4-24. 卒業
卒業、それは別れ。
授業がもう聞けないだけではなくて、毎日の習慣が終わる。この三年間、欠かさずに行ってきた日常に終わりを告げる。
寮も引き払う。寝食をともにした級友たちとの濃厚な時間も終わりを告げるという事。寂しいという思いがある。
卒業式を終えて教室内、私たちは互いに別れの挨拶を交わしていた。
「私は今後も諜報員かな。なんだか上に気にいられちゃったみたいで、そもそも辞めれなさそう。伝えたこと、全部が真実ってわけじゃないのにね」とテータ。
「私は王都で起こったニュースを新聞に書き続けるっす。皆、有名どころに行くみたいだし、何かスクープがあれば、連絡頼むっす」とクリス。
「実家に戻って家業を継ぐかなあ。あ、もちろん、王都にも顔を出すよ。色んな子に商売のパイプは繋いどいたから、これから忙しくなるし」とレイン。
「法務官だ。この世には相変わらず悪が多い。そんな悪を根絶やしにするのが、法である。私が裁いてやるからな」とエイフル。
「まずは護衛団の下働きからだな。将来的には護衛団を立ち上げたい。もしもマリアが偉くなったら、護衛してやるよ」とアネット。
「魔術師団のエースになるわ。マリア、貴方と研究した魔術のことを、しっかり活かすからね。また会いましょう」とアルコ。
全員、希望と期待を胸に、輝いた顔をしていた。色んな事のあった学生生活だけど、最終的には満足そうな顔をしていた。終わりよければすべてよし、そんな感じ。
教室に集まった、Cクラス九人の卒業生。その中で浮かない顔をしていたのは、スカイアだった。
「私は記録員になります。議会で話し合ったことを記録する係です」
「凄いじゃない。じゃあどうして嬉しそうではないの?」
「……私は、忘れていません。忘れられません。この学院で起こった多くの騒ぎを。貴方が各事件で起こした行動を」
スカイアの脳は物事を忘れることができない。過去見たこと聞いたことをすべて覚えているらしい。生きづらそうだと思う。人が記憶を消去するのは前を向くためなのに、それが許されない。楽しいときでも苦しい思い出が頭をかすめてしまう。
「でも、それでもいいと思うわ。貴方は大変だろうけど、苦しいときに楽しいことを思い出せたりもするから。そして、私のことも忘れないでいてくれると嬉しい」
「……」
「貴方の眼は、一番公平だものね。その場の感情に左右されない貴方の視点は、今後ともいくつも活躍の場があると思うわ」
スカイアは伏せた眼を見開いた。
「……マリアさんは逆に不公平ですね。貴方の言う事は、一貫性がありません。綺麗な花だと思えば、猛禽類のように相手を食す。だから皆、狂ってしまうんです」
「私だけの話ではないと思うわ。人間誰しもいくつもの顔を持っている。人によって、立場によって、環境によって、その形を変える。私はそれがよく見えるだけ」
「そうですか。……でも、マリアさんは変わっていると思います」
「それは表面だけを見ているからよ。私の思いを見てくれれば、私は変わっていない」
私は小さいころから何も変わっていない。
弱くて化け物で臆病で、色んなものを失ってきた。
変わったとすれば、外側。綺麗に笑えるようになって、美しい相貌を手に入れて、無敵な体を手に入れて。
それだけ。
「これから先成長していくと、色んなことを知っていく。知っていけば、変わっていく。私の変化を覚えていてくれる人がいるのなら、それは貴方なんでしょう」
少し離れたところから、客観的で忘れない視点を持ってくれている。他の子と比べれば仲が良いとは言えないけれど、そういう距離感も大事。
「わかりました。貴方のこと、覚えておきます」
スカイアは頭を下げて、私から離れていった。
私はイヴァンとともに、教室を出る。感傷に駆られながら、建物を見渡しながら、廊下をゆっくりと歩いていった。廊下の先に、一人の男性が壁を背に立っていた。
「貴様も卒業か」
クロードは仏頂面を私に向けた。
「一年間、ありがとうございました」
「……シクロは残念だったな」
彼の視線は、私の背後に向けられた。イヴァンしかいない、その場所を。
「別に貴方が気に病むことはありません。どこにいたって魔術研究所の眼にとまれば、遅かれ早かれこうなっていたでしょう。生きているだけ良いことです」
「そんなつもりはなかったんだ」
「わかっていますよ。意外と純粋な悪意ってのは存在しないんです。自分の思いを通したいから、人は人の邪魔をしてしまう。邪魔になってしまう。でも、そのこと自体は悪いことじゃない。自分を大切にできるのは、自分だけですから」
「慰められたいわけでもないが。……僕は魔術師団に戻ることにする。ここは後任が守ってくれる。貴様という問題児もいなくなるわけだしな」
少し投げやり。
「それに僕は、教師の器じゃない。こんな人間に何を教えられるという」
「私は教えてもらったわ。好意に性別も環境も関係ないという事を」
愛は等身大。他人と比較するものではない。
「……もしも困ったことがあったら、言ってくれ」
「手伝ってくれるの?」
「僕はシクロのことに責任を感じてる。それに、貴様のいう世界創成の片棒を担いでしまった。後に引けないのなら、前に進むだけだ」
