20 兄の葛藤
「あれはハルピュイアさんです! 私たちを助けに来てくれたんですね!」
奇襲をかけたハルピュイアたちがガーゴイル軍団と接触。
空中で激しい戦闘が始まっていた。鉄槍と鉄槍がぶつかり合う。
最初の一人が谷底に落ちていくも、恐れず果敢に立ち向かっている。
「ザクロガ落トサレタ! オノレ魔王軍メ、仲間ノ仇ダ!!」
「ギィイイー!」
「後ロヲ取ッタゾ!」
どうやら既に連戦を重ねているのか。ハルピュイアたちはかなり疲弊している。
それでも優位に戦えているのは、後方で指示を出している翠髪の少女のおかげだろう。
「ハルピュイアを率いているのは風の精霊か?」
「そうだね。あの翠髪と小さな翼はルーシーで間違いないよ」
矢の雨があがり、代わりにガーゴイルが落ちてくる。
空中戦での勝者が決まった。ふと、風の精霊と視線が合った。
「オーク――人質を――いるわ! あの――カトプレ――を狙って!」
「ん……?」
ここから距離があるので内容は聞き取り辛いが。
今、良からぬ指示が風に乗って聞こえてきたような。
「おい、ハルピュイアたちが武器を持ってこっちに来てないか?」
「……これは困ったね。ボクたちが魔物の人質にされていると勘違いしているみたいだ」
「ど、どうするんですかぁ!? ひゃあ!?」
カトプレパスに槍が刺さる。ハルピュイアたちが矢を放っていた。
聖獣が暴れ荷台が大きく傾く。オークとゴブリンたちも転がっていく。
ノムが慌てて外に身を乗り出した。
「ルーシー! 誤解だよ、ボクたちは人質じゃない!」
「……えっ!? ノム、どうして貴女がここに!?」
「とにかく、ここにいる魔物には手を出さないで。ボクたちの味方だから!」
「――――ッ! 全員、攻撃止め! 今すぐ止めて! あれは味方よ!!」
風の精霊が指示を出すも、血気盛んな兵は簡単には止まらない。
更に不運にもカトプレパスと荷台を繋げる轅が音を立てて割れてしまう。
支えがなくなった荷台が重力に惹かれ、崖に向かってゆっくりと傾き出した。
「やばっ、今すぐ荷台から降りろ! このままだと谷底に落ちるぞ!? 物資は捨てていい!!」
「お兄ちゃん、落ちちゃう!」
「咲!」
逃げ遅れた咲を抱きかかえる。激しい振動で身体が大きく揺れた。
それでも何とか、先に降りていたニケさんに咲を受け取ってもらう。あと卵も。
立て続けの振動で俺は身体を支えきれず後ろに倒れる。荷台のスピードが上がった。
ザザ――――ザザザザ
「ぐ……最悪だ。ここで眩暈かよ」
恒例の耳鳴りに襲われ、降りるタイミングを逸してしまった。
「ああ、姫乃様も早く降りてください! 早くこちらへ!」
「お兄ちゃん、やだ、お兄ちゃん! 咲を置いてかないで!」
「……わりぃ、これはちょっと間に合いそうにないわ」
「どうしてそこで諦めるんですか!! いつもの余裕はどうしたんですか!?」
ニケさんが必死にこちらに駆け寄ってくる。
このままだと彼女も巻き添えを喰らうだろう。
「ハイオーク、ニケさんを拘束しろ」
「ブオ!」
「私は嫌ですっ、こんな所でお別れなんて嫌ですよぉ、姫乃様ぁ!!」
拘束され大袈裟に泣き叫ぶメイドさんに、俺は力強く親指を立てる。
「大丈夫だ。俺は死なない。咲、ニケさんの言うことをしっかり聞いて、お利口さんにしておけよ?」
一瞬の無重力状態を味わったあと。
俺の身体が荷台ごと谷底へと誘われていく。
「おにいちゃああああああああああああん!」
「姫乃様あああああああああああああああ!」
◇
全身に重たい感覚が襲いくる。肺の空気を吐きだす。
女神の力でも吸収しきれない衝撃で内臓が悲鳴を上げる。
