43 セントラーズ防衛戦
「フンッ、貧相な守りだな。ローザリアと比較にもならん。裏切り者のサハギンどもめ、自ら勝ち目のない戦に望もうとは地上の大気を浴びて脳が干からびたか」
「兄様、お気をつけくださいませ。現行の勇者を甘く見ては足元を掬われますわ。彼の恐ろしさは個の力だけではありません。自らが先陣を切り、周囲の者を奮い立たせる勇将としての器がございます」
「黙れ。それはこの俺様とて同じこと。死霊使いの能力があれば、意思を持たぬアンデットといえど他の兵に引けを取らん。条件が対等であれば、あとは配下の質と量で決まる。奴らにはそのどちらも足りておらんわ!」
星空が瞬き、松明により仄かに照らされた平野に二つの影が動く。
一人は黒馬に跨った全身鎧の騎士。首はなく、空洞から声を響かせる。
その隣に控える少女も二つに結ばれた金髪を揺らし、油断ない瞳を向けている。
近付いてくる彼女に対して、俺は防壁上から手を振って声を掛ける。
「よぉ、ロザリンドまた会ったな。この前は悪かった、今日は元気そうで何よりだ」
「貴方という人は……これほど絶望的な状況になってもまだ、己を失わず信念を貫くのですね」
「この世界を訪れてから、まともな戦力で戦った経験が一度もないからな。もはや日常と化したぞ」
いつもいつも逆境からのスタートだ。今さら三十倍の兵力差が何だという。
ふと、ロザリンドの隣に立つ、趣味の悪い黒鎧が不機嫌そうにしているのに気付く。
「貴様、わざわざ出向いてやったというのに、俺様を無視するか!」
「あ、悪い。もう一人いたのか。薄暗くて鎧姿がよく見えなかったんだ。その薄汚れた鎧を漂白することをお勧めする。それにその空気が漏れたかのような声はなんだ? もしかして屁でもこいているのか? アンデットの癖に腸の調子が悪いんだな。もう一度転生し直した方がいいと思うぞ。臭くて敵わん」
俺の挑発にサハギンたちの笑い声が続く。
緊張気味だった守備隊の面々も釣られて声を上げた。
「お、おのれ……矮小な人間の分際で俺様を愚弄するか!!」
「その元人間風情が何を言うハーバス。この程度で感情を揺さぶられるとは腕の方も大した実力はなさそうだな。……優秀な妹におんぶされてるだけか? 同じ妹を持つ兄として情けない」
俺も最近までは咲に頼り切っていたが、それで満足せず自分を磨いた。
今では他者の命を預かる身だ。ただ祭り上げられるだけの神輿ではないぞ。
「ハーバス、貴様程度が万の兵を擁したところで勇者殿には決して届かぬぞ!」
「リヴァルホス……師であるハデス様を裏切り、果ては魔王様に楯突き勇者に取り入るとは。前々から気に食わなかったが、ここまで愚かだとは思わなかったぞ!」
「種族を問わず己が認めた主に槍を預ける。これはハデス様も魔王軍結成以前から認めてくださっていた約束事。我らは裏切ってなどいない。信念なき刃を振う貴様とは違うのだ!」
おい、それは初耳だぞ。
ハデスという奴は一体何を考えているのやら。
とりあえずハーバスは煽っただけ面白いように反応してくれるな。
「私は……お前を許さない……! 必ずこの手で、息の根を止めてやる」
シンシアの鋭い殺気に一瞬だが、ハーバスが一歩退いた。
「死にぞこないのシンシアめ……貴様の方こそ我が剣で楽にしてやる。光栄に思え」
「……地上を彷徨う魂だけの存在に言われたくない」
「フンッ、大口を叩けるのも今のうちだ。俺様に楯突き、誘いを断ったこと地底の果てで後悔するが良い」
ハーバスは背中を向け一足先に陣地へ戻っていく。
残された少女は前世の旧友に悲しげな視線を送っていた。
「……シンシア、ニケ。本心を言えば、このような形で再会したくありませんでした」
