5-4. 何を騙るか
その日、家の庭で子供たちと遊んでいると、とある視線を感じた。
私は視線には色があると思っている。そこには感情が乗っている。怒ってるときは赤色、哀しいときは青色、楽しい時は黄色、何も感じていなければ白色。今回は白色に黄色が混じったような色だった。侵入者にしては、暢気な目。
子供たちに「ちょっと待っててね」と言ってから、私は視線のする方へ向かった。壁を跳躍して乗り越えて、眼下を見やる。
そこには、見知った顔があった。
「やっぱりマリアは見つけちゃうんだ」
照れたように笑ったのは、テータ・ピット。少し前まで私と共に学院生活を送っていた少女。以前彼女に張り付かれて調査されていたので、誰が見ていたのかはすぐにわかった。
壁を降りて、目の前に立つ。
「こんなところでどうしたの?」
「諜報員の仕事ですヨ。どうも上はどうしても調べ上げたい人間がいるみたい」
肩を竦めるテータ。今の服装は少しくすんだ色のシャツで、この下町ではよく見慣れたものだ。周囲に溶け込んだ姿の彼女は、何らかの情報を集めていたらしい。
「なるほど、それって私?」
「そ」
隠そうともせず、頷いた。
「突然第二王子アース様の侍従として現れたあの女は何者だって、上の連中は気にしてるみたい。それで、学院時代にマリアの調査をしていて、”望まれた報告”ができていた私に再び依頼が来たんだよ」
望まれた報告。
私とテータは協力して、テータの上司が欲しがっている情報を作り上げた。私は咎められなくて嬉しくて、テータも上司から怒られることもなくて、二人に利のある話。
今回テータが観察者である私に見つかっても飄々としているのは、そんな過去があるから。今回も同じように乗り切ろうと考えている。私も同じ。やっぱり知り合いが随所にいると嬉しいわね。
「このタイミングで私を調査しろだなんて、多分それはベイク・グレイストーンのせいでしょうね。彼に目を付けられちゃったみたいだし」
彼との情報戦。まずは手始めに私の情報を集めに来たということでしょう。過去の私のデータはほとんどないに等しいから、直接確認するしかない。
私が軽薄な笑顔を返すと、テータの眉が寄った。
「ベイク・グレイストーンって、公爵家の? ……マリア、何かしたの?」
「何もしてないわ。ただ笑顔で挨拶しただけよ」
嘘は言っていない。去り際に笑顔を残しただけ。どう受け取ったかは、相手次第。
「理由はわからないけど、出所は多分そう。私の上司もこの案件が最優先だって言ってたし、お偉いさん――公爵家からの依頼で間違いなさそう。マリアの正体と動向を探れだってさ」
「そんなはっきり言っちゃっていいの?」
「周りには誰もいないし、私たちの仲じゃない。それに、相手が納得する答えを渡せればいいんですヨ。ね?」
にやりと笑うテータ。
ベイクにとって誤算だったのは、どこまで私の息がかかった相手かを理解していなかったことだろう。テータの上司だって、テータが真面目に調査報告をしていたと思っている。彼女はもう、私のものだというのに。
情報戦は、情報そのものだけが大事なのではない。
それを伝え歩く人こそ、最も大事なものなのだ。
「ほしい答えなんて決まってるんだよ。だから私はそれを伝えるだけ」
テータはにやにや笑っている。
もうそこには現実と上司との間で悩んでいる少女の姿はない。要領よく、綺麗な真実を生み出すことできる化け物がいる。
「流石テータ。私の好きなテータね」
「ふふ。さて、なんて報告しようかな。どうしてほしい?」
「問題なし、なんて言っても意味がないわ。あっちは問題があると思って疑ってきてるんだから。だから、満足する問題を与えてあげればいいと思うの」
人は欲しい答えを求める存在。最初から答えの決まっている質問を投げかける。だから、彼が一番懸念していることを伝えてあげればいい。それを伝えられば、テータだってもっと重宝されるだろうし。
「バレンシアが生きていると伝えて」
「え!?」
テータは目を剥いた。
「え、バレンシア、って、バレンシア? グレイストーン家の? 学院の時に私たちと反目して化け物になって捕まって殺されちゃった、あの?」
「そうよ。今頃そこらへんでお酒でも飲んでいるでしょうね」
「随分と暢気だね。……生きてるの? グレイストーン家が殺し損ねたってこと? 本当にこのあたりにいるの?」
