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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
五章 政争と清掃
90/142

5-3. 打算














 夜、子供たちも寝静まった頃。

 地下への階段を下りていく。


 そこは以前、夜中に修道士たちが集まっていた小部屋。少女たちをどう育てるか、どう売るか考えていた、大人が自分の未来だけを考えていたところ。


 そこは今や、怪しい容器とメモ書きの散りばめられた、ミラージュの研究室となっていた。


「調子はどう?」


 蝋燭の光だけが揺蕩う部屋の中、私は問う。


「順調ミラ」


 ミラージュは私を見ると、口角を吊り上げた。表情の変わらない人だと思っていたけれど、意外と感情豊かなのよね。


「やはりマリアの血は、体液は、素晴らしいミラ。今まで諦めていた色んな研究が進んで進んで仕方ないミラね」


 楽しそうに、手にした容器をかき混ぜている。赤色が見えたから、以前私が提供した血液かしら。私は彼女に自身の身体を与えている。そういう約束だったものね。


「私の体液で、何ができるの?」

「それはもう、可能性は無限大ミラ。例えば、ここには過去、原初が生きていた時代に集めたそれぞれの血が残っているミラ。普通だったらそれを口にすれば爆発四散、細胞劣化、生きてはいられない。けれど、マリアの血とともに口にすると、体に馴染んでいくミラ」

「なんでかしら?」

「マリアの原初が何かわからない以上、推測でしか語れないミラ。今のところわかっているのは、マリアは攻撃を受けても傷つかない、外形を自由に変えられる、他人の原初すら飲み込む凶悪さを持っている、ということ。だから多分、いい感じに他の原初の力を抑制し、同時に順応させると思われるミラ」


 それは私もわかっている。


「いい感じって、研究者としてその意見はどうなの?」

「仕方がないミラ。情報が少なすぎる。人体実験をしていいのなら、もっと先に進めるミラ」


 伺うような目つき。

 私はそれを聞いて、にっこりとほほ笑んだ。


「何度も言っているけれど、それをしてみなさい。私は貴方を許さないわ」


 ミラージュはすぐに両手を挙げた。降参のポーズ。


「やらないから。それは私に一切のメリットがない。戦ってもマリアには勝てないし、マリアからの協力が得られなくなるんじゃ、研究の意味もない」


 彼女の実験。多くの被害者を産んだ忌むべき過去。その悲しみを繰り返すというのなら、容赦はしない。私はそんな悲しみを失くすために動いているのだから。


「わかってるならいいわ。貴方に許すのは、実験に使われてしまった子への治療のみ。この孤児院にいる誰が死んでも、貴方が治療ではなく実験をしたとみなして貴方を許さない。私の体液を提供する代わりに、それは守ってもらうわよ」

「わかってる。せっかく掴んだお母様への道を失うなんてこと、しないから」

「ええ。そうよね。貴方にも、目的がある。私にも、目的があるの。二つの目的が合致して、同じ方向を向けるのなら、これ以上のことはないわよね」


 家族とは、共にいる存在。

 怒りもするだろう、少し嫌いにもなるだろう、でも、ある一線を越えてはダメ。私にだって、ミラージュにだって、誰だって踏み込んではいけない場所がある。

 でも、同時に、仲良しだからこその譲歩も存在する。お互いの理想と目標がわかっていれば、歩み寄れる余地もある。


「私は貴方の理想もわかってる。だから、一つ許してあげる。今治療している子たち、貴方が実験に使ってせいで苦しんでいる子たち、彼らに行う”治療”なら、許してあげる」

「治療ならしてる。……もしかして、疑ってる?」


 少し怯えた目。

 なんでよ。そんなに怖がらなくてもいいのに。


「違うわ。貴方は私の言う通り、治療に専念してくれている。それ自体はわかってるし、素晴らしいことだわ。何があっても殺したら絶対に許さない。でも、生きているのなら、後遺症が生まれないのなら、ある程度は許容範囲。触るのも、薬を飲ませるのも、いじくるのも、治療と言うのならしょうがないわよね」

「……」

「元研究員のミラージュさん。意味は分かった?」


 被害者のために全力を尽くすのは当然。その際に今いじっている私の血液を使うのだって問題ない。安全が確保されれば、少し過剰に与えたって構わない。だってそれは治療なのだから、文句の言い様もない。治療された側も、治療した側も、共に得をするのなら、それが一番。


