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42 決戦前夜

「とんでもない数だな……もはや黒色の海だ」


 かつて俺たちがリヴァルホスとの戦いで利用したオークの砦がアンデットで埋め尽くされている。

 防壁上から遠視鏡を覗いてその様子を確認。あまりの数に腐敗した臭いまで届いてきそうだ。

 今のところ目立ったような動きはない。リヴァルホスの推測通り夜を待っているのだろう。


「皆さんたくさん食べて英気を養ってくださいね! おかわりもありますよ!」


「ブォ!」

「ギギ!」

「ウオオオ!」


 ニケさんが咲親衛隊や女将さんと混じって今晩の食事を兵たちに配っていく。

 決戦前ともあって気合の入れ方が尋常じゃない。領主の生誕祭かと思わせるほど。

 豪華絢爛な料理の数々。微量だがお酒も振る舞われていた。とにかく街が賑やかだ。


 広場の真ん中に大きな焚火を置いて、熱を帯びた橙の灯りを背に語り合う。


「まだまだ料理は追加していくから。焦らずよく噛んで食べなよっ!」


「今夜の飯は聖女様のお手製だってよ! くぅ~この味の濃さが脳にガツンと効きやがる」


「俺は二十杯おかわりするぞ!」


「でかっ腹で敵と戦えるかよ。いざって時に動けなくなっても知らねーぞ」


「ば~か飯は食える時に食うんだよ。空腹で死ぬなんて惨めな思いはしたくないからな!」


「こらっ、そこの男。どさくさに紛れて聖女様の手を握ろうとするんじゃないよ!」


「いでえっ!?」


 配給所に集まる、というよりニケさんに群がる男たちを女将さんが成敗していく。

 新兵たちはむさい男所帯なのもあって、荒野に咲く一輪の花に魅入られる者が多かった。

 ちなみに鬼教官は守備範囲外らしい。部下に『子供扱いされた!』とルーシーが拗ねていた。


「もうっ、あの子たちったら。今日は訓練がないからってあんなにはしゃいで……!」


「実戦よりも訓練の方が苦しいと思わせるだなんて、やるじゃないか」


「張り切り過ぎて無茶しないといいんだけど……」


 新兵たちを見守るルーシーは、もはや立派な保護者にしか見えない。


「ヒメノごめんなさい。あれだけ意気込んでおいて、結局三十人も離脱者を出しちゃった。私がもう少し上手くやっていれば、もっと賑やかになっていたはずなのに……」


 配給を受け取ったルーシーは俺に複雑な心境を打ち明けていた。

 最初は二百五人いた新兵もその数を減らしている。理由は様々だ。

 怪我を負った者。しごきに耐えられなかった者。臆病風に吹かれた者。家族が病に伏した者。


「いや、ルーシーはよくやってるさ。訓練の様子は俺もたびたび見てきたが、お前は何一つ間違ったことはしていなかった。お前に任せて正解だった」


「そうだといいんだけど……」


 確かに、二週間前まで一般人だった彼らには地獄のような訓練だった。

 脱落者が出るのも当然で、ルーシーも恨まれる覚悟で鬼教官をよく演じていたと思う。


「最初からある程度の数は覚悟していた。寧ろよく三十人で済ましたな? 偉いぞ」


「ありがと」


 つい子供扱いしてしまったが。ルーシーは文句も言わずに受けとめてくれた。

 いつだって子供を褒めるのは親の役目だが、親を褒められる立場の者は少ない。

 戦う以外で俺ができるのはこれくらいだ。頭を撫でながら、労いの言葉を掛ける。


「教官殿~ここの席が空いてますよ! いつものように、ありがたいお言葉をお願いしますよ~!」


「ごめんなさい、私呼ばれているみたいだから」


「おう。構わず行ってこい」


 ルーシーは新兵たちの元に向かっていった。心配せずとも十分慕われているじゃないか。

 