「そう。他の人にも聞いてみて。切れ長の眼の金髪金眼を見なかったかって。屋台とかで聞けばすぐに見つかると思うわ。そして、その情報を上司に伝えて。ベイクにも伝わるようにね。言い方は、マリアを探していたら、たまたまバレンシアを見つけた、でいいわ。捜査の眼をそちらに向けるの」
「わかった。確かに重要な情報だね。マリアよりもよっぽど、グレイストーン家にとっては重い案件だ。……けど」
テータは私の思考を測りかねているみたい。
どうしたいか、なんて単純。困惑、混乱。私がほしいのは、いつだって曖昧。
ベイクとの情報戦。まずは彼の急所を狙う。グレイストーン家はバレンシアを娘と認めていない。認めたら人間ではない姿を見られているバレンシアと同じ化け物と認定されてしまう。人間の公爵家としての権威を失う。
でも同時に、バレンシアが生きているという情報は放っておけない。得体のしれない場所で生きていれば、何を言われるかわかったものじゃない。グレイストーン家が揺らぎかねない。
これは爆弾よ。自分の手元で爆発しても、他所で爆発しても大惨事。生産地と責任元の明示された厄介な爆弾。さあ、どう処理するんでしょうか。
暴力を持ってくれば、バレンシアに蹴散らされる。数を持ってくれば、バレンシアの存在が公に晒される。倫理を持ってくれば、公爵家は取り潰し。いずれも難しい判断になる。
一歩間違えれば私も危険だけど、勝てる見込みはある。
それに――どうせ発端はあちらが側が起こす。私は巻き込まれただけの被害者になる。いつだってなんだって、私は目標を間違えた人間の火種に風を送っているだけ。
「この情報を伝えれば、またテータの株も上がるわ。私だって”怖いもの”。早く捕まってほしいし、最高の協力体制だと思うの」
「でも、この近くだっていうのなら、マリアは大丈夫?」
テータの反応でわかる。彼女は私を疑っていない。私がバレンシアと共謀してるなんて、思っていない。
それが真実。
大多数の人間は、私に好意的。私を疑わない。私を信じ切る。
だってこんなに笑顔が綺麗な人間なんだもの。当然よね。
「私は大丈夫よ。バレンシアを見つけたら伝えるわね」
私とバレンシアが一緒にいるところを見られたって構わない。それはそれで面白そうだし、未知に出会う事で私の思考能力はまた向上できる。
人生は、ロープの上を歩くよう。人によって違うのは、それを掴むか抱きしめるか、はたまた歩くか駆けるかの違い。
どうせ捨てられた私の生。楽しまなくっちゃ損になるわ。
「わかった。大事な情報ありがとう」
テータは笑顔になって、背を向けた。少し猫背になって、このあたりの雰囲気に紛れていく。テータはすごい。周りに溶け込んで、いざとなれば猫みたいな身体能力で、その場から去っていく。
さて。
これは私からの挑戦状。
ベイクを初めとした、バレンシアをどうにかしたい人たち。貴方たちはどう動くのかしらね。
◇
アースが魔術師団に顔を出すらしい。王を決める戦いにおいて自分の勢力を拡大したい狙いと、今王国が所有する戦力を知りたいとのこと。
私とグランを引き連れて、王宮内にある魔術師団の本部へと向かった。
魔術師団の本部は、王宮の東端に構えられている。騎士団は西側。この両虎によって、王宮の東西は守護されている。
案内された部屋の中には、髭を生やした老人が立っていた。アースの執務室に比べれば質素な印象を受けるが、壁に飾られた勲章が威厳をもって私たちを出迎えていた。
「殿下。おひさしぶりでございます」
彼はアンダーソンというらしい。魔術師団の現団長で、齢六十を超えたおじいちゃん。杖を頼りに立っている間、身体中がぷるぷると震えていて危なっかしい。
アースは知り合いらしく、相好を崩した。
「おひさしぶりです、アンダーソン殿。お元気そうで何よりです」
「ふぉっ、ふぉっ。もう寄る年波には敵いませんわい」
「またまた。以前お会いした時も同じことをおっしゃっていましたが、今こうして元気ではないですか」
「自分のことは自分がよくわかっております。もう老い先短いことはわかっておりますじゃ」
アンダーソンは大きくため息をついた。
「ですので、世代交代をと考えておりましてな。この機会に次期団長にと考えている人間を同席させていただければと思うのですが、いかがでしょうか」
「構いませんが、すでに決まっているので?」
「まだ議会の承認も降りていない、儂の望むことですが、周りも賛成多数となっております。十中八九決まりでしょうな」
そうして呼ばれて扉を開いて出てきたのは、クロードだった。
アースとグランの顔を見て爽やかな笑顔を作り、私の顔を見て苦い顔になる。
