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32 先代勇者

 朝の緩やかな陽射しの中、市場では新鮮な食材が並べられていた。

 辺りを行き交う人々の表情は豊かだ。街はいつもの盛況さを保っている。

 俺は一人その様子を眺めていた。以前まではそこに何の感慨も浮かばなかった。

 

 しかしピスコ村の悲惨な状況をこの目で確かめ。世界の厳しい現実を知ってしまった。


「これもいつまで続くかわからない、仮初の平和なんだよな」


 今もまだ街の殆どの人間には魔物の支配から解放したと伝えていない。

 一度知られてしまえば当然人々は勇者に期待し、その噂は抑えきれなくなる。


 だが勇者が下手に表に出ると、魔王軍が本気でこの街を潰しに来てしまう。

 いかに俺と咲が強くても数万の軍勢から人々は守り切れない。各個人の自衛は必要だ。


 伝えるとしたら反抗の準備が整った後か、もしくは危機的状況に陥った時か。

 目下ローザリアの脅威がある以上、俺も動きが制限され、仲間集めが厳しくなった。

 決戦に向け可能な限り準備を整えなければ。リヴァルホスとは防衛について協議を重ねている。


 街の防壁の前では、ウォッカ爺さんが若者を引き連れ資材を運んでいた。

 土妖精の技術はピスコ村防衛でも大いに役立っていた。彼の知恵を借りているのだ。

 ついでに俺の愛剣も預けてある。爺さんは多忙にも関わらず約束通り鍛え直してくれている。

 

 技術屋の爺さんには頭が上がらない。


 また、戦略資源を得る為ハルピュイアの空の輸送ルートが新たに構築された。

 街の人間も何人かは武具生産に回されている。人間の武器も若干数は用意された。 

 ルーシーは戦闘指南役としてサハギンを指導している。戦争の準備は着実に進んでいる。


「あとは敵の動き方次第だな、いつものように婆様の情報が頼りなんだが。帰りはまだだろうか」 


 一通り街を散策して、宿に戻ろうと来た道を辿っていると。

 色鮮やかなステンドグラスの影がレンガ道まで伸びているのに気付く。


「ん、ここは……教会か?」


 年代物の鐘が取り付けられた教会は、壁の塗装が一部剥がれていた。

 新しく塗り直す余裕もないのか、地面にポロポロと欠片が零れている。

 敷地には手入された花壇が並んでいて、子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。


 しかし不思議と周囲には大人の姿がない。子供たちしかいないのだ。

 基本的に街の住人は魔物に慣れているが、それでも大人が同伴するのが普通である。

 リヴァルホスが放任主義とはいえ一応占領下の街であり、犯罪者だって存在するのだから。


「もしかして孤児院も兼ねているのか。この世界は戦争孤児も多いだろうし。とはいえ監視する大人がいないとなると単純に人手が足りないんだろうな」 


 異世界に呼び出される以前は、信仰心の欠片もなかった俺だが。

 今となっては女神の力を借りている以上、神の存在に多少は興味が増した。

 自然と開かれた門を潜る。俺の中の浅い教会のイメージとさほど違いはない。


「あら、お客様だなんて珍しい。どうぞゆっくりしていってくださいね。朝のお祈りが終わればすぐ紅茶をお出ししますので」


「あ、ただ立ち寄っただけなんで。お構いなく」


 若いシスターが出迎えてくれた。俺はとりあえず頭を下げて椅子に座る。

 そういえば現実世界でも休日に礼拝があったな。子供はお菓子を貰えるんだよな。

 サハギンたちも信仰には興味ないのか、戦いの痕跡もなく教会内は清掃が行き届いている。


「女神様、今日も無事朝を迎えられ子供たちと触れ合う機会をくださり、心より感謝いたします。今を懸命に生きるすべての方々が幸福に過ごせますよう、どうかお導きくださいませ」 