それでも気絶すらしない辺り、完全に俺は人間を辞めていた。
「いってぇ……死なないだろうとは思ってたけど。何度も経験したくはないな……」
岩に体重を預けながら立ち上がる。
まだ身体の節々に痺れが残っているが、それだけだ。
そのうち走れるようにもなるだろう。ゆっくりと歩き出す。
谷底はかなり深く、見上げると白い霧で覆われている。
これでは助けを呼ぶのも難しい。自力で戻るしかないだろう。
幸運にも壊れた荷台がすぐ隣にあり、無事な物資をいくつか手に入った。
目の前には小さな川が流れている。本格的に行動するのは明日からだな。
魔法で火を付けて芋を焼く。残念ながら塩は紛失したのでそのままで喰うしかない。
「くうぅ……生還した後の飯は旨いなぁ……! 涙でないはずの塩気すら感じるぜ」
「――今しがた死に掛けたばかりなのに、お兄さんは呑気だね」
「うわっ、驚いた! ノム、お前も落ちてきたのか?」
自然と隣に座っていたので、気付くのがワンテンポ遅れてしまった。
ノムはジト目で俺を見ていた。何となく一人では食べ辛いので芋を半分渡す。
「ハフハフ。お兄さんでも驚くことがあるんだね。そっちにボクは驚いたよ」
「……お前は、俺を化物か何かと思ってないか?」
「似たようなものでしょ。まぁボクの役目はそんなお兄さんを助けることだから。地の底でも付き合うよ」
「それは助かる。一人でこの崖を登るのは苦労しそうだからな」
「登るのは確定なんだね……やっぱり普通ではないよ」
二人で芋を食しながら、今後の方針を固めていく。
残された咲とニケさんも心配だが、今は自分のことで精一杯だ。
ノムが咲を置いてここに来たからには、上の戦いはひとまず片付いたんだろう。
「サクたちはルーシーに任せておけば問題ないよ。あの子は根は真面目だし、きっと丁重に扱ってくれるはずだから。先にピスコ村に向かっているんじゃないかな」
「その真面目な連中に勘違いで攻撃されたんだが? 危うく全滅しかけたんだぞ」
「仕方ないよ。今のご時世、魔物との混成部隊だなんて、事前に説明がなきゃ誰も信じないよ」
「……はぁ、運が悪いのはニケさんだけじゃなかったか」
ガーゴイルに襲われていなければ、事情を説明する暇もあったんだろうが。
ハルピュイアだって魔物なんだし、俺たちが味方だと見ればわかりそうなものなんだが。
よぽど魔王軍に対して恨みが募っていたのか。そういえば助けにきた連中は皆ボロボロだった。
「ピスコ村は、もしかするとかなりマズい状況にあるのかもな」
「……お兄さん。今は余計なことを考えず、身体を休めるのを優先させるべきだよ」
ノムは至極冷静だった。淡々と成すべきことを提示している。
俺と同じ結論に達していても、正しく優先順位を付けているのだ。
冷たく聞こえるが、あえて口に出す辺り優しい子だ。俺もそれが間違いだとは思わない。
「精霊のルーシーが前線に立って戦っているんだ。すぐに全滅するようなことはないはずだよ」
「それでも犠牲は出るだろうけどな。一体、何人生き残っているのやら」
「君たち兄妹がどれだけ強くても、零れる者は必ず出てくる。全員は救えない」
これまでわざと見て見ぬ振りをしてきた事実をノムに伝えられ。
壊れたベッドに横たわりながら。歯痒さを誤魔化すように俺は唇を噛む。
「……最初からわかってはいたが。現実はゲームのように上手くいかないもんだな」
全員生存プレイを目指して、死者が出ればリセットだなんて。
そんな都合のいい能力はない。女神の力も俺と咲にしか効果を及ぼさない。
初めはそのつもりもなかったのに、気が付けば居場所が生まれ、守るべき者が増えた。
