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34 抗う意志

「ごめん……偵察任務に失敗して挙句、勇者の存在を敵方に知らせてしまった」


 海運亭に戻ってきた俺たちは、まずはシンシアの治療をおこなった。

 元勇者の実力は生半可なものではなく、敵地に侵入しても掠り傷程度で済んではいたが。

 敵がゾンビであることを踏まえて、体内に毒が回っている可能性もある。殺菌消毒は念入りに。

 

「俺に謝る必要はない。まっ、心配掛けた妹には謝った方がいいと思うがな」


「姉様がご無事でよかったです……姉様、もうお一人で危険な真似はしないでください!」


「ニケ……ごめんね」


 二人が並ぶと姉妹で髪色が違う点や、顔つきが似ていない部分が際立つが。

 余計な詮索はしないでおこう。家庭の事情にまで土足で踏み込む気にはなれない。

 

 ただし、あのロザリンドという少女については至急対策を考えなければ。


「あの死霊術師についてだが、ローザリアのアンデットはロザリンドによって操られているんだな?」


「死霊術師は言わば頭脳(ブレイン)。本来、明確な意思を持たず本能のままに行動するアンデットを統率する役目を担っている。ロザリンドを倒せば、幾分か脅威度は下がるはず……」


「簡単に言うがシンシア、お前にそれができるのか?」


 厳しい質問であることは承知の上で俺は尋ねる。

 かつての友人を斬れるのかと。シンシアは即座に首を縦に振った。


「……あの時は驚いて剣が鈍ったけど、私は勇者だから。常に人類の未来を見据えて行動する。あの子は敵だから、必ず私がこの手で……」


「そんな、姉様……!」


「ニケ、あの子はもう……救えない。優しかったロザリンドはもういない、アレは別人だから」


 悔しそうに拳を握り締めるシンシアに、ニケさんも俯く。 

 覚悟を聞きたかっただけなんだが、変に意地を張らせてしまったか。

 シンシアからは勇者であろうとする強迫観念に近いものを感じる。根が真面目なんだろう。


「斬る斬らないの判断はその時に考えるとしてだ。ひとまずは街の防衛を優先しないとな」


「私もそれには賛成。難しい話は後回し、目の前の問題を一つずつ片付けましょう」


「ルーシーも俺のやり方がわかってきたじゃないか。とにかく、防壁の改良工事が間に合うかどうかだな。今から人を集めて増員するにしてもだ。どの程度猶予が残されているか……必要となれば決死隊を設けて進軍を少しでも妨害するしかない」


 ローザリア三万の軍勢が動くとなると。これまでのような楽観的な考えは通用しない。

 

「……猶予は二週間ある」


「二週間? 何を根拠にその時間が出てきたんだ?」


 シンシアは――そうか、そもそも情報を探りに向かっていたんだっけか。


「ローザリアを支配する首無し騎士は現在、ハデスが治める首都ハーマルカイトに身を寄せている。知らせを聞いて早馬を使っても戻るのに最低五日は掛かるはず……。そこから三万のアンデット軍団をセントラーズまで移動させるとなると更に相応の時間が。副官のロザリンドには全軍を指揮する権限はない」


「なるほどな。しかしハデスの軍団が動く可能性はないのか?」


「それは絶対にありえないと断言できる。魔将軍が動くのは本当に最後。たかだが数千しかいない街を落とすのに全力を出せば、魔将軍としての沽券に関わる。上の連中は仲が悪いから……」


「魔王軍も一枚岩じゃないんだな。猶予があるとわかっただけでも大助かりだ」


 交通手段が乏しい不便な異世界も時と場合によれば優位に働くな。

 二週間という与えられた猶予で、ローザリア軍を迎え撃つ準備を整えよう。


「念の為に空からの警戒を強めておくか。頼めるか?」


「任せて。ハルピュイアの子たちに頼んでくるから」


 俺はルーシーに指示を与える。ハルピュイアに警戒網を広げてもらおう。

 あとでリヴァルホスとも相談しなければ。街の住人にも緊急事態宣言をする日が訪れた。

 