 紺色の修道服を身に纏ったシスターが一心に祈り続けていた。

 室内は彼女一人だけで、見た目の歳は俺とさほど変わらなそうなのに大人びている。

 静粛な空気が延々と続く。昔は耐えられなかったこの雰囲気も今の俺なら受け止められる。


 ニケさんが教えてくれた。女神が人に力を貸すと魔王の力が増してしまうのだと。

 そう考えるとこの祈りも逆効果なのかもしれないが。まぁここでは無粋な考えだろう。


「お兄ちゃんみっけ!」


 教会の入り口から咲の声が反響する。

 駆け足で俺の隣に座り、ステンドグラスを見上げてはしゃぎだす。 

 特に行き先は伝えていなかったのに。まるでここに居るのを知っていたような足取りだ。


「どうして俺の居場所がわかったんだ?」


「お姉ちゃんとおさんぽしてたらお兄ちゃんの匂いがした! くんくん」


 咲が服を掴んで匂いを嗅いでくる。

 どうしよう、妹の野生化が止まらない。


「咲様、教会内で騒いではいけませんよ。あら、姫乃様もご一緒でしたか。暗い顔をされて、どうしましたか?」


「……愛する妹の将来が不安で仕方がないんだ」


「……はい? 咲様は今日も元気いっぱいですよ?」


 ここでニケさんも合流する。教会でメイドさんもなかなか乙なものだ。

 シスターが祈りを中断してこちらを見ていた。騒いで迷惑を掛けてしまったな。

 ひとまず謝ろうと立ち上がったところで、シスターがニケさんの元に走り寄ってきた。


「……ニケ? その声はニケですよね!? ――勇者様! 生きていらしゃったのですね!!」


「え、ヘレナ……? ヘレナですか! 貴女こそよくぞご無事で! 私ももう会えないとばかり!」


「ああ……これこそ女神様の思し召しです」


 シスターがニケさんと抱擁を交わしている。両者共に感極まっていた。

 俺も咲も唐突な展開に言葉が出せない。ニケさんが勇者って、どういう意味だ。


 ◇


「はぁ。つまりニケさんは、俺たちよりも前に勇者をしていたと」


 冷静さを取り戻した二人に、俺はざっくりとした説明を求めた。

 返ってきた答えは先程の言葉通りの内容だ。ニケさんが俺たちと同じ境遇だったと。


「はい。私と姉様は、姫乃様咲様と同じく異世界の住人で、五年ほど前に勇者として召喚されたのです。異世界と言いましても、お二人の故郷とはまた別の世界ではありますが。私は東京タワーと呼ばれるものは存じてませんので……」


「そうだったのか。まさかニケさんが俺たちの先輩だったとはな」


 今思うと、その片鱗は確かにあったかもしれない。

 臆病な癖に、魔物との戦闘中自分を見失わず行動できたり。

 ニケさんが妙に魔王軍の内情に詳しいのも、元勇者と聞けば納得がいく。


 そも最初から俺たちを異世界に呼び出した人物でもあるのだから。

 特別な力を持っていてもおかしくないと思っていたが。案外身近な力で驚いたが。


「……どういう意味ですか? 女神様のご寵愛を受けた勇者様はニケとシンシアだったのでは?」


「ヘレナ、今の私は資格を失っています。こちらのお二人に受け継がれました」


「まぁ……そうだったのですね。勇者様、私はシスターヘレナと申します。以後お見知りおきを」


 疑問は尽きないが、シスターの反応からして嘘ではないのがわかる。

 シスターヘレナと簡単な挨拶を交わして、ニケさんの言葉を待ち続ける。

 唐突に彼女の過去を知る機会が訪れたが、今更何を聞かされたところで印象は変わらないだろう。

 

「私と姉様が召喚された五年前の情勢は、魔王軍の侵攻もまだ緩やかな時期でして。私たちはそんな中、アウルランド大陸でも最大の領土を誇るレイヴン王国。首都ハーマルカイトにある王城の地下室で目覚めました。そこから、魔王軍討伐隊の最前線であったローザリア――領主カイル様の庇護下に入ることとなったんです。勇者として……魔王と戦う為に」


「ちょうどその頃、私は教会で働きながらもローザリア領主邸でカイル様のご息女様の教育係を勤めていました。その過程でニケとシンシアに出会ったのです。あの頃は二人ともまだ幼く、とても戦場に出られるような精神状態ではなかったように思えました。当然ですよね、突然戦えと命じられたのですから」


