31 帰還
久しぶりの潮風が土埃のついた頬をくすぐる。
俺たちは長旅の末ようやくセントラーズに到着した。
重厚な鉄門が開かれて、リヴァルホスを先頭にサハギン軍団が出迎えてくれる。
「ヒメノ殿、ご無事で何よりです。お帰りが遅いので我らも心配しておりましたぞ」
圧巻の光景に魔物と戦い慣れているピスコ村の住人たちでさえ固唾を飲んでいた。
「留守番ご苦労だった。途中、魔王軍と遭遇したんだ。双顔巨人コットスとかいう奴を潰してきた」
「なんと、あの魔将軍炎鬼ヘカトンケイルに仕える三闘士の一角を!? ヒメノ殿の武勇はとどまることを知りませんな!」
「どいつもこいつも肩書きだけは立派だよな」
三闘士ならあと二体も残っているのか。魔王軍も層が厚い。
いずれは十二神将とかも出てきそうだな。無駄に数が多いのだけは勘弁して欲しいが。
「では我々は至急軍備を整えるとしましょう。留守を預かる間にも防壁の補強を進めておりましたが、そこにいる土妖精にも協力させ、数万の敵軍をも寄せ付けない鉄壁の守りを築きましょうぞ!」
「すまない。予定より数ヶ月早く動いてしまった。もう少し戦力を集めておきたかったんだが」
「遅かれ早かれいずれはこの街も戦場となるのです。我らはもう心構えができておりますぞ」
「助かる。いざとなったら頼りにしているぞ」
察しのいいリヴァルホスはそう遠くない未来を見据えていた。
今回の一件で確実に勇者の存在を魔王軍に気取られただろう。
セントラーズの寝返りまでは、まだ情報を掴んでいないだろうが。
いずれはローザリア二万の軍勢が動くはずだ。最悪の状況は常に頭に入れておかねば。
リヴァルホスは健康体の住人を引き連れ街に入っていく。
それを見送りながら待機していたルーシーたちの元に戻る。
「ヒメノ、私たちはどうすればいいの?」
「今はとにかく身体を休めておいてくれ、指示は追って連絡する」
「わかったわ。何かあったらすぐに呼んでよね?」
ルーシーも女王たちを連れて街に入っていく。
ハルピュイアには海運亭の部屋を貸し与える手筈となっていた。
女将さんが協力してくれたのだ。今も俺たちを出迎えに来てくれている。
「勇者様、ご無事で何よりだよ。ちゃんと毎日ご飯は食べていたかい?」
「ああ、怪我も病気もなく健康そのものだ。すまない、大事なベッドを崖に落としてしまった」
「いいんだよ。命と違って物は幾らでも代わりがあるんだ。気にすることはないよ」
「代わりと言っちゃなんだが、必ずこの大陸に平穏を取り戻してみせる。それで許して欲しい」
「咲もー! がんばるー!」
「本当、優しくて逞しい子たちだねぇ。少し見ない間に顔付きも立派になって」
女将さんは、差し入れの焼き菓子を渡してくれる。
咲が喜んで頬張っていた。糖分が脳に染み込んでいく。
「俺たちが留守の間、バシリスクの方はどうだった? 大人しくしていたか?」
「そこらの山々よりも大きいものだから最初はおっかなかったけど。あの子、勇者様が来なくなって寂しそうにしていてねぇ。ずっといい子にしていたよ。新しい街の守り神だと思うと、魔物にだって愛着が湧くもんだね」
「そうか、今後もよろしく頼む。俺もあとで顔を見せに行くとするよ」
「そうしてくれるとあの子も喜ぶはずさ」
女将さんと別れ、俺も一旦海運亭にある自分の部屋を目指す。
勇者には元領主邸に部屋が用意されているのだが、今は親衛隊たちに預けている。
庶民派の俺は質素な部屋の方が落ち着くからだ。相変わらず一部屋三人で窮屈ではあるが。
咲は俺とニケさんの間で、川の字になって寝るのが好きらしい。
今もニケさんの隣で積み下ろし作業を見守っている、随分と仲良しになったものだ。