「ロザリンド、絶対に目を覚まさせてあげるから」
「そうです! 今度は私たちが貴女を救う番です!」
「わたくしは初めから正気です。……ええ、狂ってなどいませんわ。――第一陣、前へ」
後退するロザリンドと入れ替わりに、数百の骸骨たちが横並びになる。
あれはニケさんに事前に教わった、骨馬を操るスケルトンライダーだったか。
人の形をした無機質な骨兵たちが同じ動作で剣を握っている。ついに決戦が始まるか。
「目標、セントラーズ。この無意味な戦いを、早急に終わらせるのです」
◇
黒い波が土煙を上げて一斉にこちらへ押し寄せてくる。
幾重にも重なった音が、地鳴りが、大きさを増していった。
「投擲隊、敵を射程内まで引き付ける。指示を出すまで動くな!」
「守備隊は弓を構えてください! 味方に誤射しないようご注意を!」
地上のリヴァルホスと、防壁上に立つニケさんが同時に叫ぶ。
守備隊への指示は、聖女と慕われているニケさんに任せていた。
俺もルーシーも常に戦場を移動し続ける。適任者は彼女しかいない。
≪二人の指示を全部隊に届けたわ!≫
≪届ケタゾ!≫
ザクロが通訳した言葉をルーシーが風に乗せる。
広い戦場内で、伝令として全軍に抜けなく届けてくれる。
「……まだだ。まだ引き付けろ」
スケルトンライダーたちが水堀を飛び越えて一直線に向かってくる。
街の入り口にあたる鉄門まで、残り僅かの距離に差し掛かってきたところで――――
「今だ、我が同胞たちよ! 己を奮い立たせろ。意思を持たぬ哀れな傀儡共に、熱き魂を宿した戦士の底力を見せつけるのだ!!」
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
リヴァルホスの号令と共に水堀からサハギンたちが一斉に飛び上がる。
握り締めるのはそれぞれの鱗から形成した【水燐流撃槍】。引き絞り解き放つ。
高速射出された槍は時間差で鱗をばら撒き、スケルトンライダーたちの身体を破壊する。
「続いて第二射用意――――放て!!」
絶え間なく降り注ぐ鱗の豪雨。サハギンたち数百の魂。
半数以上を倒すものの、恐れを知らぬ骸骨の勢いは止まらない。
「今です! 私たちもサハギンさんたちに負けていられません!! 放ってください!」
≪動く標的は直接狙わず、進行方向に合わせ置くように放つのよ!≫
『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
守備隊が一斉に矢を放った。ルーシーたち遊撃隊も追撃の風魔法を。
乱雑に飛び散った矢に風の推進力が重なり骨を貫通する。まだ敵は止まらない。
そろそろ生き残った敵部隊と、こちらの地上部隊とが接触する。俺は愛剣を持った。
「さてと、俺たちの出番だな。ルーシー、遊撃隊のお前の役割は重要だ。最初から最後まで苦労を掛けるな」
「あら、それっていつものことじゃない? ……ヒメノ、貴方なら心配はいらないと思うけど……それでも、気を付けて」
「ああ、お前もな」
短めの返答で済ませ、俺は防壁から躊躇せず飛び降りる。
頑丈な身体は十数メートルの高さを僅かな痺れだけで済ませた。
「ウモー! ウホホホホ!」
「……グギ」
地上でミノタとアークが待ってましたとばかりに集まってくる。
自主練の成果を見せてもらうとするか。三人でリヴァルホスの元に向かう。
「近接戦闘用意――ムッ、勇者殿。お揃いですな」
「リヴァルホス、最初から飛ばし過ぎるなよ。俺らの取り分が減るだろう?」
「ハッハッハッ。これだけの大舞台を前にして、血を沸かすなというのは戦士にとって酷な話ですな」
「はっ、いずれ更に大きな舞台を用意してやるよ。だから、こんなくだらない所で死ぬな」
