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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
五章 政争と清掃
95/142

5-8















 思えばそれは必然だった。


 だって、彼女はそこに住んでいるのだもの。この場所においては、むしろ私がよそ者で、今まで出会わなかったのがおかしいくらい。いえ、居室の場所を他の人にそれとなく聞き出して、私はそっちに近寄らないようにしていたから、おかしくはないんだけどね。


 とにかく、私はそのことに一番気をつけていた。王宮に入る中で、一番の懸念事項。アースを王にするうえで、精神的に最も越え難い問題。

 絶対に、触れたくなかった事象。


「ミリア?」


 その声を聴いた瞬間、思わず振り返って顔を見てしまった反応。私は激しく後悔して、激しく狼狽して、どんな顔をしていいかわからなくなった。王宮内でも名が通るようになった、綺麗で可愛くて人当たりの良いマリアの皮が、あっけなく剥がされてしまう。

 晒すのは、不明瞭な私。


「こんなところで何をしているの?」


 澄んだ声だった。鼓膜を突き破って、脳を揺さぶるような。

 見た目は絵本に出てくる天使のようだった。金髪金眼は、他の人のそれよりも輝いていて、常より少し上がっている口角は可愛らしい。想像するに歳もそこそこだろうに、学院の同級生だといわれても疑わないくらいに若く見える。


「学院はどうしたの? あ、そういえばこの前、下町を見に行ったんですってね。学院に行ってから色んなことに興味を持ってるみたいで、お母さん、嬉しいわ。今日もそんな感じ? 王宮を見学に来ているの?」


 ゆっくりと近づいてくるその人。

 王宮内のとある廊下。この辺にはその人は滅多に訪れないと人伝いに聞いていて、だからこそ移動に使っていたのに。気が変わったのだろうか、気まぐれな人なのか、どちらにせよ、やられた。


「どうして黙っているの? あら、少し髪が長くなってるわね。ウィッグか何かをつけているの? それに、胸も急に大きくなったような……。成長期?」


 近づくにつれて、私とミリアとの差異が浮き彫りになっていく。でも、挙げられる特徴は明確に私とミリアとを分かつものではない。隕ェですら間違えるくらいなのだから、私とミリアは同一と言ってもいいかもしれない。


 どこか、他人行儀な脳内。触れられるくらいの距離に近づいても、いつものようには動いてくれない。

 私は茫然と、彼女の接近を許してしまっていた。もう、逃げることはできない。


「……ミリア? いえ、違う。貴方は……」


 その眉が寄ったとき、私は咄嗟に口を開いていた。


「私はミリアじゃない!」


 少し大きくなってしまった声に、目を丸くするその人。背後に控えていた侍従が私に剣呑な視線を送った。


 びっくりしたのは私だって一緒。こんな風に声を荒げるつもりはなかったのに。

 反省して、少し落ち着きを取り戻して、言い直す。


「失礼しました。私はミリア様ではありません」


 何とか言葉を絞り出した。

 深々と頭を下げた。


「テスタ・カウルスタッグ様。貴方は恐れ多くも、勘違いをなされています」


 顔を上げると、テスタの眼は真ん丸になっていた。驚きが一番表に出てきている。


 次に出る言葉は――聞きたくなかった。ほんとうなら、いますぐにかけだしてにげだしたい。


 なんといわれるのだろうか。

 いきなりこわいめになって、ののしられるのだろうか。せっかくすてたのに、どうしてここにいるんだとばとうされるのだろうか。いまにもこぶしをにぎって、わたしにたたきつけるのだろうか。なきくずれて、どうしていきているんだとわめきちらすのだろうか。いきていることを、おこられちゃうの? だって、きらいだからすてたんでしょう。いなくなってほしいから、すてたんでしょう。


