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空の木の島-4

「あはははは、瑠璃ちゃんへっぴり腰になってるよ!」

「ほ、ほっといてください……っ!」

「だいじょーぶよルリ! クィリは丈夫だし、サンダルだって滑らないようにできてるんだから」

「そう言われても……!」

 怖いよぅ!

 わたしは近くの幹にしっかりとしがみついた。


 だってここは雲の上なんだよ? 空のまっただ中。ラピュタと違って地面がない。地面の代わりにあるのは、複雑に絡まったクィリの根っこ。根の隙き間から見えるものはなにもない。

 さらに地面と違うのは安定感がまったくない、ということ。足を踏み出すたびに、沈むような浮くような浮遊感がある。それに木の根というのはけっこう、つるつるしている。

 さらに言えば風も少し強くて、袖や袴がばたばたとはためく。服が風を含むと体が浮きそうになるのだ。

 盗賊に目隠しされて運ばれたときとは、また違う恐怖感。ただ今は恐怖感だけじゃなくって、緊張やら高揚感もあるけれど。


 カ・ジンロさんが夕飯をごちそうしてくださるというので、それまでクィリの畑を案内してもらうことになった。今の季節は葉も実もなくておもしろくないよーとユさんは言ったけれど、こんな機会はきっと二度とないもの。


 クィリの根の上をブーツのまま歩くのは滑りやすくて危ないし、根もいためてしまう。寒さを覚悟して裸足で行くのかと思ったら、サンダルを準備してくれた。サンダルといっても、雰囲気は草履に近い。いや地下足袋かなぁ?

 布製で筒状になっていて、それを紐で固定する。つま先とかかとはむきだしで、さすがにちょっと寒い。

 エイテスはわたしたちが普段身につけるような靴を、あまり履かないそうだ。理由はもちろん、飛んで移動するのが基本だから。履くとしたら、ラピュタや地上へ行くときくらいらしい。

 ただ靴は、足を締めつけられる感じがして好きじゃないと、きょうだいは口をそろえた。


 そのサンダルで、すべりにくいとはいえね……

 どうして門倉さんは平気でひょいひょいと歩きまわれるのか。ヘインズさんも平気そうだ。

 木と木の間隔は、飛空艇から見て感じたほど密集していない。むしろ地上の果樹園よりも広く感じる。葉が茂ってもあまり暗くならなさそうだ。風通しもよさそう。枝は横に広がらず、上に伸びている。


「ルリ、あれよ。あれがこの島で一番古いクィリ」

 ユさんはそう言うと、ぱたぱたとその木まで飛んでいった。当然のように枝に腰かけるのを見て、普段はこういうふうにすごしているんだなぁと思う。

 よたよたとユさんのあとを追う。うぅ、四つん這いのほうが早く移動できるんじゃないかなぁ……


 どうにか木にたどり着いて、梢を見あげる。

「クィリって、あんまり大きくならないのね?」

 一番古いというクィリは、確かに他よりは年季が入っている感じがするけれど、高さや幹の太さはそんなに差がない。

「そぉねー、もっと古いクィリは別の島にあるけど、大きさはそんなに変わんないかも」

「これでコカリ作るのよね」

「うん。家具とか道具も作るわ。実は煮て食べたり、葉っぱとお茶にするのよ。あとでごちそうするから楽しみにしててね!」

「うん、楽しみにしてる」


 そう。ついに目的を果たしたわたしは、あとは帰るだけだ。でももう午後も遅く、日暮れも近い。そうでなくても連続飛行は操縦するヘインズさんの負担がとても大きいので、一晩泊めてもらうことになったのだ。

 バサッと羽音とともにユさんがわたしの横におりてきた。

「さぁーて! ルリ、コカリ聞きたいのよねっ? 兄さま演奏して! あたし歌う!」

「いいよ。そろそろ暗くなるからね、短いのにしよう」

 ユさんの要望に、カ・メイロさんはにこにことうなずいた。

 うわぁ、嬉しい……!

 コカリの音色を聞けるだけでも嬉しいのに、ユさんの歌声つきだなんて。一度洞窟で聞かせてもらったけれど、何度だって聞きたい歌声だった。


 カ・メイロさんは胸元の飾りを手に取った。飾りだと思っていたそれは、コカリだったのだ。そういえば、いつも首からさげているって言ってたっけ。あんまりなじんでいるから、笛だと気づかなかった。