「……あの姫乃様、私は何をすればよろしいでしょうか」


「何でもする……これは私が招いた事態だから」


 ニケさんとシンシアからは焦りが見えている。

 どうも動いていないと落ち着いていられない様子だ。


「そうそう、二人には咲の身辺警護を頼みたい。ゾンビ相手では咲の力が半減される。敵もその事実を知る以上、今回の戦いでは咲が狙われる可能性は高い。どうか妹を守ってくれないか?」


「咲、お姉ちゃんといっしょ?」


 人見知りの咲も親しいニケさんの隣なら安心できるだろう。

 シンシアの剣の腕前も見せてもらったばかりだ。二人になら任せられる。


「わかりました。この身に代えても。咲様をお守りします!」

 

 今回に限っては、ニケさんとシンシアには外れてもらうのが一番ではあるが。

 常に人材不足の俺たちにその余裕がない。ならば目の届く範囲で働いてもらう。

 

 現行勇者である咲の護衛であれば断り辛いだろう。ニケさんは素直に応じてくれた。


「姫乃、私は……」


「シンシア、これは命令だ。冷静になるまでお前も後方で休んでいろ」


「私は、冷静だからっ……!」


「嘘だな。今のお前は一人で飛び出していきそうなほど危うく見えるぞ。責任を感じるのは結構だが、これ以上余計な心配を掛けさせないでくれ。お前なら、俺の気持ちもわかってくれるよな?」


「それは……ごめんなさい」


 あえて冷たく突き放すように言葉を投げる。

 元勇者だからこそ、今の俺の苦労もわかってくれるだろう。

 シンシアは大人しくフードを被り、気配を消して部屋を後にしていく。

 

 その道筋には小粒の濡れた跡が残されている、俺は黙って見送るしかなかった。


 ◇


「なるほど。それでは二週間の内にローザリア軍との決戦となるのですな」


「ああ、それまでにできる限りの策を講じたい。街の住人にも追って説明するつもりだ。――難しいところだが、武器を持てる者には戦ってもらう必要がある。今回ばかりは総力戦は避けられないだろう」


 女神の力をもってしても、守れる者は剣が届く範囲に限る。

 リヴァルホスは眉間に深い皺を寄せて、考えごとをする素振りを見せる。

 普段は居眠りばかりする怠惰な勇将様も、事態の重さをマジマジと受け止めていた。

 

「お言葉ですが、たとえ勇者殿の頼みであろうと、仮初の平和に浸かった民衆をまとめるのは至難の業かと存じます。先代勇者と同じ過ちを、怒りの矛先がヒメノ殿サク殿に向かう恐れがあります。ここは我が強制的に徴兵しましょう。さすれば余計な亀裂を生まなくて済みます」


 あくまでも俺と咲の身を案じて、リヴァルホスは自らが悪役に徹しようとする。


「いや、それでは意味がない。ここで重要なのは彼らに戦う意志を、勇気を持ってもらうことだ。戦力差から考えても籠城戦は避けられない。大軍に囲まれ、恐怖に打ち勝てず民衆が暴徒となれば。いかに強固な防壁を築いても内部から崩壊する。それだけは一番に避けなければならない。今から全員に心構えも含めて訓練を施す余裕もないからな」


「ふむ……言わんとしたいことは理解できますが」


 ニケさんから聞かされたローザリアの終焉。

 敵は外部だけじゃない。懸念すべきは内側にこそある。


 闇雲に戦力を増やしても焼け石に水どころか足を引っ張る。

 ようは一人一人に覚悟してもらう。戦力になるならないは二の次だ。


「この防衛戦を乗り越えたとしても、それはあくまで通過点だ。魔王を打ち倒す為にはいずれは四大魔将軍率いる精鋭部隊との決戦も避けられないだろう。だからこそ根本的に意識を変えていく必要がある」

 