「兄貴~オイラ睨みを利かせて、場所を確保しておいたパルよ!」


「お前は俺の舎弟か」


 こちらもパルルが短い手を振って呼んでいた。隣にはレグとメガネくんの姿もあった。

 馴染みの面子だ。この間は覗きの現行犯として捕まえたばかりだが。今日はふざけた様子もない。


「よっ、邪魔するぞ」


「勇者様、いよいよ今夜が本番っスね。俺も狙撃手として大きな戦果を挙げるっス!」


 片腕に包帯を巻いたレグが息巻く。怪我はまだ治りかけで無理はできないらしい。

 彼には巨大バリスタの運用を一任している。ルーシーとウォッカ爺さんのお墨付きだ。


「村でも狙撃手を務めていたんだって? 噂はかねがね聞いているぞ」


「最初期は俺も年少者でしたから。大人たちの後ろで下手糞な援護射撃をしてたっスよ。まぁ、みんな死んじまったんで最後には前線に出ざるを得なかったけど。必要な技術は自然と身に着くもんで、いつの間にかこうして街一番の狙撃手になってたっスね」


 レグは飯を咀嚼しながら自分が扱う武器を点検している。

 過酷な戦いを生き抜いてきた者には、相応の歴史があるようだ。


「あの大軍を目の前にしても、皆さんは……戦うのが怖くならないのですか?」

 

 いつも冷静沈着な物腰のメガネくんが、器を持つ手を震わせていた。

 自分を取り繕うこともせず、弱音を吐き出している。俺たちは顔を見合わす。


「俺は初めからそういう感覚がぶっ壊れているからな。異世界人全般の特徴かもしれないが。女神の力の作用で危機感が薄いんだ」


「いやぁ勇者様が特別なだけって気がするっスけど。ちなみに俺もあまり恐怖心は感じないっスね。慣れてしまったというか、正常な神経をしていたら戦争なんて耐えられないっスから。ん……? つまり勇者様とあまり変わらないってことっスかね」


「オイラもいつも通りって感じパル。兄貴とお揃いパルね」


 一緒くたにされたが、ここには感覚の鈍い連中ばかり揃っているようで。


「ははっ、やっぱり凄い人たちなんですね。歳はそこまで離れていないのに。……尊敬します」

 

 メガネくんは振り絞った笑いを飛ばし、すぐに俯く。

 無理もないか。数時間後には命を賭けた戦いが始まるんだ。


「教官殿の下で過酷な訓練を積んできて、数日前までは自信があったんですよ。今の僕なら敵が何体現れようとも蹴散らしてやるって……ですがこうして、直前となってすべてが吹き飛んだのです。自分が何を学んできたのか思い出せないくらい、震えに襲われて……勇者様、僕は戦えるのでしょうか?」


「それは無理だろうな」


 ハッキリと、俺は歯に衣着せず言い切る。


「ルーシーがお前たちに施した訓練は敵を倒す術ではなく、生き残る為の教えだ。今の自分が敵を倒せると思っているのであれば、それはただの自惚れだし考え直すべきだ。メガネくんのその感情は正常だぞ」


「では僕たちは何の為に訓練を受けさせられたのですか? 守備隊に入れられたのですか?」 


「それは戦いに生き残って経験を積む為っスよ」


 俺の代わりにレグが答えてくれる。


「さっきも話したけど、俺も最初は周囲の足を引っ張ってばかりいたっス。それがいつしか誰かに頼られるようになって、俺とメガネくんに差があるとすればこの経験って奴で。零と一ではまるで大きく違うっスからね。勇者様はなるべく多くの人に、その一に辿り着いて欲しいんだと思うっスよ」


「そうだな。いきなり万の軍隊と相対させてしまったのには申し訳なく思うが。他に都合のいい相手なんて探しても見つからん。戦場に慣れるには、実際に戦場に出るしか方法がないからな」


 ゲームのように今の実力に合わせた敵と戦えるなんて現実では起こり得ない。

 いつだって不利な状況から始まる。そこに不条理を感じても乗り越えるしかない。

 

