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アルヌイ -哲学する獣-  作者: シシ・ルイルイ
第一章 死に至る
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黒牛に揺られ、鴉と出会う

 色褪せない記憶なんてものは本当にあるのだろうか。物質文明が滅びゆく定めである以上、どんなものであれ形を失い、忘れられていく。止まぬ雨のように過ぎ去り、降り積もる雪のように溶け消える。そうしたものが今の世界を作ったことだけは間違いなかった。



                ■



  一


 アルヌイは霧の大陸の端からインド洋を横断して走る巨大な鉄塊、別名〈黒牛〉に揺られながら、窓の外に目を向けた。空の色は灰色で、流れていく景色は寂れた廃墟ばかりが通り過ぎていく。そんな虚しい景色の中に人の影が時々見えた。汚れた布切れを纏い、寿命が設定されていないために明日を生きられるかも定かではない日々を過ごす人々。


 かつては自分もその中の一人であったことをアルヌイは思い出していた。



「ここの景色は変わらないな」窓に頭を預けて呟いた声を、拾う者がいた。


「あんた、任務帰りか?」


 知らない声だった。声のした隣に顔を向けると鴉の意匠のマスクが、その鋭い眼窩をアルヌイへと向けていた。鴉は黒い羽根を模した長外套(ロングコート)で全身を覆い、背には鴉の身の丈の半分ほどもある長方形の箱を背負ってアルヌイを見下ろすように立っていた。



 でかいなと、アルヌイは他愛のない感想を抱きつつ、鴉の問いに返答した。


「ああ。わたし以外、みんな死んだけどな」


 アルヌイがそう言うと、ばさばさと羽音が聞こえてきそうな大きな声で鴉は笑った。


「何をいまさら。俺らはみんな死んでいるじゃないか」


 マスクの下でくくく、と鴉がのどを鳴らす。言われてアルヌイもそうだな、と思った。


「俺はフギン。お前は?」ひとしきり笑った後、鴉は手のひらを差し出してきた。


「アルヌイだ」名乗って、フギンの手を握り返した。


 握手を交わすと、フギンはアルヌイの向かいの席に腰を下ろし、傍らに長方形の箱を立て掛ける。変わった人物だ、しかしアルヌイは不思議とすんなりとフギンの同席を受け入れていた。


「俺も任務帰りなんだ。随伴していた回収部隊の奴らはみんな〈城〉に向かったよ」


 城。アルヌイの脳裏に忘れかけていたニエ達の猿の仮面が過り、彼の最後の言葉を思い出す。


『その剣で、おれを殺してくれ』


 アルヌイはその言葉の意味を理解できないままでいる。もしかすると意味など無かったのかも知れない。結局アルヌイは思考を手放していた。アルヌイはこうして戦うこと以外に思考を割くこと自体あまり得意では無かった。


「アルヌイ」


 呼ばれ、ハッとする。形容しがたい感覚にアルヌイは戸惑っていたが、互いにマスク越しのため表情は分からない。フギンは窓の淵に肘を着いて外へと視線を向けると言葉を続けた。


「なぁ〈城〉なんて本当にあると思うか?」


「見たことはないが、死んだ同僚たちはあると言っていた」


 フギンの問いがアルヌイにはよく分からなかった。城があろうがなかろうが、アルヌイの生き方が変わることはない。けれど、フギンの問いには少し興味があった。


「さっき自分で同僚は城に向かったと言ったじゃないか。なら、有るという事にならないか?」


「さぁな。〈黒魚〉の発着場で別れたからな。ただ、あいつらが向かったのは俺が一度も使ったことのない白い黒魚だった」


「白い黒魚」言葉を反芻して、アルヌイは自分の記憶を遡って辿ってみた。


 そういえば、霧の大陸から戻ってきた時そんなものがあった気がする。


「ついでに白服もいたな。そいつらに俺だけ黒牛に乗るよう言われたんだ」



 フギンの言う白服とはアルヌイたちのような人間の育った施設の職員であり、寿命の管理と設定を行っている人間だ。だが、彼らにも寿命はある事をアルヌイは知っていた。アルヌイが小さい頃にそこの施設長が傷を負ったわけでも無いのに死んだからだ。城では寿命が無いという話だから、彼らは城の人間ではないのだろうとアルヌイは考える。



「あの白い黒魚がどこに向かったのかも分からない以上、その先に城があるかなんて分からないだろ?」


 そう言われてもアルヌイにはあまりイメージが湧かなかった。


「分からない。見たことも無いものについて考えるのは苦手だ」


 正直な感想をアルヌイは述べた。フギンがくく、とのどを鳴らす。


「変わってるな、お前」


 ついさっきアルヌイがフギンに抱いた感想を、今度はフギンが口にした。


「そうだろうか」


「狼のマスクをした奴は何度か会ったことがあるが、お前みたいなのは初めてだ」


「そうなのか。だがわたしは一人しかいないのだから当然じゃないか?」


「そういうところが変わってるんだよ」フギンが笑いながら言う。


「そうなのか」 


 自己について何かを言われることなどアルヌイは初めての経験だった。他者から見た自分がどういう風に映っているか考えたこともなかったが、果たして自らが自らたる所以が剣以外にあるのだろうか。一瞬、考えてアルヌイはその思考を振り払う。



「ところで、アルヌイはどこまで行くんだ?」



 フギンが話題を変える。アルヌイたちの乗る黒牛は現在インド洋の海上に架けられた長大な鉄橋を走行していた。鉄橋を渡りきると大陸の縁に沿って北アメリカ方面へと北上していくルート進んでいく。

アルヌイは次の仕事が無かった。なので、予定としては鉄橋を渡ってすぐの連結拠点で降りて次の仕事を貰う事がひとまずの目的だ。



「この先の連結拠点で降りるつもりだ。部隊を失ったから次の仕事がない」


「サウス・ブリッジか。まぁ俺も次の仕事が決まってないのは同じだが、俺は北の方まで行くつもりだ」


「なぜ?」


「なぜって言われてもな。俺がただ見に行きたいだけだよ、黒牛や黒魚で行ける場所は限られてるだろ。ガヲケレナの広大な森と見知った風景の中だけで寿命を使い果たすのはつまらない。どうせならアルヌイも一緒に来ないか?」



 アルヌイの胸にちくりとした感覚があった。面白いとつまらないの基準をアルヌイは持っていないが、フギンの考え方では一生を森で終えようとしていた自分の人生はつまらないという事になるのだろう。だが、たとえ人生がつまらないものであったとして面白くする必要性がどこにあるのだろうか。アルヌイは自身が育った施設の白服の言葉を思い出す。



『お前は剣だ。それがお前の本質であり、存在することの意味なのだ』



 自らが剣である以上、剣としての役割を果たせればそれだけでアルヌイは満たされている。それは変わらない。強いて言えば不変であることがアルヌイの生き方だった。


 その時、不意にニエの最後の言葉が再び脳裏を掠めた。アルヌイは思う、あの言葉もニエが何かを選択した結果出てきた言葉なのだろうか、と。


「ここの景色は変わらないな」


 窓の外を見ていたフギンがつまらなそうに呟いた。変わらないことの何が悪いのか、アルヌイには分からない。だが、フギンについていけば何か分かるかもしれない、そう思った。


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