婚約破棄を宣言した元婚約者を殴りつけた相手と結婚します
「ミリフィリア・アースグライン。君との婚約を今を以て破棄する」
学園の卒業パーティーでの一コマとは到底考えられない宣言に、賑わっていた会場内は静まり返る。
(婚約破棄?今、この方は婚約破棄といったかしら?)
婚約破棄を叩きつけられた令嬢、ミリフィリアは目の前で自分ではない別の少女を抱く婚約者へと視線を向ける。
「私は最愛の人に出会ってしまったんだ」
「嬉しいですわ、ハロード様ぁ!」
婚約者……彼の言葉を借りるならば元婚約者ハロードはこの国、トライツオークの第一王子に位置する人物である。まさかそのような人物が、このように短絡的な行動を起こすとは誰しも夢にも思わなかった。
「ミリフィリア。君はシャロンを虐めていたそうじゃないか」
「私、怖くって〜!公爵家に逆らえないじゃないですか〜」
ハロードにしなだれかかって泣いて見せるシャロンに、ミリフィリアは内心天晴という想いでいっぱいになる。
(都合よく泣ける演技だけは女優級ね)
つい数ヶ月前にザッシュマ男爵家に引き取られた平民上がりの庶子、シャロン。彼女は、学園で次々と高位の貴族令息達へと接近していた。その中にはもちろん、ミリフィリアの婚約者であったはずのハロードも含まれる。
「わたくしがザッシュマ男爵令嬢を虐めたという事実はございません」
「それはお前が家の力を使って隠蔽したからに他ならない。公爵令嬢として恥ずかしくないのか」
(なら、こちらの言い分を一切聞くことなく、王家の力で断罪する気満々のそちらは恥ずかしくないのかしら)
呼び捨てにされたことに対しても腹に据えかねていたというのに、ここにきてのお前呼び。なかなかどうして、目の前の王子は愚鈍だったようだ。
「お前のような女が未来の王妃になったかと思うとゾッとする。その点、シャロンは愛らしく皆に好かれる王妃になるだろう」
「キャ!ハロード様ってば褒め過ぎです」
(……本当に王妃になれると思ってるのかしら?)
ハロードとシャロンの馬鹿らしいやりとりに、ミリフィリアの表情は冷めていく。会場内の温度も比例するかのように下がっているのは、気の所為ではないだろう。
「そういうことで、お前との婚約を──ッ!?」
「──あっら〜、ごめんなさい。こんなところに特大のゴミがあるなんて!」
再度婚約破棄を告げようとしたハロードは、そんな言葉と共に吹き飛ばされる。
「……え?」
隣りにいたはずのハロードが言葉通り会場内の端で伸びている姿に、シャロンが間の抜けた声を漏らす。
「皆様、ごきげんよう」
颯爽と微笑みを湛えて挨拶をする美丈夫に、シャロンと伸びているハロードを除いた全員が頭を下げる。
「いやぁ〜ね!そんなに固くならないでちょうだい!」
見た目とは裏腹に柔らかい言葉を使いこなす様がなんとも謎に包まれている。
彼は笑ってはいるが、頭を下げた者達はまだ誰一人として頭を上げる者はいない。
「ちょっと、アンタなんなのよ!ハロード様に対してこんなこと許されると思ってるの!?」
誰もが頭を下げる相手に対して、シャロンは怒鳴る。
彼女からしてみれば第一王子が婚約者の公爵令嬢を捨て、自身を取ったのだ。高位貴族よりも自分を取ってくれたという優越感に浸っていたところに降って湧いた謎の女性言葉を話す男。邪魔者以外の何者でもない。
「なぁに?よく聞こえないわー」
「聞こえてるでしょう!アンタの耳は飾りなの!?」
なおも怒鳴り散らすシャロンに、会場内の者達は冷や汗を流す。
(……終わったわね。彼女、頭が弱い弱いと思っていたけれど、確実に終わってしまったわ)
高位貴族令息に粉をかけていくシャロンの評判は頗る悪い。令息達の婚約者達からは当然のごとく恨まれている。婚約者達だけではなく、周囲の教師や生徒達からも遠巻きにされている。
気づかぬのは当人達のみという残念具合。
これからして、シャロンの王妃への道は茨の道だったというのに、先程の発言で自らの首を締め付けたのだ。
