訪問客-4
出発は早朝、まだ太陽ものぼっていなくて、一番冷えこむ時間帯。空は雲がなくて、たくさんの星が輝いている。ときおりふく風は少し強くて、耳元でビュウッと音をたてる。吐く息は白く、厚手の上着を着てマフラーをぐるぐる巻いているけれど、足下からあがってくる冷気は防ぎようがない。
じっとしているのは、本当に寒い。
中浦さんが倒れたと聞いて、お見舞いに行って……わたしは、旅に出ることを決めた。今行かないといけない、そう強く感じたのだ。
学校は中途半端になるから、退学届けを提出した。卒業できないのは残念だけれど、旅に出るのと天秤にかけて決めたこと。後悔はない。学校側は新学期までは受理しないと言ってくれたけれど……二週間足らずで帰ってこられるとは、とても思えない。
「瑠璃、ずいぶん荷物が少ないように見えるけど大丈夫かい?」
着ぶくれたお父さんが、わたしの足下の鞄を見て言った。
「だいじょうぶ。この前の旅もこの鞄だったし、それでなんとか間にあったし」
一年におよんだ旅を、このおじいちゃんの旅行鞄ひとつですごしたのだ。それはつまり、それ以上は邪魔だということ。ただ今回は、手提げ鞄をひとつ持っている。大きな旅行鞄を持ったままあちこち訪ねるのは、特に旅の後半、ちょっと大変だったから。
長距離乗合馬車の停留所には、わたしたちのほかにお客さんはいなかった。真穂呂では年末年始は大切な行事が目白押しで、遠出する人なんかめったにいないのだ。
「せめて真穂呂を出るところまで見送ってあげたかったんだが……さすがに今の時期はいろいろ立て込んでいてね。すまないな」
「いいえ! こんな時間なのに見送りに来てくださっただけで充分です」
そう、忙しいときなのに、吉備津さんも見送りに来てくれている。
話を聞きつけた吉備津さんは、興味深いと言って、今回の旅にも出資してくれることになったのだ。正直なところそうなる予感はあったので、ありがたく受けることにした。
「それでいいんだよー。行ったら旅費が半端な額じゃすまなくなるでしょ」
「仕事を抜きにした旅行はここ何年も行ってないからね、それを口実にしたかっただけだ」
えーと吉備津さん、それは堂々と言いすぎでは。
「私もですよ。瑠璃、その分おみやげ話楽しみにしているからね」
「うん。ちゃんと手紙も送るから」
出資者二人には、定期的に報告の手紙を送ると約束している。
「理人君、しっかり瑠璃さんを守るように」
「よろしく頼むね、門倉君」
「おまかせあれー」
あいかわらずの軽さとおどけたしぐさで、門倉さんは胸をたたいた。
静かな町中にがらがらという音を響かせて、乗合馬車がやってきた。長距離用だから二頭立てで、頑丈な車体だ。
馬車が停留所に止まると、わたしと門倉さんは荷物を車体の後にある専用の荷台に載せた。手提げ鞄は車内持ち込みだ。
荷物を載せてしまうと、あとはもう出発を待つだけになる。
そこへ、一台の馬車がやってきた。乗合馬車ではない。馬車は停留所の近くで止まった。
降りてきた人物を見て、わたしはぽかんと口を開けた。
「ああよかった、間にあいましたか……!」
「な、中浦さん!? どうしてここへ……!?」
薄暗がりでよくわからないけれど、中浦さんはお見舞いに伺ったときよりまた少しやつれて見えた。こんな寒いなか外に出たりしたら、良くなる具合も悪くなってしまう。
というか、お父さんも言ったけど中浦さんはどうしてここへ現われたのだろう? 出発のことは誰かに言いふらしたりなどしていない。
「もちろんお見送りに来たのですよ、瑠璃さん」
「ど……どうしてご存知なんですか……?」
「伏せるばかりになっても、うわさというものは耳に入るものなのですよ。この時期、長距離乗合馬車を利用する人なんて、めったにいませんからね。それでなんとなく、あなたかなと」
当たりましたね、と得意げな笑顔を浮かべる中浦さん。
「それと、これを」
渡されたのは、ノートと封筒。
「私が彼らを探した際の記録と……つらつらと思い出したことを書き留めたものです。まったく整理されていないのですが……なにかの参考になれば」
「あ、ありがとうございます……!」
「封筒のほうは、旅費です。たいした額じゃありませんが、せめてもの足しに」
「えっ……」
ぎょっとして手の中の封筒を見つめた。厚みはけっこうある。かなりのまとまった額が入っていることは容易に想像がついた。
わたしはぶんぶんと首をふった。
「う、受け取れません……!」
「中浦さん、旅の資金は私と友人とで出資しますから、必要ありませんよ!」
「いいえ、受け取ってくださらなければ。だって私のための旅でしょう?」
そ、そうだけど……!
わたしは言葉にならず、なったとしてもなんと言ったものかわからず、口をぱくぱくさせるだけ。
そんなわたしに、中浦さんは少し考えてから、
「では……そうですね。おみやげを買って来てください。楽しみにしていますから」
「おみやげ……」
その瞬間、ぱっと閃いた。
「わかりました。このお金で、クィシアのかたからお茶を買ってきます! 待っていてくださいね!」
「はい。楽しみにしていますね」
中浦さんは、初めて会ったときと同じ穏やかな口調で、温和な笑顔を浮かべた。
「あーお客さん? そろそろ時間なんで、出発しますが」
「は、はい!」
わたしはノートと封筒をしっかりと抱きしめ、中浦さんに頭をさげた。
「じゃあ――中浦さん、吉備津さん、お父さん。行ってきます!」
「いってらっしゃい瑠璃。くれぐれも気をつけて」
わたしが馬車に乗り込むと、門倉さんが続いた。御者がばたんと扉を閉める。
のぞいた窓からお父さんたちが見えた。心配そうなお父さん、笑顔の中浦さんと吉備津さん。
だいじょうぶ、きっとクィシアに会えるから。
そう自分に言い聞かせると、わたしはにっこり笑って手をふった。気づいたお父さんたちも、手をふりかえしてくれた。
がたんと揺れて、馬車がゆっくりと動き出した。
中浦さんを助けてくれた人を見つけだす。そして叶うならば、再会の手助けになれたら。
空の遊牧民、クィシアを探す旅の始まりだ。