4-23. 哀
ミリア・カウルスタッグ。
私と同じ見た目をした少女。
彼女が入学してから、もう随分と経った。私はいまだに彼女と顔を合わせていない。
認めます。私は、彼女に会いたくない。彼女のことを考えるだけで、私が私じゃなくなることがわかっているから。理由も原因もわからない、わかりたくないけれど、どうしようもないのだ。
でも、これ以上先延ばしにもできなさそう。私は私を知らないといけない。私は私の原初の一端を知ってしまった。
交わった他人にさえ影響を及ぼすこの力。例えば、私の原初が他人の寿命を喰うものだったりすれば、私はこの力を抑制しないといけない。大切な愛する人たちを、私は守らないといけない。私が好きな彼女たちを一番彼女らを脅かすのが私だというのなら、それは防がないと。
私は私を知って、未来に進まないといけないの。そのためには、知りたくないことも知らないと。
吐きそうになる気分を抑えて。
不安に押しつぶされそうな脳内を諫めて。
私は、ミリアの目の前に立った。
「――はじめまして」
放課後、夕焼けに染まる一年生の教室。白色の光に赤色が交わりだしている景色の中で、私は彼女を見た。
ミリアの周りには、三人の護衛。そこに私を加えて、ここにいるのは、五人だけ。
私の手中にある彼女の周りの三人。一人はミリアからの恩寵が欲しくて、一人は化け物ゆえの被虐体質で、一人は死んだと思われる姉に会いたくて。全員、私に弱い弱い腹の内を曝け出している状態。
彼女たちにはこの場所のセッティングをお願いしていた。人払いも済んでいる。もしも私が自分を見失って暴れてしまっても、目撃されることなく悪評が立つこともない。もう少しで卒業だからどうでもいいといえばそれまでなんだけど。
私の進路は、アースの配下。彼と共に王宮で王国を綺麗にする手伝いをする。お偉いさんは貴族ばかりだから、一応、貴族のお嬢様方への覚えは良くしておかないと。
仏頂面のリオン、心配そうなクロウ、眉を潜めたままのピレネー。いずれも、私がミリアに近づいても何も言わなかった。彼女たちの中にある彼女たち、すでに私はそれをこの手に握っている。ミリアまでの道は、すでに用意されていた。
「私はマリア。こうして話すのは初めてね」
「初めまして、マリア」
私と同じ顔が、ぺこりと下がる。
生き映し、そっくりな見た目。何度見ても、私を見ているようだった。まるで、鏡。ミラージュには鏡の原初を有する存在は他にいないと確認をとっているけど、それを疑わないのは難しい。
あるいは、私が彼女の鏡? いえ、私の方が早く生まれているし、それはないわ。
私は私を見て、「……」開いていた口が閉じた。
色々と考えていた。
何を話すか、何をはっきりさせるか、何度も質問の内容を反芻した。
でも、目の前にすると、頭が真っ白になった。こんなこと、今までの私ではありえない。やはり彼女は、今までの私を私ではいられなくする。どうしてだろうか、その答えも見つけないといけない。
「どうかした? 私に用があるんでしょう?」
ミリアの半分だけ空いた目、抑揚のない声は、私との相違点。違いを見つけて、私はようやく私を取り戻す。
「少し感傷に浸っていたの。私も最上級生、もうすぐ卒業するからね。この学院にも、三年間の思い出がたくさんあるわ」
「ご卒業、おめでとうございます」
「ありがとう。それで要件と言うのは、ここからいなくなってしまうし、この一年間、散々周りから言われてきたことをはっきりさせようと思ってね。貴方だって不思議が宙ぶらりんになってるのは嫌でしょう?」
「別に、そうでもないけれど」
興味なさそうに、首を傾げる。
また、違う。
未知は、宝箱。開けなければ理想のいっぱい詰まったままの箱。手にしたいとは思わないのかしら。
みしり、という音は、頭から。
欲しくないのは、持っているからだ。いらないから、欲しがらない。それを学んでいるから、また私は苛々してしまう。
「私は嫌。知っていくことは好きだけど、わからないことは嫌い」
今後起こっていくことは夢。
理解できないことは、横槍。
胃が受け付けないものがあるように、脳だって受け付けない情報がある。それらは、私の人生を狂わせる。
「だから、わからないことを、わかりたくて来たの。一生悩み続けるくらいなら、この一瞬の激痛に耐えようと思ったの。
貴方は私のことを知っている?」
アイの形を、知っている?