 私が微笑みかけると、ミラージュの口角も上がった。恍惚とした表情で、幸せそうに、


「意味は、わかった。マリア。貴方は素敵。貴方はまさに天使のよう。貴方に会えて、良かった。私の生きてきた中で、絶対に今が一番幸せ。楽しくて生きがいを感じている。ええ、貴方の言う事は、よおく、わかった。私は”治療”をする」

「安心したわ。ただ、何度も言うけれど、過度は駄目よ。貴方が思う安全の範囲内でやりなさい」

「わかってる。貴方が大事にしているものはわかってる。大事なものを、もっと大事なものにしたいんでしょう?」


 ああ、ミラージュはわかってる。わかってくれるようになった。そのことが、とっても嬉しい。


 食事にかける調味料、それと一緒。素材だけでも美味しいけれど、舌を刺激する調味料はお腹をより幸せにするの。

 可愛い子たち。もっと可愛くなってくれたら、誰だって嬉しいじゃない?


「その通りよ。私は私自身のことはあまり好きじゃない。でも、私に近い子は大好き。私と同じ子は、大、大、大、大好きなの」


 微笑みが零れる。溢れだす。


 だって、私に似た子が多いという事は、私がいてもいいということ。世界が、私を認めたという事。嫌われて奪われて失った私でも、生きていていいということの証明。

 それに、私と同等の人が増えれば、それは少数ではなくなる。皆、独りぼっちじゃなくなる。皆が嬉しい世界になる。


「それは私も望むこと。わかっている人間が増えれば、鏡だって生き物に戻る」

「うふ。お互いの理想のために協力してね、ミラージュ」

「当然ミラ。そのために、少し考えていることがあるミラ。まだ研究段階だから何とも言えないけれど、これが成功すれば世界はひっくり返る。私たちが、世界を変える」


 私の血を見て、妖艶に笑んだ。


「それは素敵ね。じゃあ、”治療”に専念しないとね」

「ええ、”治療”に、ね」


 二人は、笑いあう。

 別に何もおかしいことじゃない。私たちは多くの命を救う、正しい行動をしている。皆から笑顔の返ってくる、誰も損をしないことを行う。ただ、そこに少しの意図が入っただけ。


 私がやっているいつものように、正義の中に、一つの余念が入るだけ。



 ◇



 私はアースとはもう三年以上の付き合いになる。けれど、その年数に反して、一緒にいた時間は多くない。反目しあっていたこともあるし、学院が違っていることもあって、回数で言えば十数回くらい。

 だから、彼の生きてきた道や築いてきたものも知らなかった。そういったものは最近知り始めている。


 知った内の一つ、意外とアースは人望があるらしい。

 仕事の合間に彼を訪れる人は多かった。誰もが親し気にアースに話しかけ、彼もそれに応じている。確かに客観的に見れば人当たりは悪くない人だし、人が集まるのもわかる。過去の私相手以外には敵意しかなかったけれど。


 ただ、訪れてくる人はアースと親交のある人ばかりでもなかった。

 下町ではほとんど話題に上がらないが、王宮内では王の後退の噂は広まっていて、後続がその子供に渡ることもわかっているらしい。その影響で、誰の派閥に入るか揉めているのだとか。当然、アースにベットと考える人も多い。

 全員、野心と保身を心に有していた。アースに取り入って出世しようと目論んでいたり、アースの庇護下に入って競争を生き抜こうと必死だった。


 今日もお客さんがやってくる。

 アースの執務室の前室でノックの音がした。応対しようと私が向かって扉を開けると、そこには蛇の様な顔をした、金髪金眼のやせぎすの男がいた。


「どうも初めまして。ベイク・グレイストーンと申します」


 私の様な存在にも、深々と頭を下げてくる男性。私も負けじと丁寧に頭を下げた。


「マリアと申します。アース様の侍従を務めております」

「ふむ。中々に整った顔のお嬢さんだ。体つきも悪くはなく、体幹も良さそう。殿下は良い護衛を手に入れましたな」


 くつくつと笑う男。

 私は微笑んだ。単純な愛想笑いに加えて、再び出会えたことに対して。


 ベイク・グレイストーン。バレンシアの実の父親。王家の秘密を軽々しく外に出そうとしたバレンシアを凶刃にかけようとした張本人。実の娘を見つめる視線がとても暗かったのを覚えている。

