも見つからないように、西堀茜の机の中に、そのノートを入れた。ページをめくれば、すぐに見つかるように印をつけて。
誰かにバレたら、恥ずかしすぎて死ねる。
ーーーー
翌朝、僕の机の中に、見慣れないノートが入っていた。
心臓が跳ねた。開くと、そこには「隠キャの条件」とタイトルが書かれたページ。
10項目。手書き。文字が小さく、丁寧で、どこか律儀な雰囲気。西堀茜だ。間違いない。
⚫︎目立たない行動を心がける
⚫︎スマホは常にサイレントモード
⚫︎目が合ったら反らす
⚫︎体育のペアは最後まで待って、余った人と組む
⚫︎図書室にいる時間が長い
⚫︎笑われるのが怖い
⚫︎人に嫌われたくないから、あえて話しかけない
⚫︎みんなと同じに見せる努力はしている
⚫︎好きな人がいても、気づかれたくない
⚫︎一人でいるのがラク。でも、たまに寂しい
読んでいるうちに、手が震えた。
(……これは)
なんだろう。僕のとは、少し違う。表現も、考え方も。でも、同じ匂いがした。これは、彼女の「隠キャ」としてのプライドなんだ。
その日の帰り道、西堀と目が合いかけた。お互いにすぐ視線を逸らした。でも、心だけは動いた。
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次の日、僕はまたノートを入れた。
ページをめくると、そこには僕の10項目に対して、彼女が「✓」をつけたり、「?」をつけたり、「わかる」と小さく書いたりしていた。たとえば「SNSは閲覧専用」に対して、「✓ でも時々鍵垢で呟く」と書かれていた。
(そういうのも……アリなんだな)
僕はその下に、「僕は鍵垢すらない」と返した。
まるで交換日記のようだった。けれど、連絡先を聞くことはなかった。それが僕たちの、無言の了解だった。
言葉は交わさない。でも、気持ちは文字で伝え合える。いや、それしかできない。
でも、それでよかった。
ノートのやり取りが続いて、三週間が経った。日によっては、学校が終わってからも机の中を開け、メッセージがあるか確認するのが日課になった。
それでも、リアルでの会話は一切ない。目が合いそうになると、どちらもすぐに逸らす。
でも、心はもう少し近づいていた。
ある日、彼女が書いた。
「隠キャって、『誰にも見つからないようにしてるのに、誰かに見つけてほしい』って気持ち、ありますよね」
僕はノートを閉じたあと、しばらく動けなかった。
わかる。わかりすぎる。
ーーーー
次の日、僕はついに、ノートの最後のページにこう書いた。
「もし、よかったら…図書室で、同じ机に座って、本を読むとか…そういうの、してみませんか?」
書いたあと、何度も消そうと思った。でも、消さなかった。
そして、彼女の机にノートを入れた。
心臓が、うるさいくらい鳴っていた。
その日の放課後、図書室に行った。
誰もいない窓際の席に座って、本を開いて待った。無理なら来ない。それも彼女らしい。だから、待つだけでよかった。
時間が過ぎていく。ページをめくるふりをしながら、何度も入り口を見た。
やがて、静かに扉が開いた。
視界の端に、黒髪のロングと眼鏡が映る。
彼女は、何も言わずに僕の隣に座った。
そして、小さな声で、初めて僕に話しかけた。
「この前、ノートに鍵垢すらないって書いてましたよね……私、鍵垢の名前、教えてもいいですか?」
僕は、喉が詰まりそうだったけど、なんとか頷いた。
それが、僕たちの初めての、声のやり取りだった。
隠キャには隠キャのやり方がある。