「ヘレナも私と歳は二つしか変わりませんでしたけど。ですが、ヘレナの存在は救いでした。周囲は怖い大人たちばかりで、成果を出さなければ失望されて。彼女は私たちの数少ない味方だったんです」


 シスターヘレナは俺と咲にとっての、ニケさんに近い位置付けだったんだろう。


「あの頃は嫌々精鋭騎士団の演習に参加し魔物と戦う術を学ばされました。愚図だった私と違い、シンシア姉様はすぐに勇者としての頭角を現し、民衆の期待を一身に背負うこととなっていました」


「シンシアに負けず劣らず、ニケが裏で努力していたのは知っていますよ。貴女は自分に自信さえ持てれば伸びる子です」


「あはは……当時は泣いてばかりで、そんな自信なんて……情けないですけど」


 あの臆病なニケさんが、勇者として訓練を受けていたとは。

 聞けば今の咲に近い感じだったらしい。遠くから物を投げていたとか。 

 だから未だに魔物との戦いが怖いのだろう。女神の力の保護がなければ尚更。

 

「ある時。四大魔将軍でも最強と謳われる、暗夜ノ騎士ハデスが十万の軍勢を率いて、ローザリアを攻め落としに来ました」


 ハデスという名を口にしてから、露骨にニケさんの表情が硬くなる。


「私と姉様、それに騎士団の方々も必死に抗いましたが……敵十万の軍勢に対してこちらは僅か一万の兵力で、激しい戦闘は二ヵ月にも及びました。シンシア姉様の活躍と、騎士団の奮闘によってハデスの喉元にまで剣が届いたんです。――ですが、あと一歩が届かず。頼りの姉様も片目を失う重傷を負いローザリアに撤退しました。その日を境に、大軍に囲まれながらの私たちの眠れない悪夢が始まったのです」


 そこからは思い出したくもないのか。ニケさんは涙を零していた。

 代わりにシスターヘレナが引き継いだ。その表情は若干の怒りが滲み出ていた。


「出迎えた民衆は……傷を負いながらも生還した勇者様と騎士たちを責めました。お前たちが不甲斐ないせいで国が滅びるのだと、領主邸に石が投げ込まれ、罵声が飛び交いました。ニケもシンシアも騎士たちも、命を燃やして懸命に戦っていました。それでも、誰も理解しようとしません。過程よりも結果を求められるのはわかります。ですが、ここまで人は愚かになれるのかと。あの時は私もただ絶望しました」


「以前は優しかった、支えてくれた人々が、恐ろしい形相で押し寄せてきて……殺されるんだと。怖くて、悔しくて、何度も夢に出てきて……ごめんなさい。もう数年前の話なのに今でも引きずっていて……」


 身体を震わせて縮こまるニケさん。

 俺はその手を握る。もう反対の手を咲が握っていた。


「俺がここにいるぞ」


「咲もお手てつなぐね」


「……暖かい、です。お二人と出会ってから、悪夢を見る回数が減ったんです。ご主人様の存在が心の支えになっていて。いつも、ありがとうございます」


 二人で握り続けると、ニケさんの震えが弱くなる。

 咲が彼女の涙を裾で拭っていた。くすぐったそうにしている。


 俺にも、当時の様子が簡単に想像できた。

 人はいつだって他人任せだ。手遅れになって初めて後悔する。


 まだ自分たちの手で平穏を取り戻せる段階で、異世界人を呼び出したんだ。 

 ピスコ村の勇敢な人々が例外なだけで。人間なんて得てしてそんなもんだろう。 


「姫乃様は既にご存じかと思いますが。女神様のお力は真っ白で純粋な心の持ち主でなければ効力を失います。守るべき人々に責められ続けた私は、自分自身が信じられなくなり、人を、世界を、憎むようになりました。そうして徐々に力が弱まってしまったんです」


「それは当然だと思うがな。俺も同じ立場ならその連中を見捨てたし、恨んでいたと思うぞ」


 勇者という存在に依存しておきながら、責任すら放棄した民衆に守る価値もない。

 ハッキリ言って滅んで当然だと思う。それでニケさんが責任を感じる必要もないだろう。 


 ニケさんは「姫乃様ならそれでもきっと救っていたはずです」と答えたが。

 俺はそこまで聖人ではない。自分がそうすべきだと判断したことをしているだけだ。

 