 私とも話したことがある。尤も、私は私ではなかったけれど。


 今日は武器は持っていないようだった。身体の傾きや立ち方からしても、以前持っていた鉈のような変なものの持ち込みはない。

 安全、よし。


「それでは、主様の元に案内いたします」


 奥の扉を開いて、彼をアースの下に誘う。

 私は見逃さなかった。ベイクがそんな私を見て、一度だけ眉を潜めたことを。


 ベイクは歩いていき、机に向かうアースに近づいていった。アースは顔を上げて、来訪者を確認する。


「ああ、ベイク殿。ご足労ありがとうございます」

「いえいえ。我が王の下に参じることを労と思う人間はいますまい」

「まだ全然わかりませんよ」


 アースは苦笑いをしながらベイクの前に立った。


「それにしても、本当によろしいのですか? 私につくということで。どちらかというと貴方は兄の派閥の人間だと思っていたのですが」

「構いません。貴方のその瞳にほれ込んでいますので」

「はは。相変わらず口が上手ですね」

「それに、紛いなりにも約束したことでもありますのでね」

「約束……?」


 アースの疑問符に、ベイクは答えなかった。


 私はアースの近くに寄りながら、ベイクの表情を確認した。


 軽薄で、思想が薄い、そう見せるように振舞っている。

 本心は語らないタイプだ。言っていることすべてが偽りで、煙に巻くのが得意。誰が王になろうが彼のやることは変わらないのだから、推すのは誰だっていいのだろう。王国の刃に持ち主は関係がない。自分でも言っていたしね。


 ひとしきりアースと中身のない会話を交わした後、ベイクの瞳は私に向いた。


「それで、初めてお会いしましたが、そこのマリア嬢はどういった方で?」

「ええ、学院時代の友人です。社交界の場で知り合いましてね。魔術、武術、算術に精通した、なかなかに切れる部下です」

「ふむ。貴方がそこまで褒めるとは、それは素晴らしい人間なのでしょう。最近仲睦まじいと噂のデリカ嬢が嫉妬に狂ってしまいそうですな」

「はは……」


 ベイクは単純な冗談として口に出したのだろうが、アースの顔は苦くなった。


 デリカはあれから誰よりも多くこの部屋を訪れている。議会に参加するようになって雰囲気が重苦しくて嫌だの、周りに壮年の男しかいないだのと愚痴を言って去っていく。

 表向きは婚約者のアースに逢いに来ているのだが、実際は私に逢いに。アースはその時は眉を寄せて私たち二人の会話を見つめているだけ。私が仕向けたことだけど、少し可哀そうになってくる。


「まあ、マリアには助かっていますよ。兄に妹に、ちょっかいをかけられていますので」

「やはり護衛を兼ねていますか。立ち振る舞いが中々に様になっているので、……む? マリア。聞いたことがあると思えば、当家の汚点を退治した人間ですか?」


 ベイクの眼が細くなった。

 私の噂は王宮でもそこそこに広まっていた。私が下町出身で出自の情報が集まらないから覚えている人は少ないけれど、覚えている人は覚えている。


 アースは少し迷いながらも頷いた。


「ええ。まあ、ええと、あの事件は、衝撃でした」

「何をお気になさっているかわかりませんが、むしろ良かったことではありませんか。当家に蔓延る膿を排除できたのですから。議会では彼女と当家の関係性は証明されませんでしたし。当然、当家の管理不足は反省し、あのような者を養子に取ることは二度とないことのよう努めます。マリア嬢、ありがとうございました」


 また頭を下げられる。この人の頭は、彼にとっては庶民にくれてやっても問題ないくらい安いものなのだろう。私と同じで。


「いえ、私はただ生徒を守りたかっただけです」

「噂に違わぬ謙虚さ。まさに聖女。聖女を隣に置くことができれば、此度のアース様の勝利は決まったようなものですな」

「その名に振り回されないよう気をつけるばかりです」


 アースが肩を竦めると、ベイクは薄く笑って頭を下げた。


「はは。殿下を困らせるとは、これまた大物ですな。さて、私はこれで失礼いたします。長居しては色んな方に怒られてしまいます。特に、デリカ嬢にはね」

「デリカは大丈夫だと思いますが……。ではまた。私を支持してくれたことを感謝いたします」


 アースが頷くと、ベイクは背を向けた。私は先んじて入り口の扉を開く。執務室から出て、前室でも同じように、廊下への扉を開こうとする、のを。


 首に当たった冷たい刃が止めた。


「――」一瞬、逡巡。「きゃあ!」


 私は悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。見上げると、絶対零度の眼をした男が見下ろしていた。