「私は未来の王妃なのよ!こんなことしてただじゃおかないんだから!」
シャロンのヒステリー気味の訴えに、今まで彼女の言葉を意図的に聞き流していた彼はおかしそうに一つ笑う。
「……へぇ〜。王妃に?──たかだか、男爵令嬢にすぎないお前が?」
流暢に操っていた口調を取り払った男は、低い声音でシャロンに問う。唐突に矛先を向けられたシャロンが言葉に詰まったのが、頭を下げた状態でもよく分かる。
「よくもまぁ、多くのしかも高位貴族令息のみを篭絡できたものだ。その足りない頭にしてはよくやったほうだ」
「ッ!なんなのよ!みんな私と仲良くできて嬉しそうだったわ!ハロード様だって、私を王妃にしてくれるって約束してくれたもの」
「いっそ哀れと言うべきか、愚かと言うべきか。盲目的に表面上の言葉だけで手に入るものではないのだよ。王妃というものは特にな」
ハロードの口車に乗せられていたというのは分かるが、口約束だけで王妃になれると思ったシャロンは良くも悪くも王妃に似つかわしくない。
(王妃というのは多くのものを知ってこそなれるものだもの)
綺麗事だけを信じている人間は脆い。貴族の汚い部分を知り、その中で戦い最後まで立っていられる者こそが王妃という器に見合った人間といえる。
「お前の手腕は確かに素晴らしいものがあったのだろう。このように男達を転がすのではなく、もっと別のことに用いれば使いようもあっただろうに」
「……どうしろっていうのよ。どんなに努力しても、私は庶子で平民と指をさされるのよ!」
「ならば、学園を卒業した後に平民に戻ればよかったのだ。男達と過ごす時間を学業に費やし、それなりの成績を残せば出身がどうであれ待遇の良い場所で働けたというのに」
学園内には確かに多くはないが、平民は存在する。
平民であろうと、この学園を卒業したという証だけで職に困ることはない。寧ろ、平民達のほうが勉学に励み優秀な成績を収めている。それは偏に、卒業後より多くの進路の幅を広げるため。
(だからこそ、この学園出身の平民達は一目置かれる立場になるのよ)
「そ、そんなこと知らない!」
声を震わせるシャロンが哀れではあるが、誰も同情はしない。同情をする余地がないことを彼女は現にしでかしてしまったのだ。
「そうだろうな。男爵がお前に求めたのは学園で爵位に見合うだけの手頃な相手を見つける。ただそれだけだっただろうからな」
最近では衰退気味と噂される家門をなんとか再興すべく、昔に作った平民の娘をわざわざ引き取った男爵の真意は繋がりのない他家との縁を組むため。なんとか男爵家の存亡の危機を脱しようとした苦肉の策。
(それが、まさかこんな形でひっくり返されるなんて男爵も思っても見なかったでしょうね)
「……お父様はそんなこと一言も言わなかったわ。それに、良い成績をとればそんなに変わるなんて教えてくれなかった!」
「当然だろう?お前は他家との縁を結ぶいわば政略の駒。早々簡単に手放すわけがないだろう」
「そんなのって、あんまりだわ……ッ!」
泣き崩れるシャロンに、男は嘆息する。
「お前に泣く権利はない。知らなかったとはいえ、お前がやったことは国家反逆罪だ。高位貴族令息のみを狙った所業はそう取られても弁明はできないだろう」
辺境伯の子息から始まり、宰相子息に騎士団長子息。しまいには第一王子という見事に高位貴族令息を掌で転がしたシャロンの所業は言い逃れは難しい。
返り咲こうと目論んだ男爵は欲をかきすぎて、泥舟で沈んだのだ。最低限の礼儀と情報さえ与えておけば、このようにはならなかったであろう。
「落ちた男共に関しては呆れてものも言えないが、その中に異母兄がいるかと思うと目も当てられない」
「異母兄……?」
シャロンの呟きに、やはり彼女は何も知らなかったのだと知る。
「──皆の者、面を上げよ」
彼の厳かな声に、頭を下げていた者達が一斉に顔を上げる。