「無論、この勇将リヴァルホス。愛槍に誓って、勇者殿のご期待に添えて見せます!」
『ブオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
オークたちが盾を構える。鍛え抜いた太腕がライダーたちを防ぎ止めた。
隙間からサハギンの三又槍が伸び、骨を引っ掛け馬から落とす。
「いくぞ!」
前にいたオークが盾を頭上にあげ、それを踏み台にして俺は飛び出す。
両足を開いて一対の頭蓋骨を吹っ飛ばす、隣でリヴァルホスが愛槍で馬を薙ぎ倒した。
「おらよっと、一丁あがり!」
「鍛錬が足りんぞ!」
ミノタとアークが地面に落ちた騎手にトドメを刺していく。
鉄門までたどり着いたライダーは十数体。一体も残らず破壊する。
「ん、これで終わりか? 呆気ないもんだな。俺たちが強すぎたってか!」
敵の第一陣は壊滅。骨の残骸を尻目に微動だにしなかったロザリンドが口を動かす。
「さすがは勇者様。この程度の兵ではけん制にもなりませんか。所詮寄せ集めの兵など、少し脅し付ければボロが出るかと考えたのですが、よく鍛え上げられておりますわね。この結束力は……貴方の人望がなせる業でしょうか」
「俺がやったことは些細なものさ。ここに残った一人一人の反骨精神、生き残ろうとする意地だ!」
「他者の力を自然と引き出し、引き上げられる者がどれだけ希少か――――残念です。わたくしは自らの手で希望の芽を摘まなければなりません。それが魔族たる……わたくしの使命、存在意義なのだから」
「……来るか」
くだらない小手調べを終えて、今度こそ本当の戦いが始まる。
「我が忠実なるしもべたちよ、進みなさい。破滅へと導く偽りの光を喰らい尽くすのです!」
先程の比ではない質量の塊が動き出した。波というよりもはや海そのもの。
己を奮い立たせるような雄叫びはない。敵を威圧する唸り声も。声なき死人たちの侵攻。
障害となる水堀を避けようとせず、落ちた仲間を踏み台にして。
死を恐れず死を内包したただ命令通り動くだけの怪物が迫ってくる。
死を間近にして俺の中で高揚感が、生きているという実感が湧き上がる。
「さぁここからが本番だぞ。最初から気合入れすぎんなよ。体力が尽きればそこで終わりだからな?」
圧倒的な兵力差、捕まれば救援なんてものは期待できない。
最後まで自分の力のみで打開する。まさに命を賭けた長距離走。
「各自、敵の侵攻を水路で抑えつつ突出した敵部隊は守備隊の弓範囲に誘い込め! 決して孤立だけはするな、常に周囲の味方を視界へ置いて囲まれないようにせよ! オーク隊は我輩に続け――ゴホンッ、ザクロ殿通訳を頼む」
「ワカッタ、オークニ知ラセル」
「んじゃ俺たちはお先に失礼するぜ。ミノタ、アーク遅れるなよ!」
「ウモオオオオオオオオオ!」
「…………クク」
地上部隊の指揮はリヴァルホスに任せて、切り込み隊である俺たちが黒海に潜り込む。
月咲神剣フレイアが敵を喰らうたびに煌めく。剣の腹の部分に紋章が浮かび上がっていた。
フレイアには七つの紋章と奥義が存在する。爺さんがそのうちの一つを目覚めさせてくれた。
神々が生み出した超常技術。言い換えるならただのチート。
これまで単体ではいまいち決め手に欠けていた俺の新しい必殺技。
「七大罪解放。すべてを喰らい尽くせ【暴食】!!」
起動詠唱のあと、剣先から放たれた眩い白光線が扇形に広がった。
振り下ろすと可視化された熱波が前方十メートル範囲にいた敵をすべて灰に変える。
これが【暴食】。咲の【消滅】簡易版みたいなものだ。しかもまだこれで終わりじゃない。
消滅した敵が有していた魔力成分を吸収。
既存の魔法に掛け合わせ威力を数倍に引き上げる。