 総意を得るのは難しいだろうが、一部でもいい。自らの意志で武器を持ってもらう。

 強制にしないのは自らの選択に責任を持たせる為。責任の所在を勇者に押し付けない為だ。

 

 仮に俺が民衆に無理やり武器を持たせても、いざその時になれば何割かは逃げだすだろう。

 そうして武器を持たせた俺を責めるのだ。自分は悪くないと、他人を、世界を言い訳にする。

 これまですべてを勇者任せにしてきたのがこの世界の人間だ。反発を受けるのは目に見えている。


 何故、異世界出身の俺たちがそんな連中の為に戦わねばならないのか。

 理不尽ではあるが、それでもやるしかないのだ。自分の大切な居場所を守るために。


「平和ボケしている連中に、壁の向こうの現実を見せてやらないとな。幸運にも戦う意志を持った人たちが残っていることを俺は知っている。希望の灯火は消えていない」


 ピスコ村の生き残りや、ハルピュイア、ウォッカ爺さん。

 海運亭の女将さんやシスターヘレナも、抗戦の意志を示している。

 根本が腐っていても、新たに芽生えるものもある。信じるしかないだろう。

                      

 血も汗も流さず得られた平穏に何の価値がある。一体、誰がそれを維持し続ける。

 この決断によって多くの犠牲者が出るだろう。だが、それすらも――――俺が背負う。

 

 リヴァルホスは黙って俺の話を聞いていた。


「勇者殿の決断に敬意を表します。我ら一千の魂も勇者殿に預けますぞ!」


「まったく、勇者ってのも楽じゃないよな。酷く肩が凝るよ」


「では明日の早朝、セントラーズの住人三千二百五名を領主邸前に集めさせましょう」 


「ああ。よろしく頼む。……ってお前、そんな端数まで憶えてるの?」


「戦いは既に始まっていますからな。内通者を忍び込ませる隙も与えませんぞ」


 この日に備えて全住人の名簿を作っていたとは、案外コイツも優秀である。

 伊達に部隊を指揮する勇将様ではないってか。俺も期待に応えてやらないとな。


「ツンツン、ツンツン」

「ざらざら、ざらざら」


 そんな俺の数秒前の決心を揺さぶる二人の甘え声。


「……ところで二人は何をしてるんだ?」


「あ、やっと気付いてくれた。すっかり無視されているかと思ったよ」


「お兄ちゃんの頭ザラザラ!」


 人が真剣な話をしている後ろで、悪戯っ子たちが俺の後ろ髪を弄っていた。

 涼しくなった頭にプニプニの手が何度も往復している。感触がお気に召したらしい。


「サク殿も精霊殿もお元気そうで何よりです。では我は席を外しましょう」


 リヴァルホスもあえて見てみぬ振りをしてくれた。空気が読める男よ。


「お兄さん、よりカッコよくなったね。男前だよ」


「そうか? まぁ、勇者には清潔感があった方がいいよな」

 