「まもなくしてローザリアは陥落しました。私とシンシア姉様は、カイル様の助けによって秘密の通路から脱出しましたが、その後も魔王軍から命を狙われる日々を過ごし。最後に残された力を解放して、女神様にお願いをして、新しい勇者候補を見つけ出してもらったのです」


「それで咲を――俺たちを召喚したのか」


「はい。私は力を失ったので、世界を救う為という建前ではありましたが。実際は勇者の役目から今すぐにでも逃れたかった。もう誰かの為に戦うのは嫌だった。本当は……誰かに救って欲しかったんです」


 ニケさんは改めて姿勢を正すと、その場で正座をして、ゆっくりと頭を下げていた。 


「これまで黙っていて申し訳ありませんでした。そして、巻き込んでしまった姫乃様と咲様には、謝っても償い切れるものではありません。すべては私の責任です」


「なぁ、ニケさんや――」


「姫乃様。私のことは……好きにしてくださって構いません。何をされても私は受け入れます。この身のすべてを差し出しますので、どうか――シンシア姉様だけはお許しください。姉様は最後まで諦めず戦い続けていました。その命尽きるまで魔王を打ち倒さんと。それでも、私が無理に説得して諦めさせたんです。私が、私がお二人の未来を奪ってしまったんです!」


「あー、面倒臭い」


 話にならないので強めのデコピンをニケさんに喰らわす。


「はうっ……痛い……!」


「あのな。もう長い付き合いだというのに、未だにそんな認識でいられるのは困るぞ。俺がその話を聞いてニケさんに乱暴を働くような糞みたいな男だと思っていたのか? そう思われていたんだとしたら、そっちの方に腹が立つぞ。あと許す許さないの以前に、俺は姉のシンシアとやらに会ってすらないぞ」


 今しがた思いっ切り乱暴を働いてしまった訳だが、俺はわざとらしく溜め息をつく。


 ニケさんがこれまで黙っていたのも、俺たちが同じように力を失うことを恐れたんだろう。

 女神の力が純粋さという曖昧な基準で左右される以上、彼女は下手に自分の境遇は話せない。

 現に今の話を聞いて俺も憤りを隠せないでいるし、まぁだからといってやることは変わらないが。


 最初から悪意があったのならともかく、ニケさん自身もただの被害者なんだ。

 同情はしても怒りなんてものは湧いてこない。寧ろ、親近感の方が強くなったかもな。


「俺は……生きる世界が変わったとしても。咲がいてくれれば、それでいいんだ。両親や数少ない友人には悪いが、この世界に永住するのも視野に入れて勇者として戦うと決めたからな。だから、勝手に謝られても困るぞ。俺はもうそのつもりでここにいるんだから」


「咲もお兄ちゃんが一緒ならだいじょうぶ!」 


「で、ですが……!」


「無理なんてしていない。いや、それどころか感謝すらしている。息苦しさから解放されたからな」


 そうだ。元々俺は高校を卒業したら就職して咲を引き取る予定だったんだ。

 両親とは気まずい関係だったし、反対を押し切ってでも二人で生きるつもりだった。

 今はその目的の状況と変わらないし、まだ勇者という立場で好き勝手やれる異世界の方が楽だ。


「それに今さら、お前たちを見捨てて帰れる訳がないだろ? 誰が魔王軍から居場所を守るんだ? ……俺たちしかいないだろうが。だから、いつものように無駄に元気で大きな声を出してくれ。調子が狂う」


 ニケさんの赤くなったおでこを撫でる。やり過ぎたな。


「姫乃様ぁ……わ、私は……!」


「ほら、もう泣くなって。安心しろ、俺が何とかしてやるからな?」


 最近、魔王獣という大きなペットが増えて甘やかしてばかりいたからか。

 ニケさんにも同じような対応をしてしまったが、彼女は気にせず胸に縋りついていた。

 咲も真似して背中に飛び乗ってくるし、休日に家族と触れ合う父親みたいな格好になっていた。


 何だかこの重さにも慣れてきたな。俺も男として成長しているのかもな。


「ニケ、新しい勇者様はとても素晴らしいお方ですね?」 


「はい……! 私にはとてもとても、もったいないご主人様です……ぐすっ」

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