「続けて、【氷ノ槍】改め――【氷ノ嵐】」
空中に七重の魔法陣が展開。凍てつく吹雪が数百の氷塊を創り出した。
魔法の師であるアークが炎を放ち、ミノタが斧を振り回しまとめて砕いてくれる。
「な、なにそれ!? 今の一瞬で何百体倒してるのよ!? 本当、無茶苦茶よね!!」
上空でハルピュイアたちと矢を放っていたルーシーが騒ぐ。
「新しい切り札だ。連発はできないからあまり期待しないでくれよ」
剣に宿る紋章が消滅した。次に発動できるまで若干の時間を要する。
しかしゾンビを数百倒したところで減ったように見えないのは、先が長いな。
「ん……この揺れはなんだ」
闇に隠れて大きな何かが近付いてくる音がする。しかも複数体だ。
ゾンビの肉壁の遥か後方、月光に照らされ現れたのはもはや懐かしさまで覚える連中。
「攻城兵器サイクロプスか!」
総勢十五体の一つ目巨人がアンデット化している。
防壁を超える体躯。腐敗しても尚厚みある質量の巨体が棍棒を振り上げた。
「くっ、あんなのが防壁に取りついたらおしまいよ!? ≪レグ、相手は大きな的なんだから外さないでよ!≫」
防壁上、巨大バリスタから射出された太い槍がサイクロプスの腹部を貫く。
肉を抉る音。しかし痛覚を失った相手、若干よろめいただけで速度は変わらない。
「先に進ませるかよ!!」
前方の一体が俺を視界に捉える。背後に飛んで棍棒を躱す。
「ミノタ、頼む!」
「ウモオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ミノタが両手持ちの渾身の力で斧を振り下ろし、サイクロプスの腕を地面に縫い付ける。
固定化された腕を伝って俺はサイクロプスの身体を一気に駆け上る。
空いている方の腕が、俺を落とそうと迫ってくるが。
「……ギィ」
アークの援護射撃が妨害。両腕を封じられ無防備になった相手に俺は剣を向ける。
生物の急所、頭、首筋を斬り付ける。最後に脳天を刺した。痙攣しながら崩れ落ちる。
「くそっ、ここまでして一体か! 【暴食】は温存しておくべきだったか!」
巨体の背中を滑り降り、次の標的を探す。だが近くに巨人はいない。
ハルピュイアたちが別のサイクロプスに群がりルーシーがトドメを刺していた。
二体駆除してまだ十三体健在。敵はかなり広範囲に散らばっている。時間が足りない。
――――ズヴォォォォォォォォォン
防壁から地上へ一筋の流星が落ちた。
遠方のサイクロプスが消し飛ぶ。続いて二体、三体、四体目。
「あれは、サクの【消滅】! ほんっと、あの子も訳がわからない強さね!」
「そうか、サイクロプスそのものは魔物だからアンデット化しても【消滅】が軽減されないのか」
「ウホホホ!」
「……ギギ!」
咲の投げる石が残りの不死巨人も粉砕していく。
一体を滅するのに五秒も掛からない。大きな歓声が起こる。
敵には絶望を、味方にとってこれほど心強い援護はないだろう。
「ん……?」
少し妙な感じがした。どうもここまで上手く行き過ぎている。
魔王軍がまず一番に警戒すべきなのは、言うまでもなく咲である。
魔物に対して【消滅】が絶大な効果を発揮する事実は当然、敵も把握している。
というより、ゾンビが【消滅】に耐性を持つことをロザリンド自身が語っていたのだ。
安易にサイクロプス軍団というカードを切ってきた理由がわからない。
単なるこけおどしか。それとも何らかの意図があり本命が裏に控えているのか。
「これでひとまず心配はなくなったわ。遊撃隊はサハギンたちの支援に向かうわよ!」
咲の活躍により各部隊が奮起している。ルーシーの声も明るい。
今の段階で考えても埒が明かないか。優勢のうちに敵戦力を削っておこう。