「俺から言えることは決して英雄になろうとはするな、だな。自分の実力以上のものなんて本番で発揮できないし、仮に出せたとしても長続きはしない。危ないと思えば逃げてもいい。とにかくお前たちの役目は死なずに生き残る。その一点だけだと思ってくれ」


 そうして強くなり、いつかはレグのように後進を引っ張れる人材に育って欲しい。

 意図を伝えると、メガネくんは少しだけ遠い眼差しになる。誰かを思い出しているようだ。


「……死んだ兄も、初めての実戦はこんな気持ちだったんだろうか」


「メガネにお兄さんがいたパル?」


「はい、僕の兄はローザリアで騎士団長を務めていたんです」


「えっ……」


 メガネくんの発言を聞いて、ちょうど傍を通り掛かったニケさんが微かに反応する。

 ローザリア騎士団はニケさんとシンシアの古巣であり、その騎士団長は直属の上司だ。

 

「僕の家は古くからローザリアを守護する由緒ある血筋なのです。といっても貧乏貴族でしたけどね。そんな中で、兄は衰退していた我が家の救い主となる人でした。当時の精鋭騎士団団長に任命され、名誉ある勲章をいくつも授与されて……当時の勇者様の教育係を任されたと自慢げに話していました」


 家族を語るメガネくんは生き生きとしていた。

 それだけ兄のことを尊敬していたのだとわかる。


「ですが、そのあとすぐに兄が勇者様への愚痴を零していたのを覚えています。一人は天才で、騎士団の誰も敵わないほどの腕前を持ち、しかし他人との連携が取れず独り善がりである。もう一人の方は臆病でそもそも訓練にすら顔を出さないと。どのようにして彼女たちも含めた団員の生存率を上げられるか。常に頭を悩ませていました。最後の戦場に出る前も……いつだって彼女たちの身を案じていました」


 ちょうどルーシーと同じような悩みを抱えていたんだな。

 すぐ後ろでニケさんが胸に手を当てて、真剣に話を聞いている。


「……兄が戦死した日のことは今でも忘れません。知らせを聞いて僕も、両親も揃って、領主様を――唯一生き残った勇者様にすべての怒りをぶつけましたから。他の民衆たちに紛れて酷いことも言いましたし、屋敷に石を投げ込みました。家族と共にセントラーズへ逃げ込んだ後だって、憎しみの火はいつまでも消えませんでした。きっと兄が死んだのは勇者様が身勝手な行いをしたせいだと、本気で思い込んでいたのです」


「……どうしてメガネくんは、守備隊に志願してくれたんだ?」


 それだけ聞くと、今も勇者を恨んでいても仕方がない気がするが。


「どうせ人類に勝ち目はないのだからと自棄になっていたのもありますし、だったら最後に兄が語っていた勇者という人物がどういった人たちなのか、傍で確かめたいと思ったのです。ははは……真剣に街を守ろうと志願した人からは怒られそうですけど」


 切っ掛けがどうであれ、守備隊に志願してくれたのはありがたいが。

 メガネくんからは憎しみなんてものは感じない。どこか清々しさすら感じる。


「教官殿の訓練は死ぬほど苦しかったです。何度も後悔しました。ですが騎士団の人たちはもっと辛い訓練を受けていたはずなんです。勇者様だって、この前も模擬戦を拝見しましたが、努力も覚悟もなくあそこまで戦えるほど強くはなれない。聖女様の演説も、本当にこの世界の為に尽くそうとしているのがわかって、僕の憎しみが……とても、とても小さなものに感じたのです」


 正解も不正解もなく。それが彼の出した答えなんだろう。 


「自分が同じ立場に立って初めて見えてくるものがあるんですね。兄や勇者様がどういった気持ちで戦っていたのか、今の僕には半分も理解できない。それでも、訓練を続けるうちに掛けられる期待の大きさや、仲間たちからの信頼に応えないといけないという重圧で押し潰されそうになる。自分が今までどれだけ恵まれた環境で不満をぶつけてきたのか。思い出すだけで恥ずかしくなりますよ」