ミリアは考え込む様に、眉を寄せた。
「貴方のこと……。知っていると言えば、知っている。この学院で起こった様々な出来事、それらを解決した英雄だってこと。綺麗で人望があって、一年生の子だって何人も貴方に憧れているわ。魔術、武術、算術――ありとあらゆる分野に精通していて、優秀だってことも、知ってる」
「……それは、この学院にいればわかることでしょう」
そう、”見せた”私の姿。知りたいのは、私の意図しない私。
「そうだけど、欲しい答えじゃなかった?」
きょとん。そんな顔。
埒が明かない。
知らないふりをしているのか、本当に知らないのか。ぼうっとした表情からは、感情が読み取り辛い。
「――はっきり言うわ。私と貴方の関係は何?」
私は生まれてすぐに捨てられて、孤児院にやってきた。そこから、孤児院、学院と、箱庭の中で過ごしてきた。だから、外のことをあまり知らない。王宮の中も、知らない。王宮で生まれて育った貴方は、私の知らないことを知っているんでしょう。
「関係、というと? ……先輩と、後輩?」
「はぐらかさないで。貴方だって思ったことがあるでしょう? 私と貴方の見た目について。こんなにも同じなのは何らかの関係があって当然でしょう。貴方は知っているんじゃない? 私は知らないの。生まれてからすぐに孤児院に捨てられたから」
私が一人で生きていけない頃に捨てられて、貴方がのんびりと生きている理由。
なんで。なんでなんでなんでなんで。なんでなんでなんでなんで、なんでなんでなんでなんで。
「他人の空似でしょう。世界にはそっくりさんが二、三人いると聞いたことがある」
「色も一緒、形も一緒、才能も一緒。それのどこが他人の空似なのよ。
ねえ、私が髪を切って幼くなったら、貴方たちは私とミリアの見分けがつくの?」
護衛の三人にも聞いてみる。三人は言い淀んだ。それが答えだった。
「傍目から見たって、私から見たって、貴方は私そのものだわ。他人だなんて思えない。貴方はそうは思わない? もしくは、貴方の立場だと私を他人にしないと駄目な理由でもあるの? カウルスタッグ家は、何かを隠しているの?」
核心に近づくたび、体も脳も心も音を立てる。熱を帯びて危険信号を発している。
嫌なの。聞きたくないの。耳を塞いで逃げ出したいの。だってどうせ、碌な答えじゃないから。私の冷静な部分は、ある程度の答えを有している。
私は有名。英雄。白百合騎士団の長。学院の子たちだって家に帰っても話題に出しているくらいに、好意的な視線に晒されている。だから、王宮にだって話が届いているはずなのだ。マリアという孤児院出身の金髪金眼の美少女が活躍していることは、知ってしかるべき。
それなのに、三年間、何も連絡はなかった。
どこからも、なにからも。間違いや誤解があったわけじゃなく、私は今の状態が当然なのだ。孤児院出身のマリアなのだ。
つまり、私は、何かの手違いがあって捨てられたわけではないのだ。明確に、絶対に、拒絶の意志を向けられたのだ。
痛い。いたい。そんなこと、考えたくもないのに。
「貴方を他人とみなさないといけないなんて、そんな理由はない。私は本当に、貴方を知らない。貴方の求める答えを持っていない」
「ううううううううううううう」
頭から言葉があふれ出す。制御できない嗚咽が口からあふれ出していく。
孤児院の修道士は語った。私は孤児院の子供たちの中、特別だと。
バレンシアは言っていた。私はカウルスタッグ家の娘だと。
ミリアの見た目は告げる。私と彼女の身体的同一性を。
周りの子たちは無責任に。私は貴族の生まれだなんて口に出す。
少し頭を捻れば、私の根源なんか想像がついてしまう。ここまで生きてきて、パズルのピースは集まってしまった。
そうなれば。
私は何も持っていないのではなく、何かを失った存在になってしまう。最初は持っていて、何かの拍子にそれを落として、今の私になっていることになる。
だから、本当は知りたくなんかないのに!