 異世界に召喚されてから、早くも数ヶ月が経過して。

 だらしなく伸びた髪をルーシーにバッサリ切ってもらったのだ。

 勇者として矢面に立つのであれば、身嗜みには気を遣えとアドバイスを受けた。

 ルーシーは意外と女子力も高いのである。村でもそのハサミ捌きは好評だったとか。


「でも気を付けないと。ほら、この辺りとか薄くなってる。……抜け毛かな?」


「それは冗談でもガチで凹むからやめろ……! 俺はまだ十七だぞ!?」


「お兄ちゃんつるつる?」


 この歳からそんな業を背負うのは勘弁願いたい。

 最近の多忙っぷりにストレスが溜まっているのは確かだが。

 魔法か何かで延命はできないのか。いや、お願いだからできて欲しい。


 一人将来に不安を抱いていると、ノムが俺の膝にちょこんと座る。

 咲は相変わらず首元にしがみついて。恒例の休日の父親スタイルだ。


「そんなにくっついてどうしたんだ? お前も咲の甘えたがりが移ったか」


「最近ルーシーに居場所を奪われつつあって、危機感を覚えているんだ。少しでも自己主張しておこうかと思って。どうかな、ボクは軽いから気にならないでしょ?」


 ノムはそう言って胸に体重に乗せてくる。


「猫のように気紛れな奴だ」


「いつも放し飼いにされていて、ご主人様からも忘れられそうになっているけどね。……従者さんのお姉さんを探しに行く際も、ボクは置いていかれたし。ボクいらない子だし」


「あれは急ぎだったんだ、そう拗ねるなって。今回はお前にも重要な任務が待っているんだからな」


 ちょうどいい場所に頭があるので撫でる。

 空を自由に飛べるルーシーの力が便利過ぎるのもあるが。

 戦いになればまたノムの力に頼る場面は訪れる。適材適所だ。


「ボクもいっそお兄さんの妹になろうかな。そうしたらボクもお兄さんの特別になれるよね」


「何だなんだ、以前は常識人枠だった気がするが。随分と手間の掛かる子になったな」


「そこはルーシーに譲ったよ。ボクを妹してくれないかな? お兄さん」


「ノムちゃんも咲といっしょ? やった!」


 まさかノムが兄を欲するとは、咲も喜んでいるし。

 可愛い妹が増える分には歓迎するが。仕事面での妥協はできない。


「別に構わないが。その前に、ノムには期限までにバシリスクを調教してもらいたい」


 ペットとして魔の森で飼い慣らしているバシリスク。

 ローザリア軍に対抗するのに魔王獣の力は必要不可欠だ。

 アイツは俺に懐いているが。指示通り動くかはまた別の話である。


 特にあの巨体であるからして、運用方法を間違えると街の防壁すら容易く崩壊する。

 二週間で味方を巻き込まずに動けるよう調教する。俺たちが勝利する上で最低条件だ。

 

 もちろん俺は勇者として街を離れる訳にもいかず。

 魔の森で単独行動してもらうことになるので危険も伴う。

 実力があって信用に値する人物――ノムにしか頼めない仕事なのだ。

 

「ほらまた、ボクだけ一人行動。みんなが戦っているのを外で眺めるだけだなんて、そんなの嫌だよ。ボクもお兄さんとサクの隣で戦いたいんだ。その為にボクはここにいるのに」


 嫌々と首を振って駄々をこねるノム。

 いざ戦争が始まっても、バシリスクと共に森で待機していなければならないのだ。


 ある意味、辛い役回りではあるが。


「俺はお前を一番に信用しているからな。必ずや期待に応えてくれると」


 秘密を共有する仲でもあるしな。と、付け加えると、ノムは頬を膨らませて唸った。

 最近はご飯もたくさん食わせているので血色も良くなり、膝に掛かる重みも心地いい。

 

 そんな俺の新しい妹様は、両手を上げて……降参のポーズだろうか? 


「お兄さんずるい。断れないと知ってボクに頼んでる!」

 

「愛する妹の扱いに掛けては、俺は世界一を自負しているんでな」


「咲がよしよししてあげるね!」


 咲が俺の真似っ子でノムの頭を撫でている。

 ちびっ子がちびっ子にお姉さんぶる姿はいつ見ても愛らしい。


「偉いぞ咲。新しい妹を一緒に歓迎するか!」


「うん! ノムちゃんいい子いい子」


「うー! 二人してボクを馬鹿にしてるー!」


「ほーら、今からお兄ちゃんお馬さんが走るぞー!」


 二人の身体を抱きかかえて、俺は部屋中を疾風のごとく駆け回る。

 ここ最近で筋肉もそれなりについた。兄の威厳をこれでもかと見せつける。


「きゃあー! お兄ちゃんはやーい!」


「違う、これはボクが望んでいたものとは違うけど。でもちょっと嬉しいのが嫌だぁ!」


 空中で足をバタバタさせ、文句を言いつつも喜びを隠せていないノムであった。

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