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40 救いの手

 一通り巡回を終えて、俺は形になってきた防壁上を渡っていく。

 今は休憩中だろうか。地上では座って談笑する一団が見かけられる。

 完成した三重の外堀には海水が流し込まれ、サハギンたちが優雅に泳いでいた。


 次は簡易的な木橋をいくつか架けて、火罠を設置していく作業が始まる。

 万の大軍相手には微々たるものだが、目に見えて戦果を実感できる仕組みは重要だ。

 二週間という限られた期間の中での最低限はクリアした。残り時間で更に完成度を高める。


 傍にいたハルピュイアたちと、火薬樽の配置場所について相談していると。

 視界の隅に見慣れない人物の影が見えた。延々と巡回仕事をこなした俺の眼に狂いはない。

 一人で街の様子を眺めている。気配を遮断した立ち振る舞いは寧ろ誰かを誘っているようだ。


「あれは……まさか、ロザリンドか……?」


 真昼間から敵将が侵入してくるとは。豪胆というか、舐められているというか。

 俺もホームで完全に気を抜いていたので手元に武器はない。一応素手でも戦えるが。


 ハルピュイアたちをその場に残してコッソリ近付いていく。

 ロザリンドは訓練中の子供たちの元気な掛け声を聞いて、僅かに口元を緩めていた。

 土埃を伴った一陣の風が通り抜ける。二つ結びのブロンドの髪が揺れる。


「…………」


 黙っていれば人間の高貴なお嬢様のままだ。生前の面影を多く残している。

 身体が不自由だった頃の名残からか、彼女は足を庇い片手を壁に乗せていた。


「子供が好きなのか?」


 どうしても捕まえる気にはなれず、俺はフランクに接する。


「……貴方たちは、無駄な抵抗をなされるのですね」


 ロザリンドは俺の気配に気付いていたようで、質問は華麗にスルーされた。


「シンシアほどの聡い子であれば、抵抗すれば犠牲が増えるだけだと経験則から理解しているはず。あの子でしたら、無力な街の住人を巻き込もうとはせず、たった一人で抗い続けますわ。すべては、貴方の仕業ですわね?」


「解釈が一致しているな。俺もそう考えた。アイツはほうっておけば一人で何でも抱え込む。だから民衆を巻き込んだ。世界の命運を、一部の異世界人だけに背負わせるのは間違っていると思わないか?」


「女神に選ばれた勇者としてあるまじき行為ですわね。他者の犠牲を望むだなんて」


「まさか魔に堕ちた者に勇者の是非を問われるとはな。別に犠牲は望んでいないし強制もしてない」


「貴方がそうなるよう扇動したのでしょう? でしたら結果的には同じことですわ」


 ロザリンドからの鋭い指摘に、俺は否定も肯定もせず受け流す。 

 先程から彼女の発言は人間寄り。子供好きな一面からしても人の心は失っていない。


「そこまでいうのなら大人しく引き下がれ。お前も本心では人を殺めたくないのだろう?」


「……できませんわ。わたくしたちが引き下がったところで、別の勢力が代替(だいたい)するだけです。慈悲深いハデス様と違い、他の魔将軍たちは冷酷無慈悲。死が救済であると本気で思えるほどの苦しみを味わい、尊厳を破壊される人々をわたくしは嫌というほど目撃しましたから。だったら……せめてわたくしが救いのある死を、安らかな救済を与えるしか……」


 ロザリンドは幼さの残す風貌から、達観した表情で物静かに語る。

 魔王軍の一員として違う景色を見てきた彼女は、人一倍無力感を味わったんだろう。

 その中でもコイツはコイツなりの救済の道を探した。俺たちの行動とは真逆ではあるが。


「解釈がズレたな。俺はそうは思わない。ありがた迷惑って奴だ」


「魔王軍に歯向かっても、何をしても無駄です。苦しみが増すだけで、辛いだけですわ」


「生き残る為に抵抗して何が悪い。これは戦争なんだ。苦しいのも辛いのも当然だ。それでも戦うんだよ」


 ただ何も考えず、戦いが悪だなんてそんな平和ボケした考えは捨てている。

 既に大勢の屍の上に立っているというのに。それを否定するのは失礼な話だろう。


「どうして……そこまで。貴方たちの敵は……魔王軍だけではないのですよ?」


「……あの人とも魔物とも乖離した気味の悪い生物か?」


 直近で思い付く魔王軍以外の敵の存在は一つしかなかった。

 リヴァルホスとの決戦前に遭遇した謎の生物。奴は人だけでなく魔物も襲うのか。


「貴方もご存知でしたのね。次元の狭間から突如として現れ、生きとし生ける者を喰らい尽くす異形の怪物。魔王軍の部隊もいくつか壊滅的な被害を被りました。この大陸での報告例はまだ少ないですが、いずれ確実にこの街も奴らに脅かされることとなりますわ」