まだ迷いが見える。それでも、先日よりは良い顔をしていた。
「そうね。次に会うときは、貴方は魔術師団の長かしらね。頼りにしているわ。ミドル先生によろしく」
嘘つきと嘘つきは視線を交わし合い、逸らし合った。
「結局マリアは騎士団には入らないのかい?」
と、話が終わったタイミングで、ロウファが話しかけてきた。
「騎士団で私にできることはないわ」
「先方、参報、指揮官――全部こなしてしまいそうだけどね」
「買いかぶり過ぎよ。私は一人の脆弱な女の子だもの」
「そう言うなら、そういうことにしておこう」
ロウファは快活に笑ってから、頭を下げた。
「それでも、私は君に感謝を伝えたい。君のおかげで、私は自分の行く道が見えた。迷っていた剣の振り先がわかったんだ」
ただ敵に向かって切りかかるのだけが剣ではない。周りに見せびらかすのも、鼓舞するように振り上げるのも、剣の役割。
この世に存在するものは、いずれも使い方が一つに決まってるわけじゃない。定義を決めつけてはいけない。どう使うかは、結局自分次第。
「この学院生活は、私にとって財産になるだろう。君と出会えたことも、大切な思い出だ。だから君が困ったときは私が助ける。この剣に誓おう」
「いいの? 騎士団に入る人が軽々しく剣に誓ってしまって」
「軽くなんかないさ。僕の思いは、それくらいなんだよ」
照れたように笑って、「以上だ。マリアは人気者だからね。僕が独占していては、最後の最後で色んな子に恨まれてしまう」と身を引いた。
さらに歩いて行く先には、デリカがいた。
「聞いたわ、マリア。アース様の部下になるんですってね」
それはまだ機密事項であったが、流石に公爵令嬢、アースの婚約者のデリカは知っていた。
「ええ。彼と共に、新しい世界を作りたいと思っていてね」
「新しい世界って?」
「デリカももう少ししたらわかるわ」
デリカはまだ自分を知らない。化け物を自覚していない。その事実が人に与える影響を知っている私は、おいそれと教えられなかった。
「貴方とアース様で、……私は蚊帳の外ってこと?」
「違うわ。物事には知るタイミングがあるの。知らない方がいいことも、いっぱいね」
「そんなことない。私はマリアのこと、いつだって知りたいもの」
綺麗な目は、知ることを怖がっていない。
この学院に入ったときの私も、そうだった。未知は全部味方だと思っていた。理想がたくさん詰まっていると思っていた。
でもね、生きていくと、未知の可能性は狭まっていくの。たくさんあった選択肢が、どんどんと絞られていくの。未知はみんな、敵なの。私たちを壊そうと待ち構えているの。
「それ自体は嬉しいけどね。デリカはどうするの?」
「お父様の下で学ぶわ。私の学院の成績もよくなったし、両親は跡継ぎを誰にするか迷ってるみたい。将来は議会の長になるのかも」
デリカのアッシュベイン家は、王国の心臓。議会を取りまとめている。バレンシアの暴走の時も先頭にいることができたし、今のデリカなら物おじせずに皆をまとめてくれそう。
「アースのことは?」
「……まだわからないわ。婚約は結局解消されてないみたい。私の妄言だって、両親は取り合ってくれない。私は、マリアのことが好きなのに」
真摯に見つめられて、照れてしまう。
「いいことを教えてあげる。アースの婚約者でいれば、彼の部下の私とはいつでも会えるわよ」
その言葉に、デリカの眼が輝いた。
「その通りだわ! 卒業しても、いっぱい会えるじゃない。なんだ、それなら、お別れは言わないわ。また、今度。今度は王宮で会いましょう」
快活な笑顔に見送られて、私は校舎を出た。
振り返って、学院を見やる。思っていたより小さかった。ここに来た当初、三年前よりも私の身体が大きくなったからだろうか。それとも、過去の私の描いていた理想が大きすぎたのだろうか。
「本当に王宮に行くの?」
イヴァンが聞いてくる。不安と不満があった。
「ええ。私の造りたい世界を考えれば、王家の後ろ盾はあった方がいいでしょう」
「マリアの理想はわかる。でも、アースと手を組まなくてもいいんじゃない? 当初通り、孤児院から始めようよ。私たちの足元から固めようよ」
「アースと話して、一つ分かったの。人の意見は、立場で簡単に変わるって」
人間は人間を守って。
化け物は化け物を守る。
化け物になれば、化け物を庇う。
人が全員化け物ならば、全員の化け物を自覚させればいい。
「孤児院でも王宮でもやるわ。私は、両方して見せる」
足元、王国下町の孤児院。そこで保護した少年少女を育て上げる。下町の常識を壊していく。
眼前、王都の王宮内部。様々な思惑渦巻く場所で舵を取り、巨視的に人の考えを変えていく。
私は、失った者。
私と同じように、奪われて、失くして、哀しんだ人たちはきっと少なくない。まだ見ぬ彼らを救う世界を作るのが、私の理想。
少し怖い。
理想はいつだって裏切って私を襲ってくる。
夢はいつだって手が届く瞬間に泡沫になる。
でも。
「それでも、私は理想を掴んでみたいの」
私の笑顔にイヴァンは呆れたように、されど嬉しそうに頷いた。