「あ、ヒメノ。部屋割りはこちらで決めておいたのだけど。あとで女将さんに伝えておくわね。抜けた羽根の処理やらで苦労を掛けるかもしれないけど、掃除などはこちらで分担しましょう」
既に海運亭には、ハルピュイアたちで溢れていた。
女王と側近は元領主の屋敷らしいが、それにしても賑やかだ。
「ザクロとルーシーが俺たちの隣か。ん、確かそこはノムの部屋だったような」
「勇者様ですら一部屋を三人で使っているんだから。一人部屋なんて贅沢はさせられないし、私とザクロが無理やり押し入ったの。その方が用事がある時に探す手間が省かれるでしょ?」
「本人が納得しているのなら構わんが、あんまり喧嘩はするなよ?」
「それはノム次第ね。私は別に喧嘩を売っているつもりはないけど」
ルーシーは他人事のように髪をかきあげた。
隅っこの方ではノムが鬱々とした表情で座っている。
「ボクもお兄さんの部屋がいいなぁ……。どうしてルーシーと一緒なんだろう」
一人いじけて、拗ねた表情のまま指を擦り合わせている。
「ノム、いつでも部屋に遊びに来ていいからな。咲が喜ぶ」
「え、本当? 嘘じゃないよね?」
慌ててノムが立ち上がった。パッと笑顔に変わる。
「……そういうのズルいわ」
「ダメだよ。お兄さんはボクに言ってくれたんだよ」
「さっそく喧嘩すな。ルーシーも好きな時に来ていい。ニケさんが喜ぶからな」
「やった! 今晩から遊びに行くわね!」
小さく拳を握り、ルーシーが跳ねる。
普段はお姉さんとしての一面が目立つが。
時々見せる子供らしさが彼女の本質なんだろう。
「えー! それだと今と変わらないよ」
「えーはなしだ。あんまり騒ぐとどちらも締め出すからな?」
「「はーい」」
渋々と頷くノムと、真面目に返すルーシー。同じ返事でも個性がある。
妙なところで息が合う二人だった。まったく、手間のかかるちびっ子たちだ。
◇
久しぶりに魔の森へ足を踏み入れると、歓迎の地響きが起こる。
俺の匂いに誘われて、山と見間違えるほど大きな頭部が降り立つ。
「シューシュー。キュルルルルル」
「おー相変わらずデカいな。元気にしてたか?」
バシリスクの長い舌で全身を舐められる。
パズズもそうだが、コイツら本当に甘えん坊だ。
爬虫類は本来人に懐かないはずなんだが、魔王獣は別物なのか。
聖素を取り込んで聖獣となったバシリスクは、頭を撫でてやると気持ちよさそうにしている。
「モット撫デテ、撫デテト言ッテイル。ワタシ、寂シカッタト」
魔王獣の言葉も理解できるザクロが、大蛇の気持ちを代弁してくれる。
「そうかそうか。これからは頻繁に顔を見せに行くからな。……というかお前、雌だったのか」
「シュルルルルルルルル」
「ゴ主人様、オ腹ガ空イタト言ッテイル」
「この前は本気で殴って悪かったな。傷はもう癒えたか?」
「ペロペロ」
バシリスクは返事代わりに舌を動かす。気にしていないのか。
あれだけ散々殴ったあとに好意を持たれると、まるで俺がDV男みたいだ。
魔物はとにかく強い者に惹かれるらしいが。咲じゃなく俺に懐いた理由は単純に性別の問題か。
今はコイツも大切な仲間だ。愛情を持って接してあげよう。
「ほーら飯だぞ、受け取れ」
サハギンから貰った新鮮な魚を投げる。舌で器用に受け取ってくれた。
蛇は消化が遅いので回数は少なく済むが、とにかくデカいので一回の量が膨大である。
わざわざ街からカトプレパスに運ばせた数トンの魚介類を与えていく。好き嫌いはなしだ。
「お前は今後防衛戦の要になる。以前は大国を滅ぼしたらしいが、今度は守り神として戦うんだぞ?」
「ペロペロ」
「こら、くすぐったいだろ」
魚臭い返事を貰い、俺は街に戻るために森を離れる。
バシリスクはギリギリまで後を追ってきたが、しっかりと持ち場は守っていた。