「あの……メガネくんさん……私は……!」


 我慢できなかったのかニケさんが前に出てくる。団長の死と直接関わりがあるから。

 責任を感じているんだろう。メガネくんは顔を上げニケさんの方を向き首を横に振った。


「聖女様。兄は確かに愚痴は零していましたが、それでもお二人の成長を心から喜び、共に戦えることを誇りに思っていました。冷静なって振り返ってみると、兄は悪い面ばかりを語っていた訳じゃなかったんですよね。勇者という存在に希望を感じていた。勇者様がいたから、恐怖を乗り越えて最期まで魔王軍に立ち向かうことができた。僕も――うん、そうだ。僕もそんな尊敬する兄のようにありたいんだ」


 言葉を紡ぐことで何処か吹っ切れた様子のメガネくんが笑う。 

 そこにレグが力強く飛びついた。パルルも陽気にお尻を振っている。


「だったら何がなんでも生き残るっスよ! 亡くなったお兄さんの分までメガネくんが強くなるっス!」


「レグ、果たしてボクにできるだろうか?」


「オイラがついているパル! メガネはオイラという友を得られて運がいいパルね~!」


 これが男同士の友情か。悪くない。


「何だなんだ、ここもやけに盛り上がっているな!?」


「俺らも混ぜやがれ!」


 そこに野次馬たちまでも乱入してきた。

 

「お前たち仲が良いよな。はっ、さすが女湯を覗こうとした変態仲間」


「「「「「違います」っス」パル」」」


 息ピッタリじゃないか。


「俺たちルーシー様の過酷な訓練を乗り越えた仲っスから。今思うとよく耐えられたものっスね!」


「あら、もう終わったように言っているけど、明日も明後日も訓練は続けるつもりよ? 戦いが終わったあとも覚悟しておきなさいよね。次からは本格的な戦闘訓練に移行するから」


 そこにタイミングよくルーシーがやってくる。

 ここまでの話を聞いていたのか悪戯っぽい仕草を見せた。


「ええ、マジっスか!? やっと解放された気分でいたんっスけど」


「当然よ。まさかここで死ぬつもりではないでしょうし。いずれは私の期待を上回る成長を見せてもらわないと。ここまで費やした時間が無駄になるじゃない。もしかして、もう限界なの?」


「いえ、まだまだ学ばさせていただきます教官殿!」


「あ、コイツ一人抜け駆けしやがった! 媚びを売りやがってズルいぞ!?」


「メガネは元貴族だけあって処世術に長けているパルねぇ」


 鬼教官の発破に新兵たちが呼応する。暑苦しいったらありゃしない。

 逞しさが増した彼らの声を聞き、夕焼け空に照らされたルーシーが優しい眼差しを贈る。


「難しく考える必要はないわ。基礎はすべて教えてある。あとは自分たちのできる範囲で頑張りなさい。貴方たちは……ゴホンッ、わ、私の……誇り、だから!」


「ルーシー様、感激っス!」


「教官殿……!」


「うひょ~初めてルーシーちゃんに褒められたパル!」


「噛んだな」


「もう、ヒメノは余計な一言が多いっ!」


 言葉を詰まらせ、いまいち決めきれないところも俺に似てきたな。


「私は明日も明後日も、腕を奮って美味しい料理を作りますから。メガネくんさんもどうか明日も明後日も……楽しみにしていてくださいね」


「あの、聖女様、僕には両親から貰ったレオパードという名が……もうメガネでいいですけどね」


「私も聖女ではなく従者ですから。ここはお相子ですね!」


 気の良い仲間たちに囲まれて、いつしかメガネくんの腕の震えは消えていた。

 それは一時のものかもしれないが、それでも誰かが支えている間は彼は立ち上がれる。

 この不条理な世界でそういう場所を作れたのは、きっと何よりも大きな一歩なんだろう。

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