「……クロード・ザスティンと申します」
仰々しく頭を下げる。
「クロード殿というと、少し前まで学院で教鞭をとられていた?」
「はいですじゃ。学院で教鞭をとってから、どこか変わったようでしてな。今迄は儂の眼から見れば迷いと不安だらけだったのが、吹っ切れたように良い魔術を遣うようになったのです。もともと才能はぴか一。人望を厚いとなれば、これ以外に儂の後は継がせられませんな」
「そこまでですか。あのアンダーソン殿をそこまで言わせれば、間違いはないですね」
「ふぉっ、ふぉっ。儂の時代よりも良い魔術師がそろっていますよ。訓練風景を見てくだされ。新人にも活きがいいのがいますので」
アンダーソンが歩くのをクロードが介護しながら、場所を変える。本部から廊下を渡ってすぐに、開けたスペースがあった。白いローブに身を包んだ人たちが、遠くの的に向かって魔術を放っている。
「ご安心ください。これだけの精鋭がそろっておれば、魔物なんぞに遅れは取りません」
楽し気に訓練を見守るアンダーソン。アースは彼と昨今の情勢や魔術のことについて会話を始めた。
護衛の任務を忘れたわけじゃないけれど、手持無沙汰になった私は隣に立つクロードに水を向けた。
「クロード先生、お久しぶりです。次期団長だなんて、すごいですね。確かに私も言いましたけど、ここまで早いとは」
「アンダーソン様がおっしゃっていただろう。僕は候補だ。まだ決まったわけじゃない」
「第一候補なら決まったようなものでは?」
「では、王は第一王子で決まりか?」
小さな声で、私にだけ聞こえるように。面白い返しね。
「まさか」
「そうだろう。貴様が今ここにいるのは、そのためか?」
クロードは前をまっすぐに見つめながら聞いてくる。
見えているのは訓練なのか、未来なのか。
同じように前を向きながら、私は応える。
「はい、そうです。理想を叶えるために」
「叶えられるのか?」
「私は世迷い事は言いません」
「嘘つきめ」
「お互いにね」
私は嘘つき。彼も嘘つき。正直な言葉を隠すことが嘘だというのなら、人間は皆嘘つき。これが正しい姿。
クロードの眉が少し寄った。
「……殿下を騙しているのか?」
「確かに私は彼に私のすべてを打ち明けていない。それが嘘だというのなら、騙していることになるでしょう」
でも、少し違う。
「目的は同じです。彼も私も、同じ目的と意志をもってここに立っている。だから、私の正体なんて些末事。歩く道に間違いがなければ、互いに信頼できるでしょう。それは嘘ではなく、真実です。私は全身全霊をもって、彼を王にする」
少なくとも私は、彼を王にしたいと思っている。彼の治世によって世の中が良くなることを夢見ている。だから、彼を罠にかけようだとか、嵌めようだとか、そんな思いは一切ない。
彼だって化け物。だったらまごうことなき仲間だから。
思い通りに、王の椅子を用意してあげる。
「貴様は、損する性格だな」
「逆では? 得しかしていないと思いますが」
「すべてを思い通りにできるということは、すべてが思い通りになってしまうということだ。全責任が自分にのしかかってくる。人を騙せば、人を殺せば、それだけ自分の肩にのしかかるものがある。貴様の理想は、その先にあるんだ」
目の前で、的が爆ぜた。木っ端みじんになった目標を見て、一人の少女が歓喜の声を上げている。他の魔術師も、讃頌の声を上げていた。
「……今の私には難しい言葉ですね」
「紛いなりにも僕は教師だった。だから、つい言いたくなっただけだ。……応援はしている」
私から離れていくクロード。
代わりに駆け寄って来たのは、アルコだった。観覧席とを隔てる柵にとびかかって、
「マリア! 来てくれたのね! 見た? 私の魔術! 貴方と一緒に練習した成果よ。あれからまたすごくなったんだから」
満面の笑み。私も笑顔で手を振り返す。
「待ってて。今そっちに行くから」
アルコは観覧席を超えようと足をかけたが、上司だろう魔術師に首根っこ掴まれて、引きずられていってしまった。
「マリア、見ててね。またすんごいの出すから!」
楽しそうなアルコ。見れて良かった。頭のねじが少し飛んだような行動は心配になるけれど、魔術師団ではうまくやっていそう。
「あれが新人のアルコ・ナイトランですじゃ。すでにほとんどの団員を抜きんでる資質を持った天才。儂が安心して引退できるくらい、魔術師団の未来は明るいですぞ」
アンダーソンの眼は、まるで孫を見るように慈愛に満ちていた。