教えと本能
この世界を創り上げた四つの過負荷存在を表した赤、白、黒、緑のステンドグラスは灰色の日差しを通して、聖堂内に異形の影を落とす。その陰の中に一か所だけ抜け落ちたかのような白さを持つ人型が立っていた。
細部に金の刺繍の装飾が入った純白の法衣に、人間の男性を模した大理石の仮面。それらは〈聖職者〉と呼ばれる者の特徴であった。その手には黒と金の錫杖があり、白一色の調和が崩されていた。
「本質を述べよ」
白は静謐さと厳粛さを併せ持った声音で目の前に立つ二人に投げかけた。
一人は狼の面を着けた少女、もう一人は鴉の面を着けた大男。アルヌイとフギンである。
「剣だ」先にアルヌイが答える。
「……銃だ」遅れてフギン続いた。
その先を話そうとアルヌイが口を開いた。
「聖アモンよ、ニエが死んだ──」
その瞬間、アモンと呼ばれた聖職者が錫杖の柄で強く床を打った。
こぉん、と聖堂内に音が反響した。
その音がアルヌイの頭の中で何度も繰り返して鳴り続けた。
あの音はアルヌイの記憶に深く刻まれた音によく似ていた。
この音が鳴った時、いつもアルヌイは自我を空白に染める。
染めなければならないと、狼たるアルヌイの本能はそれに抗うことを赦されない。
「どうした?」
急に黙り込んだアルヌイの様子を見て、フギンは鴉の眼光をアモンへと向ける。しかしそれだけだった。
フギンの視線を受けて、アモンは短く言葉を吐き出す。
「聞かせよ」
白は片腕を広げてフギンの方にそろえた指先を向けた。アルヌイはそれを見て一切の言葉と思考を自ら封じる。
「……やっぱりか」
マスクの内でフギンが聖職者に聞こえない程度に小さく舌打ちして、白に対して一礼する。
「霧の大陸でニエという寿命の近かった者が戒律の下、殉教を果たした。新たにこの者と同道する許しが得たい」
白の仮面の真っ暗な眼窩がアルヌイを一瞬捉え、すぐに逸らす。
白は答えず、錫杖の先の金銀の装飾をしゃんと鳴らした。すると白の立つ祭壇の脇から鳩の面を着けた白服が二人現れ、フギンの前に黒い紙きれを差し出した。
「聖アモンの名において『剣』の同道が許された。ゆくがいい」
鳩の一人が言って、アルヌイとフギンは背を向けて、聖堂を後にした。
■■■
世界は三つの人種に分けられている。
一つが〈聖職者〉、白い衣服を纏い『人の面』を着け、戒律に従い生きるもの。
もう一つが〈獣〉、生きる意味、寿命、言葉を持たぬ理に見捨てられた人々。
最後の一つが〈死者〉、聖職者から生きる意味と寿命を与えられ『獣の面』を着けた者。
アルヌイの着ける狼の面は聖堂での教育課程で最も攻撃性の高い者に与えられる証であり、純潔の戒律を持つ聖職者からは忌避される。ゆえに聖職者と言葉を交わすことを禁じられていた。
「白服が狼の面とは口を利かないと聞いたことはあったが、本当だとはな。アルヌイしか生き残ってねぇのによ」
聖堂を出てすぐにフギンが伸びをしてぼやく。
「フギンはどうしてニエが霧の大陸で死んだと……?」
空白の中で聞こえていたフギンの言葉に違和感を覚えていたことを告げる。フギンはつまらなそうに答えた。
「あんなのはただの出まかせだ。どこにでもあり触れている事を言っただけで、何も特別じゃない。俺はニエがどんな人間だったのか知らねぇが、死んじまえばそれまでって事さ」
死んでしまえば──あの言葉を聞いていると、黒牛の車内で感じた自分を破壊する感覚が戻ってきそうだった。
「人は死んだらどこにいく」
純粋な疑問としてそれを吐き出していた。人は傷を負い、血を流す、寿命を迎えれば体の活動は停止して死ぬ。なので死については理解できる。なのに死の先の事は何も知らなかった。
「知りてぇなら自分で少しは考えろ」
こめかみに人差し指を立てて、フギンは冷淡に返した。
「この世界はおかしいんだよ。意味のわからねぇ化け物を崇めて、お前みたいな|生まれながらに死んでる人間を生み出して、過去の積層から神秘とやらを集めさせる」
フギンの声は苛立っていた。それが何に向けられた怒りなのかアルヌイには分からなかったが、言えることはフギンが間違ったことを言っているということだ。
「それは違う。わたしたちの本質によって世界がこういう風にできているんだ」
「本気で──」言いかけて「本気に決まってるか」とフギンは言い直した。
フギンは周囲に視線を動かして、アルヌイに戻す。
「……聖堂の前でする会話じゃなかったな」
舌打ちをしてフギンは忌々し気に呟く。気づくと通りを行く死者の何人かが視線を向けてきていた。それも殺気の籠った視線だ。視線は二人にではなく、フギンにだけ向けられているようだった。
「あくまで狙いは俺ってことか」フギンもそれに気づいていた。
アルヌイは意識を研ぎ澄まして殺気の出所を見つけ出した。数は三つ。どれも殺気の色は黒だ。つまりアルヌイと同種の死者が向けてくるものだった。しかし、アルヌイには分からないことがある。
「なぜ、彼らが殺気を向けてくるんだ」言いつつも応戦の用意をするアルヌイをフギンは鼻で笑った。
「そりゃ、聖堂の教えを否定するような事を言ったからだろ」
「ならフギンは敵なのか?」
アルヌイが腰の剣を鳴らす。狼の仮面の眼窩に眼光が宿ったか如くに鋭い殺気が放たれるのをフギンは感じ取っていた。
「お前がそう思うなら、そうしろ」
それだけ言って、フギンも臨戦態勢になった。夜気のような冷たい殺気を纏っていた。