「この度は愚兄がこのような騒動を起こし、皆を混乱の渦に巻き込んだこと。並びに身勝手な理由で被害を被ったアースグライン公爵令嬢に謝罪する。大変申し訳ない」
ミリフィリアに対して深々と頭を下げる彼に、周囲がざわつく。
「おやめください、ヒューゼン殿下!」
ミリフィリアの必死の呼びかけに、彼──ヒューゼン・トライツオーク第二王子は頭を上げる。その表情はなんとも心苦しそうに歪められている。
「君には本当に申し訳ないことをした。愚兄の数々の非礼をどう詫びればよいのか」
「だからといって、ヒューゼン殿下が謝られる必要はございません。わたくしが誠に謝罪していただきたいのは、ハロード殿下なのですから」
「そういうわけにはいかない。母親が違うとはいえ、アレは私の異母兄なのだ。王族として恥ずべきことをしたのならば、王族の一員として責任を取るのが道理だ」
ヒューゼンは、王妃から産まれた唯一の子供である。比べてハロードは側妃から産まれた息子。生まれた順でハロードが第一王子という位置づけにいるが、王妃の息子であるヒューゼンを推す声は少なくない。
(だからこそ、ヒューゼン殿下はあんな喋り方していらしたのよね)
兄弟間での諍いを黙認するわけにもいかず、ヒューゼンは敢えて女性的な言葉遣いで日常生活を送っていた。即ち、王位を望んでおらず、異母兄の王位継承を支持するという彼の意思表示に他ならなかった。
側妃を母に持つハロードの力はヒューゼンに比べるもなく弱い。だからこそのミリフィリアとの婚約だったのだ。
国内でも有力視されるアースグライン公爵家にハロードの後ろ盾になってもらいたい王家からの王命こそがこの婚約の裏側。
(あっさり無に帰したけれど)
ミリフィリアとの婚約を破棄するということは、ハロードにとって後見を失うということ。つまりは、その時点でハロードの王位継承は途絶えると同義。
(それを理解していないハロード殿下は、ザッシュマ男爵令嬢に王妃なんていう夢を見せてしまったのだから罪深いわ)
視界の端でシャロンがわなわなと顔を青くして震えているのが見て取れる。
罵倒を浴びせた相手がまさかこの国の第二王子。それ以外にも自身の行ってきた罪を詳らかにされたのだ。実家はこのままでいくならば取り潰しが妥当。頼る相手もいない心情はいかばかりだろうか。
よくて流罪。最悪死刑もあり得る現実をシャロンはようやく理解したらしい。泣き叫ぶことも許されず、罪状待ちをするしかない彼女の傍にミリフィリアはそっと近づく。
「ザッシュマ男爵令嬢。確かにあなたは何も知らなかったのでしょう。ですが、婚約者のいる相手に言い寄ることは良いことですか?平民であれ、貴族であれ、よく思われないことは分かっていたでしょう?」
「それでもっ!……それでも、話しかけたらみんな笑ってくれたの。そのままの私でいいって言ってくれたの……!」
「……寂しかったのですね」
平民からいきなり貴族の仲間入りを果たしたシャロン。はじめこそは多くのことに戸惑いながら、順応しようとしたのだろう。……だが、結果は平民出身の彼女は貴族達から距離を置かれどうしていいか分からず術を間違ってしまったのだ。
導く者がいなかったために起きた悲劇。そう言ってしまえばそれまで。だが、ことはそれだけでは済まされる領域を遥かに凌駕していた。
「あなたが懇意にしていた方々の婚約者の令嬢達は皆、わたくしと同じように一方的に婚約破棄をされました」
「え……?し、知らない!私はそんなこと一度も頼んでない」
自分が指示したわけではないと身の潔白を訴えるシャロンの姿はまるで幼子のように映る。
何も知らなかったから、謝罪さえすれば許されると信じ切っているかのようにも見える。……残念ながらそれが通じるのは、自分では何もできない幼少期だけだ。
シャロンの過ちは正しい貴族としての教育を受けなかったこと。平民の時と変わらぬ感覚で思うままに行動してしまったこと。ただ教育を受けなかっただけでこうなってしまった。
知らないということは、時に罪になるという事例がこうして出来上がったことになる。