たった二人ではどうしても手が足りない。だが、力を借りれば犠牲者は増え続ける。
覚悟ができているかと問われれば微妙だ。戦争なんてつい最近まで遠い世界の話だった。
俺たちが戦いの場で遊び半分になってしまうのも、ある種の現実逃避なんだろうな。
「正直、ちょっと悔しいかな。己惚れだとしても、異世界で俺も何者かになれる気がしたんだが」
何となく呟いた言葉は、この世界を訪れて初めて出した弱音だった。
俺は選ばれた存在じゃない。実際は咲一人が勇者としてこの世界に呼び出されていた。
偶然そこに居合わせただけのオマケだ。勇者だって、ニケさんが勝手に言い出しただけで。
「お兄さんはよくやってるよ。元々この世界は手遅れだったんだ。それを、人々に一掴みの希望を与えてくれただけで、ボクは誇れるものだと思うよ」
「なんだ、ノムはもう諦めているのか?」
「そうは言わないけど。仮に上手くいかなかったとしても、誰も責めないよ。とだけ伝えておきたくて」
「そうか。お前は俺の味方でいてくれるんだな」
「うん……お兄さん、くすぐったいよ」
「ちょうどいいところに頭があったからな」
いつも咲にしているように、ノムの頭を強く撫でる。
誰かに優しくされるのは嬉しくはあるが。
それでも俺は、本物の勇者である咲のお兄ちゃんであり。
偽物だとしても勇者として扱われている。人に頼られる立場なのだ。
視線を感じる間は、常に前を向いて大胆不敵に笑っていないといけない。
だってそうだろう? それが希望の象徴の仕事だから。お兄ちゃんの役目だから。
しばらくの間、無言の時間が続いていた。
きっと霧の向こうでは異世界の月が浮かんでいる頃だろう。
昔の俺は月が苦手だった。それは無力だった過去を思い出すから。
今でも苦しくなる時がある。だけど、忘れてはならない大切な存在なのだ。
「変な話をして悪かったな。俺らしくなかった」
俺は目を閉じて大きく深呼吸をする。そして迷いを振り切る。目を開ける。
「寧ろ安心したよ。お兄さんは女神様に作られた勇者なんかじゃなく、普通の異世界の人だ」
「そんなにおかしく見えたか?」
「あまりにも戦い慣れしているから。心が壊れてしまったのかと心配していたんだ」
「そんなの男のくだらない意地だ。内面が追い付かないから、外見だけでも取り繕っている」
こんな血生臭い世界で、弱音を吐くような人間に誰も安心してついて来ないだろう。
強がりだろうと声を出す。口が悪いのは元からだが、この世界に来てより一層酷くなった。
「今夜の話は内緒にしてくれよ。周囲を不安にさせるだけだからな」
「うん、わかった。でも――そんな甘さをボクにだけ見せてもらえるのなら。ボクも君を支えたいという気持ちが強くなるよ。ん、大丈夫だよ。決して一人にはしないから。これからもボクに甘えてくれていいんだよ?」
ノムは隣で優しく微笑んでいた。手を握ってくれる。
包容力のある言葉に、小さいながらも母性を感じ取れる。
男の理想の女性像を天然で演じている。悪気がないのが厄介だ。
「……ノム、お前ダメ男に貢ぐタイプだろ? 将来、変な男を捕まえて泣くなよ」
「意味は分からないけど、それも褒め言葉として受け取っておくよ」
お兄さん……もう寝た?(ノム)
まだ起きてるぞ(姫乃)
そっか。谷底は、身体が冷えるね(ノム)
いつまで手を握り続けるんだ(姫乃)
寒いからね、お日様が顔を覗かせるまで我慢だよ(ノム)
ちびっ子は体温が高いな(姫乃)
今だけなら、ちびっ子でもいいよ(ノム)
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