 あたまが、まっしろ。

 だから、あいたくなんかなかったのに。


「すごいわ」


 ぱん、と手が叩かれる。そんな音にすら、びくっとして体を強張らせる私。その音を合図に、背後の侍従が私の首にナイフを突き刺しても何もおかしくないと思った。


「ミリアと、そっくり。本当に似ているわね」


 だが、反応は私が思っているものとはまったく異なっていた。罵倒も否定も殺意もない。

 テスタは物珍しそうに私の全身をくまなく眺めていく。


「世界にはそっくりさんが何人かいると聞いたけど、本当にいるのね。ミリアの母親の私ですら見間違えちゃった。貴方、名前はなんていうの?」

「……」


 吐き気がする。でも、嘘なんかついてもすぐにばれるだろう。顔を見られた以上、興味を抱かれた以上、私がマリアだという事実は、遅かれ早かれ彼女の耳に入る。

 自分の足で死刑台までの道を歩くような気分だった。


「マリア、です」


 ミリアに似た、私の外見。名前すら、そっくり。どうしてそこで気づかないのかは不思議だけど、情報を与えるうちに答えに至るだろう。


 目の前の相手は私の豈崎ヲェ。なんで捨てる様な子と可愛い我が子で、わざわざ名前を似せたのかはわからない。

 顔と名前の一致。そうなれば、どんな反応が返ってくるか。毎晩夢でうなされる時のように、酷い言葉が返ってくる。


「名前までそっくりなんて、本当にすごいのね」


 と思ったけれど、またしても外された反応。


 とんでもない演技派なのかと思ったけど、本気で言っているように見える。数多の人間を見てきた私の眼は、彼女がいかに正直者かを伝えてくる。


「……そうですね。学院でも、よく言われました」

「ええ? 学院に通っていたの? じゃあ、ミリアと会っているの? 学院でのミリアはどうだった?」


 その目は期待と歓喜に満ちていた。

 ミリアが両親から愛されているという話は、本当のようだった。ミリアのどんな話を聞こうが、彼女は喜んで聞くだろう。


 きらきらとした目は、私に向けられている。でも、その目は私を映していない。

 なぜだろう、とっても、冷えた感じのする思いだった。日光を浴びているのに、一向に溶けない氷の様な、そんな心持。


 私は笑う。よくわからない感情のままに。


「ミリア様は、とても素敵なお方です。何でもできるし、美人だし、自分の力に驕りをみせない。公爵令嬢として、かくあるべきなお方でしたわ」


 みしみし、なんて。


 体中が悲鳴を上げる。これ以上口を動かすなと叫び散らしている。

 でも、これが私の生き方。感情なんかどうでもよくって、相手を懐柔するためにだけ、笑っている。私の笑顔には、いつだって色がない。


「まあ。それはとっても嬉しいことね。でも、貴方も美人じゃない」


 ミリアに似て。そんな言葉の裏が聞こえてきて、私を穿つ。

 ぐさりぐさり、と縦横無尽に刺殺される。透明な刃は私を殺しに来る。無邪気な言葉は私を殺す。


「勿体ないお言葉、光栄でございます」

「ここにいるということは、王宮で侍女か何かをしているの?」

「ええ。アース第二王子殿下の傍仕えをさせていただいております」

「え、アース様の? 傍仕えができるってことは、貴方もとっても偉い方じゃない。ごめんなさい、私、無礼なことを言ってしまったかも。貴方って話しやすいから、ついつい軽々しく話してしまったわ」

「いえ。私は生まれも育ちも下町なので、問題ありませんよ」


 これも、地雷となる情報。もう私は死んでいるし、踏み抜いてみようかという気分になっている私。

 このことについても、テスタは特に触れてこなかった。


「下町出身でアース様の傍にいるなんて、すごいじゃない。頑張ったのね」


 ミリアと同じ見た目をした少女が下町で育った、その情報を聞いても、彼女の心は一切揺れていない。まるで私の存在なんか最初からなかったかのように。


 無関心。

 あるいは、無意味。


 ここまで関係ないを貫かれれば、本当にそうなのかなとも疑ってしまう。ミリアの中に私と同じ原初が存在していなければ、私も勘違いに笑っていただろう。なんだ、結局私はよくわからない人から生まれた、ただのどうでもいいマリアだったんだって。