この国の人々はこれを教訓としていくに違いない。シャロンの二の舞いにはならぬように、平民から子供を引き取る際はとりわけ繊細に扱うだろう。
(きちんと教育を受けてさえいればザッシュマ男爵令嬢は、このようなことにはならなかったでしょうに)
被害者ではありつつも、シャロンを哀れに思うミリフィリアとは違い、ヒューゼンはきっぱりと言い放つ。
「シャロン・ザッシュマ。知らないでは済まされないところまで既にきていると、もう理解はしているだろう」
「……はい」
「後日、追って沙汰があるだろう。──連れて行け」
待機させていたのだろう近衛兵へヒューゼンは命じる。
腕を拘束され大人しく連れて行かれるシャロンは一度足を止めると、ミリフィリアに向かって頭を下げる。その後は歯向かうことなく、そのまま会場を後にしていく。
「あぁ、忘れるところだった。端で伸びているアレも連行しろ」
ヒューゼンの命令に、未だに意識を取り戻さない愚かな第一王子は引きずられていく。とうとう異母兄とさえ呼ばれなくなったことからして、ハロードの廃嫡は遠くないだろう。
「さて、ゴミ処理はもう少々時間がかかりそうだ」
「心中お察しいたします」
ハロードの王位継承が絶望的になった今、次に王位継承権を持つのはヒューゼンである。ハロードが残していった不始末を片付けながらの王位継承準備は骨が折れるのは間違いない。
ハロードを擁護するであろう側妃派閥の一斉駆除という名の抑え込み。ハロードの取り巻き達の婚約破棄された令嬢達に対する賠償など挙げるだけで切りがない。
「このような場面で言うことではないと重々承知の上なのだが……」
「はい?」
今までの威厳あるヒューゼンとは違い、歯切れの悪さを醸し出す彼にミリフィリアは首を傾げる。
ヒューゼンの頬がどこか薄っすらと赤く見えるのは、ミリフィリアの気の所為だろうか。
「──ミリフィリア・アースグライン公爵令嬢。私は君のことを好いている。どうか、私と結婚してはいただけないだろうか?」
意を決したようにヒューゼンから紡がれたそれは、会場内へ瞬く間に響き渡る。
婚約破棄されたかと思えば、結婚を申し込まれる。一日では体験することのない貴重な経験をミリフィリアは体現した。
「わたくし、先程傷がついたばかりの令嬢ですけれど?」
「構わない。私は以前より君のことを慕っていた。アレの婚約者でなければと何度思ったことか」
まさかの告白に、ミリフィリアは目を丸める。
ヒューゼンからはそのような気配は全く見えなかった。常日頃から誰にでも笑顔で柔らかい口調を使いこなすヒューゼンは、気のいいおねえさんといった風体だったのだ。
(わたくしが好きだったなんて)
「断られても仕方ないことだと実感している。アレに婚約破棄された直後に似つかわしくないことだとも分かっている。しかし、今言って置かなければ君は人気があるから……」
しゅんと項垂れるヒューゼンが可愛く見えるのはミリフィリアだけだろうか。
立派な体躯だというのに肩を下げる様がまるで犬のように見えてしまう。
「ヒューゼン殿下」
「あぁ」
断られると思っているのか眉を下げるヒューゼンがおかしくてたまらない。ミリフィリアはクスリと笑う。
「そのお申し出、お受けいたします。二度目の婚約破棄なんてもう経験したくありませんよ?」
「ッ!あぁ、もちろんだとも。生涯唯一君だけを愛するとここに誓おう。この場にいるすべての者達が証人だ!」
嬉しそうに破顔するヒューゼンに、見守っていた会場内の人々が声を合わせる。
「「「心よりお慶び申し上げます」」」
なんとも奇妙なことに、婚約破棄された公爵令嬢は婚約破棄を宣言した元婚約者を殴りつけた相手とこうして見事に結ばれた。
(わたくしもあなたのことが好きだったことを話すのは追々でいいでしょうか)
初めて出会った幼少期。まだ彼があの口調をするずっと前から、ミリフィリアが惹かれていたことをヒューゼンが知るのはこれよりまだ先のことになる。




