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アルヌイ -哲学する獣-  作者: シシ・ルイルイ
第一章 死に至る
3/4

鴉と狼

 

 窓を流れる景色が切り替わる。灰色の廃墟群が遠くなり、黒鉄の建造物が窓の中を占有すると、列車内の空気も変わった。それぞれがそれぞれの荷物を抱えて立ち上がり降車の準備を始める中、フギンは眠っているのか腕と足を組んで黙り込み、アルヌイは静かに窓の外に目を向ける。


 人類の神秘資源採集拠点の一つ、サウス・ブリッジへの到着を前にして、アルヌイは自分がどうするべきなのか考えを巡らせていた。


 剣であること以外に自分に何かがあるのか。ニエの最後の言葉の意味を知る事は自分にとって重要なことなのか。再度自らに問いかけるも、アルヌイに答えを出す術はない。


 ただ問いだけ目の前にある。答えを得るには狼の少女は知らない事が多すぎた、世界の事も、自らの事も。


 アルヌイは灰色の雲に覆われた遠くの空が、まるで今の自分の状態のように感じた。あの暗く厚い雲の向こうには空があり、雲が晴れれば空が現れるのだろうか。


 そう考えるアルヌイだったが、ガヲケレナの領域が近いこの土地で空が晴れたところなど見たことが無かった。


「お。もうサウス・ブリッジに着くな。という事はここでお別れか」


 さっきアルヌイを旅に誘ったことなんてもう忘れたかのようにフギンが言うのを聞いて、アルヌイの胸中には複雑な感情(もの)が生まれた。


「フギンはわたしを連れて行ってくれるんじゃないのか?」


 思いがけずアルヌイがそんな事を口にすると、フギンはばさばさと笑った。


「望まない旅についてこいなんて、俺は言ったつもりはねぇ。お前にはお前のしたいことがあり。俺には俺のしたいことがある。そうだろ?」


「わたしのしたいこと?」生きる意味は施設で与えられているのに不思議な事を言う、とアルヌイは思う。問いに応じないままフギンは続けた。


「誰だってあるもんだろ。ほとんどの奴は〈城〉に行きたいって言うが、アルヌイはそう言うのとは違うみたいだしな。だから声をかけてみただけだ」


 そう言ってフギンは窓の外に視線を戻した。


 アルヌイは自分のしたい事なんて分からなかった。いや、正確には考えたことも無かったというのが正しい。


したいこと(・・・・・)ってなんだ?)



 剣としての本質を与えられたアルヌイの生きる指針は剣であることのみに集約される。

 剣ではない自分の姿など考えられない。

 自分から剣を取ったら、そこには何が残る?

 否、そもそも剣は考えたりしない。なら剣であるわたしは?

 考えれば考えるほどに深い水底に落ちていくような、上下が逆さまになったような、行き場のない気持ち悪さが胸を上り詰めてくる。

 様々な思考が駆け巡り、アルヌイの思考をかき乱していく。

 まるで自分で自分を壊すような感覚にアルヌイは眩暈を覚える。

 これはなんだ、と思った瞬間──強烈な吐き気がアルヌイを襲った。


「うぷっ……」


 アルヌイが不穏な音を発するのを聞いて、フギンが慌てて立ちあがった。


「おいおい、乗り物酔いか? あと数分もしないでブリッジに着くから何とか我慢しろよ。マスクの中で吐くと最悪だぞ」

 


 ■



「うえっ……」


 涙でかすむ視界の中、ほぼ透明な液体が一塊になって、眼下のアストラヱの深紅の海へと落ちていくのをアルヌイは見ていた。目に痛い色をした赤い海に視線を向けたまま、幾度目かの嘔吐を経て、ようやく気分が落ち着き始めたところで、横から声を掛けられた。


「大丈夫かよ?」


 背を擦ってくれていたフギンに問いかけられ、アルヌイは呼吸を整えながら狼の仮面を外した素顔をフギンに向けた。


「大丈夫、頭を使いすぎただけだと思う」慣れないことはしないものだな、とアルヌイは自省する。


「なんだそりゃ。ていうかアルヌイお前、意外ときれいな顔してるな、ゲロ吐いたけど」


 フギンの冗談なのか、褒めているのか曖昧な言葉を聞き流して、アルヌイは口元を拭うと、まだ生ぬるい空気が口内に残っているのも厭わずにマスクを装着した。


「それより、よかったのか。北に行く予定だったんだろう」


「んーそうだな……」


 アルヌイを介抱するため黒牛を降りてしまったフギンが少し困ったように後頭部を掻く。

「次に北に向かう黒牛が来るのは二週間後だ」


 現在アルヌイたちのいるサウス・ブリッジはほぼ終点と言って差し支えない位置にある。

 

 そこから北東へ進んでいった黒牛はアジア大陸と北アメリカ大陸を繋ぐノース・ブリッジまで行って、戻ってくるのが、大体それくらいであったとアルヌイは記憶している。それを告げるとフギンは辺りを見渡して、ひとつ頷いた。


「降りちまったものは仕方ない。しばらくは俺もサウス・ブリッジに留まることにするさ。とりあえず、アルヌイは〈聖職者(プリースト)〉へ報告が必要だろ?」


「……そうだった」


 フギンが聖職者と呼ぶ者とは、つまり白服たちの事だ。彼らは剣であるアルヌイに語る言葉を持たない。一方的な報告にはなるが寿命の近かったニエの死については報告しておいた方がいいか、とアルヌイは思う。


「折角だ。俺も白服どもの面を拝んでおくとするか」


「同行するのか?」


「ああ、まぁ俺は報告するような事は何にもねぇが」


 北に行く予定が狂ったことを特に気にした様子のないフギンは、平べったい長方形の箱に括り付けられた太い紐を持って、片方の肩に担いだ。


 そう言えば、とアルヌイは一つ思うことがあった。


「フギンの本質はなんだ? わたしとは違う」


「そんなものが気になるのか?」


 歩き始めていたフギンが振り返らずに言った。


「本質は聖堂から与えられた生きる意味だろう。それが無くては、人類拠点の壁外に生きる獣たちと同じだ」


 アルヌイは黒牛の中から見た、みすぼらしい人々の姿を思い浮かべる。寿命を与えられず、生きる意味を持たない者たち。アルヌイも『剣』として生きる意味を与えられるまではただの一匹の獣だった。


 明日のことさえ分からない、何をすればいいのかも分からない、ただ少なくともあそこ(・・・)では役立たずだった。アルヌイはそれらの事がひどく不安だったことを覚えている。


 だからこそ、フギンが本質を無いように振る舞うのか理解できなかった。


「……どうしても知りたいって雰囲気だな。いいぜ、俺の本質は『銃』だ」


 そんな事アルヌイは思っていなかった。ただ理解ができなかっただけだ。それをフギンは『知りたい』と言った。またひとつアルヌイには理解できないことが増えた。


「わたしは『剣』だ」


「そうか。剣と銃、なかなか良い組み合わせじゃないか」


 フギンが喉を鳴らして歩き出したので、アルヌイもその後ろをついて歩いた。


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