 でも、逃げられない。ただのマリアではいられない。

 原初は、血に宿る。先祖からのギフト。だったら、母親か父親か、あるいは両方が、私と同じ化け物なのだ。

 ミリアにしたように、試したい――けど、試したくない。この人は、どうしても殴れなかった。


「学院では、友人に恵まれましたので。努力は苦ではありませんでした」

「そうよね。貴方、とっても安心する笑い方をするもの。友達も多いでしょう。ねえ、私って本当はこんなにおしゃべりではないのよ。それなのにこんなに話しちゃうのは、貴方が話しやすいから」

「光栄です」

「ミリアもこうだといいのに。貴方みたいに綺麗に笑ってくれれば、私も安心できるんだけど。不安だったから、最初、学院に行くのは反対していたのよ。リオンもクロウもピレネーもいるし、大丈夫だとは思ってるんだけど……。やっぱり、心配よ。あの子、ぼうっとしてるから」


 過保護。

 過愛情。

 余ってるのに。持て余しているのに。ミリアは受け取ってないのに。余り物でもいいから、ほしいと思っている人物がいるのに。


 ぐしゃりぐしゃりと、音がする。


「……。ミリア様は、とっても優秀な方です。最近は色んなことに意欲的ですし、人の中心にいることが多いです。ご心配なさらずとも大丈夫かと思います」

「そう? それならいいんだけど」


 楽しそうに笑ってくれる。

 私は、苦しい。笑う。


 テスタは侍従に肩を叩かれて、はっとした顔になった。


「そうだ、私は用事があるんだったわ」

「それは失礼いたしました。貴重なお時間を、申し訳ございません」

「謝らないで。とっても楽しかったわ。本当よ。私、嘘がつけないの」


 やめて。嘘をついて。私を騙して。

 これなら、罵倒された方が良かった。もしかしたら手違いがあったのかも、なんて、そんな期待を抱かせないで。これ以上を私をぐちゃぐちゃにしないで。


「そういってもらえると嬉しいです」

「また、話してもいい? 学院でのミリアのことも聞きたいし、貴方の話も聞きたいわ。もっと、貴方と話していたい」


 言葉は残酷なまでに私を切り刻む。

 私は、これ以上話したくない。

 でも、私は笑った。それ以外、忘れてしまった。


「勿論。私もテスタ様と話せて楽しいですので」

「良かった。じゃあまた会いましょうね」


 手を振って去っていくテスタとその従者。

 私は笑顔で手を振って見送って、踵を返して、そのままアースの事務室に向かった。部屋の中に入っていくと、その音で執務机に向かっているアースが顔を上げた。


「ああ、マリアか。ちょうどいい。少し調べてもらいたいことが……うわ、なんて顔をしているんだ」

「……」

「どうした?」

「……なんでもない」


 なんて言っていいのか、わからない。どんな顔をしていいのかも、わからない。


「私は今、どんな顔をしてる?」


 アースに尋ねる。

 彼は、眉を潜めながら



 ◆



 マリアという少女は、他人の心の機微がわかる。だから相手にふさわしい表情を作る。そこに彼女の本心はなく、だからこそその心の内を推し量るのは難しい。


 ――普通の人にとっては。


 イヴァンにとっては、意外とその感情は読みやすかった。

 いつも見てきた。小さいときから、マリアが泣き虫だったころから、ずっと。

 ころころと笑う時から、さめざめと泣く時まで、ずっと。


 だから、就寝前、イヴァンはマリアに尋ねた。いつもと笑顔の質が違う、彼女に。


「マリア。どうしたの?」

「どうしたの、って、どういうこと?」


 とぼけるマリア。でも、マリアだって誤魔化せないことはわかっているはず。イヴァンがマリアを知っているように、マリアはイヴァンを知っている。