 コカリは手のひらくらいの大きさの、小さな笛だ。材質によるから一概には言えないけれど、小さな笛の音は、細くて高いことが多い。

 だから、そんな音を想像していたのだけれど。


 やわらかい、と思った。

 繊細な印象だけど想像ほど高い音でもなくて、耳にとても心地いい。

 それに、あんな小さな笛なのに、いくつもの音が奏でられるのが驚きだ。確か、穴の数はそんなに多くなかったはずだけど。

 コカリの音色とユさんの歌声はきれいに混ざりあって、島に、空に広がっていく。音は目に見えないのに、そう感じる。

 とても美しい音楽だった。


 感動を言葉にできず、わたしは夢中で拍手した。

「うーんっ、やっぱり空で歌うほうが好き!」

 ユさんは満面の笑顔でそう言った。

「ユさん、カ・メイロさん、ありがとう、とってもすてきでした!」

「俺も同じく! なんつーの、心が洗われたってゆーか……」

「一生忘れないな……」


 わたしたちの興奮っぷりに、カ・メイロさんはちょっと驚いた様子で、そしてちょっと照れくさそうに笑った。

「大げさだなぁ。演奏を仕事にしてる仲間からしたら、たいしたことないんだから。……でも喜んでもらえてよかった」

「いやもうマジすごかったから!」

 謙遜するカ・メイロさんの肩を、門倉さんはバンバンと叩く。あ、カ・メイロさんちょっと迷惑そうな顔してる。


「あ、ルリ、ご飯だって!」

 唐突にユさんが言った。ご飯だってって、そんなこと誰も言わなかったのに。

「おじさん、よく音だけですませちゃうのよ。さ、行こ!」

 音だけ……ああ、コカリを使う連絡方法、あれね。ジンロさん、どこまで無口なのかしら……



 テーブルの中央に、どん、とばかりに置かれた大皿。中身はトリ肉と野菜と、種類はわからないけど香草のスープみたい。スープというか、煮物に近い感じ。クィリの実を使った一般的な料理だそうだ。それとパンが、ジンロさんが準備してくれた夕食の献立だった。

「どうぞールリ」

「いただきます」


 小鉢に取り分けられた煮物。どれがクィリの実なのかしら。

「ルリ、この白いのがクィリよ」

 自分の器から、扇形に切られた白いものをスプーンにのせて見せてくれた。

「あ、これが……」

 白いそれをすくって、口にいれる。シャキシャキとした歯触りと音。あれ、でも……

「味は……ないのね」

「そーなの。だからクィリ料理は味付けが命なのよ。クィリはシャキシャキだけなの」

 なるほど。他の野菜にはそれなりに味がしみているけれど、クィリだけはそのままだ。スープが甘辛くてちょっと濃いから、まったく味のない淡白な存在は口の中をやわらげてくれる。シャキシャキした食感も楽しい。

 門倉さんはそうでもないみたい。「うーん」なんて唸ってる。反対にヘインズさんは気にいったみたいで、せっせと手を動かしている。

 食感って好みの分かれるところよね。


 そして食後。お茶だ。調べてみてから、ずーっと気になっていたお茶。

「これがクィリの糖蜜漬け。お茶葉はこれ」

 言いながらユさんがテーブルに二つの瓶を並べる。クィリの糖蜜漬けは、短冊に薄切りされたものがぎゅうぎゅうに入っている。

「はい、どうぞ」

 カ・メイロさんがカップをくばってくれた。渋い香りがする。


 どんな味かとドキドキしながらひとくち――……

「…………っ!?」

 し、し、し……っ、渋い……っ!

 とてつもなく渋い!

 口の中がおかしくなりそうだ。苦くないのが唯一の救いだけど、これはほとんど薬じゃないかしら……いや薬じゃなくて毒かも。あんまり渋すぎて、涙が出る。視界がにじんできた。

 これ普段から飲んでいるなんて、言わないわよね……


「ち、ちょ……っ、ゲホ、これなにこれ!? 超! しっぶいンだけど!?」

 門倉さんの声がひっくり返っている。

「ごめんごめん。体験してもらうのが一番いいかと思って」

 言いながら、カ・メイロさんは糖蜜漬けの瓶を開け、スプーン一杯ずつの実と蜜をカップに足していった。

「じゃあらためて。これが本来の僕らのテテだよ」

 渋いお茶に糖蜜漬けって、目の前で見てもやっぱり変だと思ってしまう。とくに、あの渋さを体感したあとだからなおさら。

 でも勇気を出して香りを嗅いでみると――不思議なことに、まったく違う香りになっていた。あの渋さが消え、まろやかな香りがする。


 そしておそるおそる飲んでみれば、

「おいしい……!」

 あの渋さはどこへ消えたのか、香ばしさとわずかな甘みのあるお茶になっていた。

「ねー? お茶葉だけだとものすっごーく渋いのに、糖蜜漬け入れるとおいしくなるのよ。どうしてそうなるのか、フシギよねー!」

「うん……驚いた……!」

「フシギってか、もう詐欺だよこれ」

「他の果物の糖蜜漬けじゃダメなんだ。どういうわけか、クィリ同士でないと」


 流通しないわけだ。

 茶葉はともかく、実の糖蜜漬けは売り物にできるほどの量を生産できないだろう。普段の食料でもあるのだから。

 わずかとは言え、中浦さんはよく手に入れられたなぁ……


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