「……失礼。私のくせでしてな。初対面の相手には、ついついこうしてしまうんですよ。人の本質は危機下で初めて顕になると思っているもので」


 ついついでこの人は人の首にナイフを当てるのか。でも、私の立場はそれを許さないといけない。


 彼が懐にしまったのは、薄いペーパーナイフのような刃物。手首のあたりに隠してあったのだろうか、凶器にするには小さすぎて気づけなかった。ただの脅し用だろう。


「……お戯れを。私の様な若輩者相手では、それは十分致死となる凶器です」

「またまたご謙遜を。”我が娘”を相手にしておいて、その言葉は通らないでしょう」


 雑にバレンシアを娘だと認める発言。ぞんざいに爆弾を投げられた気分だった。

 会話という相手に近づくための道。そこに、地雷がいくつも埋められている。私の一挙手一投足が、彼の爆弾の火種となる。


 ――疑われている。


 ここは不安そうな目をするのが正解かしら。


「綺麗な顔を歪めてしまって申し訳ありませんな。私も貴方と同じく殿下を王にしたい。突然殿下の近くに現れた貴方を試してみたいと思うのも、殿下への想いあってのこと。許してくれますかな」


 差し出される手。

 私はベイクの手を取って立ち上がった。


「私の方こそ、謝罪するべきかもしれません。殿下の護衛を名乗っておきながら、この体たらく。貴方の様な方が敵になれば、無様を晒してしまうでしょう。次がない様に、良い教訓と受け取らせていただきます」

「……ふむ。確かに貴方は、普通ではない」


 ベイクの眼が細くなった。


「私の攻撃に、数瞬遅れて悲鳴を上げた。それは反射ではなく、脳を介した反応だという事。貴方の本質は私を恐れていない。そして殺意を向けた相手からは距離をとるはずが、手すら握って見せる」

「突然のことに脳が動いていないだけですよ」

「……そして、貴方の歩くときの手足の筋肉の動かし方、癖は、似ている。”あの時”と」


 少し寒気がした。

 あの時の牢屋では、アースを完璧に演じきったはずなのに。まだ甘いところがあったのか、はたまたこのベイクという男の眼が優秀なのか。


 だが、私はそんな心の揺れを外には出さない。


「あの時、とは?」

「……断定はできん、か。そもそもどうやってが解決しない」


 小さな声で呟いて、ベイクは口角を釣り上げた。


「いえ。安心いたしましてな。殿下の近くにいる人間が優秀で勤勉なのは望むべきことです。これからは共に殿下を王にするべく、邁進していきましょう」

「はい。私もグレイストーン様とお近づきになれてよかったです。これからよろしくお願いいたします」


 頭を下げて、廊下への道を開けた。


「ああ、そうだ。我が不肖の娘によろしく」


 去り際にベイクは呟いた。


 明らかに、ブラフ。彼は私を理解しきれていない。私の反応を推し量ろうとしている。

 当然、ここは知らないふりをするのが得策。無意味に疑われても仕方がない。


 でも。

 こういった緊張感のある会話は、あまりなかったものだった。互いに手持ちの手札を使って相手を理解しようという戦い。戦闘ではなく、会話で成り立つ争い。一歩間違えれば死ぬことは同じ。

 どこまで私は欺けるだろうか。王国の刃を名乗りながら、刃だけでなく頭脳も切れているこの人を。


 知りたく、なってしまった。

 未知には、自身を成長させる知識と劣化させる知識がある。これは、前者。手に入れても問題ないもの。


 知りたい知りたい。この戦いを乗り切った後の私の姿を知りたい。


 だから私は答えなかった。扉が閉まっていく間、一言も発しない。

 振り返るベイク。怪訝な顔をしている。そんな彼に、私はうっすらとした微笑みだけを返した。

 その戦い、受けて立つ。

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