「連中は魔王軍すらも苦戦する相手なのか。まったく、厄介事ばかりな世界だな」

 

「ええ。この世界は徐々に狂い始めています。例え一時的に魔王軍を退けたところで、異形の怪物が待ち構えている。人々に決して安息の日は訪れない。勇者の力が如何に強力だとしても。……貴方たち異世界人の献身的な働きには感謝しています。ですが、すべてが遅すぎたのです。――――せめて、街を捨てシンシアとニケを連れて逃げてください。貴方たち四人だけならきっと、生き残れるはずですわ」


「悪いな。この街には俺を信じて命を預けてくれた人たちが大勢残っているんだ。人だけじゃない。慕ってくれている魔物たちも。ソイツらを見捨てていけるかっての。魔王軍も、異形の怪物も、敵が何人現れようが――俺の剣は決して折れない。すべて叩き切ってやる」


 俺は腕を組み不敵な笑みを浮かべて余裕を見せる。


「貴方も、シンシアと同じですのね。……今日はその折れない剣をお持ちでないようですけど?」


「うっせー! 今日は偶々忘れただけだ! いちいち細かい奴だな!?」


 決め台詞が手ぶらでイマイチ決まらなかったのがバレた。まさかツッコまれるとは。

 緊迫した空気が緩み、ロザリンドも一瞬だけ微笑む。ちっ、愛嬌があるじゃないか……。


「でしたら、貴方ほどの実力者ならば、魔王軍でもそれなりの地位を得られますわ! 魔王様に許しを得て、再びこの地を治めればいいのです。そうすれば、民衆も貴方の居場所も守れますわ」


 なるほど。今度は俺を懐柔しにきたか。


「魅力的な誘いではあるが、魔族となるには一度死ぬ必要があるんだろう? 悪いが俺は簡単には死ねない頑丈な身体なんだ。それにアンデットは趣味に合わない」


「手段なら別に用意できます。力ある者はより上位の存在に魔族転生できますの。わたくしがその証明です。どうでしょう、悪くない話かと存じますが」


 ますます魅力的な話だ。最近なにかと魔物と触れ合う機会が増えたせいか。

 魔物に対する偏見が薄れている、俺個人がロザリンドのようになるのも悪くない。

 魔王に近いと言われ続けている俺が、実際に魂を売るとどうなるのか気になるところ。


 と、まぁ冗談もこれくらいにして。

 

「愛する妹を持つお兄ちゃんとしては、安易に人の道を踏み外す訳にはいかないんでな。情操教育に悪いだろう? あ、俺の存在そのものが教育に悪いとかなしな。丁重にお断りさせてもらう」


 それらすべては咲が悲しむという一点に置いて、限りなくマイナスになる。


「妹……? そんなの、ただ血の繋がっただけの他人ですわ」


「馬鹿言うな。血を否定したら人は生涯孤独だぞ。お前だって家族がいたはずだろ?」


「……家族、わたくしの……家族」

 

 ロザリンドの様子が急変する。

 青ざめた表情で、俺には感知できない幻を振り払っている。

 軽率だった。この世界で家族の話題は避けるべき内容の一つであるのに。


「あ、兄様……違う。わたくしは……いや、いやっ!!」


「お、おい大丈夫か? 俺が悪かったから落ち着けって」


「助け、て、苦しい……兄様、やめて……あっ、がぁっ……」


 自分の首を抑えながら必死に空気を求めている。

 しばらくして正気に戻ったのかロザリンドは後退る。


「……ち、違う、違う。兄様は、兄様はわたくしを……!」


 逃げ去る隙だらけの背中を見つめながら、俺は深い溜め息をつく。

 悪人であれば話が早いのに。根が善人だと知るとやり辛くて仕方がない。


「今日は武器を忘れて正解だったな。……ひとまず教会に戻るか」


 ◇


「姫乃様、お身体は大丈夫ですか!?」


「ロザリンドが街を訪れたと知らせがあって……魔物にされてない?」


 教会を訪れると、既に情報を掴んでいたニケさんとシンシアが走り寄ってくる。

 俺もロザリンドも最後は互いに声を荒げていたので、大勢に目撃されていたらしい。


「平気だ。アイツはただ街の様子を眺めていただけだからな」


 これから戦火に巻き込まれる場所を、自らが手を下す人々をその眼で確かめようとしたのか。

 危険を冒してまで敵地に侵入して、捕らわれる可能性もあるのに。行動に彼女の迷いが取れる。

 

