静かなる抗争
小学校も中学校も、僕――木嶋翔太は、“波風立てずに生きる”という至上命題のもと生きてきた。
教室の中で目立たず、無理に群れず、けれど孤立しない。
陰キャの王道を、誰よりも静かに、誰にも悟られずに、歩んできた自負がある。
高校も、その方針に変わりはない――はずだった。
「……ん」
入学式の日。担任が名簿を読み上げている。
僕の名が呼ばれ、静かに「はい」と答えたその数分後。
「西堀茜さん」
「……はい」
その声に、ほんのわずかに首筋がぞわついた。
俺と同じ、低いトーン。響きを押さえた返事。
同じ……においがした。
振り返ると、彼女がいた。
黒髪ロング。眼鏡。真っ白な肌。整った顔立ち。
でも一切、目立たない。いや、目立たせる気がない。
(……やばい。キャラが被ってる)
僕の心に、警報が鳴った。
しかも、目が合った。彼女も気づいた。――これは、戦争の始まりだ。
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高校生活、最初の一週間。
僕はまず「陽キャのふりをさせる作戦」を立てた。
西堀茜という名の陰キャを、表向き”陽キャ寄り”に仕立て上げることで、僕の陰キャポジションの独占を狙う。
だってクラスに“二人の陰キャ”は要らないだろ。
僕は図書委員の推薦名簿を見て、そこから彼女の名前を外した。
こっそり推薦理由を書いて、生徒会系の部活に推薦してみた。どうせ断るだろうが、周囲からの“イメージ”を操作
できれば十分だ。
(僕はただ、静かに生きたいだけなのに……)
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しかし。彼女は動いた。
翌週、僕の席に置かれた紙切れ。
『図書室で会って話しましょう。放課後』
字はきれいで、癖のない丸文字。女子っぽいが、どこか“無個性”を演出しているような冷たさがあった。
僕は思わず、口の中で呻いた。
(察しやがったな……!)
ーーーー
放課後。図書室の奥。
彼女は一冊の本を開きながら、僕を待っていた。
僕が無言で席に着くと、彼女は視線を本から離さず、こう言った。
「……私のことを“陽キャにしようとしてる”でしょ」
声は穏やか。でも、明らかに刺してくる。
「その……意図的に、変な推薦出したよね?」
「……バレてたのか」
僕も観念して応じた。下手にごまかしても、この手のタイプには逆効果だ。
彼女は眼鏡の奥で僕をじっと見据えた。
「陰キャはね、一人でいいの。被ると、空気がよどむから」
(お前も同じ考えかよ……!)
これはもはや戦争ではなく、鏡合わせだった。
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それから、僕と彼女の間に静かな抗争が始まった。
朝、クラスに入る時間をわざと被せないようにする心理戦。
ノートのとり方、机の上の文房具の数、体育のときの待機ポジション。
どちらがより『正しい陰キャ』かを無言で張り合う。
――でも、一切の敵意も、憎しみもない。
むしろ、その空気の読み合いがどこか心地よかった。
俺の心は混乱していた。
(こいつ、敵……のはずだよな?)
(でも、なんか……わかるんだよな、こいつの居心地の悪さとか)
「……木嶋くんって、席替えのとき、隅っこの方を先に選ぶよね」
「お前だって、日直の日は声小さくするだろ。あれ、演技だよな」
ある日、帰り道が一緒になって、気づいたら会話してた。
別に仲良くするつもりなんて、ない。
でも、こうしてると、妙に安心する。
西堀は言った。
「……誰にも理解されないと思ってた。こういう空気の作り方とか、気配の消し方とか」
「……僕も。てか、なんで理解できてんだよ、お前」
「だから、イラっとしたの。自分と同じやつがいるって」
「わかる。すげーわかる。それなのに、ちょっとだけホッとした自分がいて……むかつく」
「ほんと、それ」
僕たちは笑った。初めて、心から。
新学期。僕と西堀は、あいかわらず話すことは少ない。
教室ではそれぞれのポジションを守りながら、たまに目が合って、少しだけ口元が緩む。
「……今日の体育、誰かに声かけられてたな?」
「そっちこそ、美術の先生と仲良くなってんじゃん」
「いや、あれは――」
「ふふ、勝手に陽キャ化しないでくれる?」
「お前が先に裏切ったんだろ」
「私は陰キャの美学を追求してるだけ」
「俺もだよ。負ける気しねぇし」
「じゃあ、永遠に戦争だね」
「……悪くないかもな、それも」
空気のように生きたかった。誰にも気づかれず、波風を立てずに。
でも今は、俺の中で確かに、彼女がいる。
まだ名前すら、ちゃんと呼んだことがない。
それでも、俺は今、この関係を、静かに大切に思ってる。
たぶん、西堀茜も――同じ気持ちだ。
(でも、認めるわけにはいかない)
これは、陰キャのプライドを懸けた、終わらない抗争だから。