「隠さなくてもいいよ。今日、王宮で何かあったんでしょ?」

「……」

「今更私とマリアの仲に、遠慮はなしだよ」


 イヴァンが鼻を鳴らすと、マリアがもたれかかってきた。


「××に、会ったの」


 その時イヴァンを襲った感情は、圧倒的な焦燥だった。


「……え?」

「逢わないように道とかを選んでいたんだけど、たまたま、出会ってしまったの」

「それで……?」


 冷や汗が、頬を撫でた。

 あり得ないと思っていても、心は恐れを否定できない。


 マリアとミリアの仲の悪さはよく知っている。最近ミリアがすり寄ってきているらしいが、マリアが撥ね退けたことも。

 同時に、カウルスタッグ家がマリアに何の感情も抱いていないことも知っている。ミリアと簡単に接触できているし、マリアの存在を忘れているのではないかと疑うほど。


 マリアが王宮で働くときに、もちろんその危険性は考えた。でも、マリアからもカウルスタッグ家側からも、接触して話すようなことはないと思っていたのに。


 いつだって一抹の不安が胸中にはあった。


「……話したの。私は、姿を見られて、名前を教えて、出身を伝えたわ」


 ――どうして?


 イヴァンは頭が真っ赤になるのを感じた。

 どうして、そんなことを言ってしまうのか。何も言わないで通り過ぎれば、何も起こらないのに。どうしてそんな風に火種を作ってしまうのか。


 そう思ってから、マリアにこんなことを思うのは初めてだと自覚した。マリアはわがままで、奔放。見る人にとってはきちんとした考えを持った大人だが、イヴァンにとっては自分の興味のままに生きる子供。でも、いつもしょうがないなあと許せていたのに。

 今はその無責任さに腹が立った。


「……なんでよ。黙ってればいいのに」

「頭が真っ白になっちゃって、逃げ遅れたの」

「マリアらしくないよ。煙にまけばいいでしょう」

「でも、何もなかったの。何も言われなかったし、何もされなかった」


 その言葉を聞いた時、イヴァンは心の底からほっとした。安堵のため息が出て、それをマリアに気づかれるくらいに。


「……イヴァン?」

「良かった。マリアが虐められなくて。私は心配だったんだよ」


 それも本心。マリアは弱いから、攻められなくてよかった。

 それよりも、大部分を占めるのは、


 ――マリアがヒトリで、良かった。


 薄暗い想い。倒錯した情愛。

 マリアは、可愛い。美人。頭が良くて、とっても素敵。だから、ほしい。全部、一番に。


 ――私の傍にいてくれないと。


 自分が一番。なぜなら、自分は家族だから。一生離れることのない存在だから。もう血だって同じ。原初だって同じ。名実ともに家族。

 だから、いらないよね。”元の家族”なんて、要らないよ。


「大丈夫。マリアには、私がいるから」


 耳元で、囁く。

 呪詛のように、絡みつかせて。祝詞のように、纏わりつくように。


「シクロも、エリクシアも、バレンシアも、ミラージュも、アルマたち子供たちも、いるからね。皆、大切な家族だから。だから、安心していいよ。そっちなんか、見なくていいから」


 こんなに暖かいものがあるんだから、他のことで心を痛めなくていいの。

 貴方の帰る場所は、ここにしかない。


「……ありがとう、イヴァン」


 弱ったマリアが見せてくれる笑顔は、イヴァンにとって格別だった。自分だけが見れる、至高の瞬間。独り占めして愛したいという欲望が、止めきれない。


「寂しんぼうなマリアだね。いいよ。今日は一緒に寝ようか。嫌なこと全部忘れられるように、愛してあげるから」


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