「一つ聞きたいんだが、ロザリンドには兄がいるのか?」


「ロザリンドの家族……ですか」


「一人だけ、心当たりがある」


 簡単な質問に二人は言葉を詰まらせている。

 反応からして、あまり好ましい人物ではないのか。

 代わりにローザリア出身のシスターヘレナが答えてくれる。


「ローザリアを治めていた領主カイル様のご子息のハーバス様ですね」


「表向きは……優男。でも裏では悪い噂ばかりが付きまとっていた男。その立場で守られていたけど」


「過去何度も姉様に言い寄ってきて、断るとありもしない噂を流され、それはもう最低な男です! 権力を盾に好き放題して、泣かされた女性は数え切れません。思い出したくもないです!」


 名前を出しただけでニケさんの表情が強張り拒絶反応を起こす。

 いつの時代も、異世界だろうと、そういう輩が跋扈しているようだ。


「たった一瞬で糞野郎だってのはわかったが。ニケさん、ソイツ今はどうしているんだ?」


「ローザリア陥落の際にロザリンドと共に民衆の暴動に巻き込まれたと伺っています。亡骸までは見つかっていませんが、仮に生きているのだとすれば、噂が広まっているはずです。一応、相応の地位の方なので……悪名も含めてですが」


「そうか。生きている、死んでいるかはさておき存在はしているだろうな」


 ついさっきまで、死んだ人間が魔族転生する話をしてきたばかりだ。

 大体そういう小悪党に限って、ゴキブリ並みにしぶといというのがお約束である。


「姫乃、もしかして……!」


「ああ、そのハーバスとやらも魔族になっているかもな。妹であるロザリンドがアンデットを操る死霊使いになっているんだ。同じ血を引く兄も、相応の地位にいるだろうよ」


「ロザリンドが仕えている首無し騎士……まさか、ハーバスがローザリア軍を束ねている?」


「ですが、あんな男に一軍を従えられるような器があるとは思えませんが……」


 さっきからニケさんがやけに辛辣だ。よほどハーバスが嫌いなんだろう。

 従えているのは意思を持たないアンデット。将の能力はそこまで必要なさそうだが。


「そもそもローザリアはどのようにして陥落したんだ? その辺の情報を俺はまだ知らないんだが」


「ローザリアは花の要塞と呼ばれ、首都ハーマルカイトを守る重要な防衛都市にもなっていた。大陸最大規模のミスリルの壁を保持していて。難攻不落と称されるほどに。それに私もニケも精鋭騎士団もいた」


「私と姉様はハデスとの決戦の最中傷を負い、騎士団の方が時間を稼いでいる間に、首都へ治療と援軍を求め秘密の地下通路でハーマルカイトへ逃れようとしたんです。ですが、通路を出た私たちの目の前でローザリアが火の海に……」


「最初の見込みでは、包囲されても半年は持たせる算段で念入りに準備を整えていたはずだったのに。数日も持たずに強固なミスリル製の城門を突破されて……」


「ハデス軍隊が想像以上に強力だったのか。それともまた別の要因か。そういえばシスターもその場にいたんだよな?」


「……私は混乱の最中、騎士団の生き残りの方々に助けられ幸運にもセントラーズまで逃げ延びましたが。途中、門を確認しましたけど、破壊された痕跡などはありませんでした」


 ヘレナの証言を聞き、シンシアは目を見開かせる。


「……え? 門が破られていないのなら何処から魔物が入り込んだの……?」


「これは仮定の話だが。内部に魔物に魂を売った人物がいたとすれば簡単な話じゃないか? 実際ハデスとの戦いでも、騎士団に裏切者が紛れ込んでいたんだよな?」


 端から人類側に勝ち目がないと、魔王軍に尻尾を振った人間も少なくなかったらしい。

 もちろん内通者がいたとしても、一般人が防衛の要である門を開放できるとは思えないが。


「要塞を管理する領主の息子という身分からして、門に近付くのは容易かったはずだ。民衆の不安を煽り、扇動し内側から混乱を生み出す。その隙に魔王軍を招き入れるとかな」


「魔王軍が本格的に侵攻を始めた頃、ローザリアは一貫して徹底抗戦の構えでしたが。ハーバスが早急に降伏すべきだとカイル様と言い争っていたのを知っています。ですが、まさか自分の命大事さに家族をも売るだなんて……!」


「……アイツのせいでローザリアが、共に戦った仲間や大勢の人の命が……!」


 俺がセントラーズの住人全員を無理やり徴兵しなかったのも。

 籠城戦においては内側の味方にこそ意識を向ける必要があると考えたからだ。

 恐怖に陥った民衆は制御不能な怪物になる。それを危惧して志願制にしているのだ。 


 悪意ある少数の人間が内部にいるだけで、どんなに強固な守りも容易く崩壊する。

 話を聞いていると自分の考えが間違っていなかったと思う。


「ロザリンドの死因は民衆の暴動だと言っていたが、それは確かなのか?」


「は、はい。そのはずですが……私たちと一緒に秘密の通路で脱出を図ったのですが」


「あの子は、忘れ物があるからと……一人で戻って。怪我を負った私たちでは追いつけなかった」


「そうか。これまでの話の流れからして、アイツは屋敷に戻ったあと、見てはいけないものを見てしまった訳か」


 俺はロザリンドが兄を呼びながら、首を押さえ苦しんでいたことを伝える。


「……アンデットと化した人は、生前の強い記憶に囚われると聞いたことがあります」


 聖職者として死人と関わる機会も多いのだろう。シスターは悲痛な表情で語る。


「ロザリンドは、あの子は実の兄に殺されたのですか……?」


「大方、自分の兄が魔物を招き入れている姿を目撃したんだろう。そうして口封じに殺されたか。仲の良い兄妹という存在に拒絶反応を出したのにも納得がいく。本人はショックのあまり記憶を失った、もしくは洗脳か。どちらにしろ潜在的に人に絶望し、魔に魂を売るにはもっともな理由になる。……皮肉にもその結果、自分を殺した兄に仕える羽目になっているが」


 自分で話しながらも、間違いであって欲しいと願う。

 妹を手に掛ける兄という存在に、そんなものがあってはならないと。

 だが、誰も否定はしなかった。関係者である三人が無言のままで肯定していた。


「酷い、そんなのあんまりです! あの子は実の母親や兄から疎まれていると知っても尚、本心から家族の為に何かできないかと悩んで、努力してきたのに。優しい子だったのに、そんな結末だなんて!」


「…………」


 ニケさんが大粒の涙を流していた。

 シンシアは拳を握り締めていた。血が滲むほどに。


「勇者様……ロザリンドを、あの子を救う手立てはないのでしょうか?」


「ハッキリ言って難しいだろうな。アイツはアイツなりの信念を持っている。本気で俺たちを死をもって救済するつもりだ。生きて苦しみを背負うぐらいなら生きた屍になる方がマシだとな」


 俺は今の敵であるロザリンドしか知らない。

 二人の恩人だとしても最悪、恨まれたとしても、斬るのも想定していた。

 死んでしまった者よりも今を生きている者を優先する。それが本来の正しい判断だろう。

 

「あの子は今でも私の大切な友人です!」


「姫乃、私とニケだけでもあの子を救うから!」


 ニケさんとシンシアの意志は固い。友人を救う為なら死をも恐れない覚悟があった。

 勇者に選ばれる人間は頭が固いのも条件の一つなんだろうか。そういうの嫌いじゃない。


「あー、勝手に俺の考えを決めつけないでくれ。誰が認めないと言った」

 

 危険を冒してまで、敵を救うだなんて間違った行いであるのはわかっている。


 だが、正しさに拘るあまり自分の感情を蔑ろにするのは違う。

 どれだけ愚かであろうと、自分の望むがままに行動してこその勇者だ。

 せっかく貰った女神の力を無難な選択に使ってどうするんだと。どんな時も欲深くあれ。


「俺もお前たちと同じ考えだ。ロザリンドは必ず救う、縄で縛り付けてでも連れ帰ってやるさ」

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