「ううううううううううううう」
言葉が出てこない。
脳がぐちゃぐちゃ。
だって、だってだって。
「なんで貴方はそこにいて、私はここにいるの?」
私と貴方に違いなんかないじゃない。まったく同じ見た目をしているじゃない。女性になりきれなかった私がいけないの? でも、そんなの、服を着せればわからないじゃない。カウルスタッグ家は長らく子供がいなかったんでしょ。それなのに、なんで私を手放したの。私が何をしてしまったというの。
貴方にあって、私にないものはなんだ。
もしくは、貴方になくて、私にあるものは何。
「そんなこと、知らないけど」
「オシエテ」
私がもらえなかった理由を。
私が求めている物の中身を。
「そのカタチを、オシエテ」
一瞬でミリアとの間合いを詰めて、彼女の顔面に殴りかかった。
試すだけ。私と彼女の関係性は、血でもって判別できる。つまりは、原初。つまりは、力。怪我を負ってその怪我が残れば、貴方の言い分を認めてあげる。他人だもの、私はもう貴方に関わらない。
数瞬遅れて、護衛の三人が動き出した。遅い。弱い。つまり、彼女たちは、私と同じではない、私とは関係がない。
ミリアは目前まで握りしめた手を見つめて、――避けた。首を捻って、私の本気の一撃を、躱した。風圧で彼女の金髪が揺れた。
「何?」
いまだ目は開き切らない。まるで日常の延長線上にいる調子で、彼女は私から逃げていく。
「――っ」
「マリア! 貴様、何をしている! 話すだけだと言っただろう!」
「だ、駄目ですよ! 止まってください!」
「護衛として、そこから先は止めざるを得ませんわ!」
護衛三人が私に襲い掛かる、が、私はすべて蹴り飛ばした。手加減なしの勢いで腹部を思い切り蹴りつけると、三人とも壁にぶつかってうめき声を上げる。
「……うるさい」
頭が熱い。
脳が叫んでいる。
体中が絶叫して熱を発する。
眼前の澄ました顔をしている少女を、××しろと、命令している。
「うるさいうるさいうるさい」
「何も言ってないけれど」
「うるさいって言ってるでしょ!」
もういい。もういいわ。
答えは自分で見つけ出す。
貴方の身体でもって、暴き出す。
「【炎線――剣】」
私は指先から一筋の炎を生み出した。ミリアに向けて放つが、避けられる。放出はやめずに、そのままミリアの逃げた方に横なぎに振り払った。教室の壁を切り裂いて穴を開けるが、ミリアは器用に避けていく。
「炎の魔術をそこまで器用に操るなんて、流石に天才と呼ばれているだけある」
「その余裕そうな顔をやめろ!!」
魔術の行使を止めて、肉薄し、拳を叩きつける。腰を落として避けられ、私の拳は黒板に穴を開けた。
「逃げるな!」
「そう言われても、私は父さまから言われているの。傷ついてはいけないって。私は完璧なままでないといけないの」
「そんなこと知らないわ!」
「私も知らない。なんでだろう」
「あはは! 理由なら知ってるわ。教えてあげましょうか! 貴方も化け物だからよ!」
私が一歩踏み込むと、ミリアは一歩後退する。拳を前に突き出すと、体の向きを変えて避ける。攻防の末に教室を出て、廊下に出る。拳を、蹴りを、魔術を当てようとするも、すべて紙一重で避けられる。
全然当たらない。むかつく。「くそっ」
「……化け物?」
「この世全ての生き物は、原初から生まれた。人間はそれらの才能の残りかすよ。王家は原初の力を占有して、自分たちの都合の良い王国を作ってる。公爵家の貴方だって、知らないだけで立派な化け物なのよ」
「そう」
また、興味のない顔。
数多の強敵を屠ってきたこの私が本気で攻撃してるのに、汗一つかいていない。この時点で、ミリアの異常性は判断できた。
「確証はないけれど、そうかもね。私は他の子より、大分、”できる”から」
「それだけじゃない! 王家の有する金獅子の原初、私たちに流れる血は、そんなものじゃない。ミラージュすら知らない、未知の原初。傷を負う事実すらなくし、他人の血すら塗りつぶす力。貴方にもそれがある。だから、それが明らかにならないために、傷を負ってはいけないなんて言われたのよ」
「……へえ」
少しだけ、ミリアの眉が上がった。
「貴方はそんな化け物なの?」
「そうよ。そして、貴方も同じ」
「それは、気になる」
ミリアの脚が止まる。私の放った拳が、彼女の顔面にそのままぶつかった。鼻っ柱を折り、頭蓋骨を変形させる威力。ミリアの身体は勢いよく吹き飛んで、廊下の先に転がっていく。
わざと受けた。
もしも化け物でなければ、死んでいるかもしれない一撃を。
「……」ごくり。
「いたい」
ミリアはむくりと起き上がった。
「久しぶりに、痛い。でも痛みって、こんなものだったっけ?」
そして、自身の顔に手を当てる。
下手したら致命傷になる威力の攻撃を受けても、私の中にいまだに肉を叩いた感触が残っていても、ミリアの顔に傷はなかった。
「ほら! やっぱり貴方は私と同じじゃない! これでもまだ無関係だというの!」
「本当だ。知らなかった」
原初の力とは、自覚による。自分の力を知らなければ、知らないままで生きていけるのがこの世の中。私が伝えたことで、彼女は自身の中に眠る原初を自覚した。それはつまり、私とミリアの関係性をはっきりさせる。
ミリアと私に同じ血が流れていることがわかった。だとすれば、
「あははははは」
そう、私は、ミリアと同じ。同じ原初の力を扱えて、同じ血が流れている。二人とも、カウルスタッグ家で生まれたのだ。カウルスタッグ家の娘として生まれて、意図的に捨てられたのだ。
つまり、私は最初から何も持っていなかったわけじゃない。ミリアと同じものを持っていて、奪われた。はたまた、失ったのだ。
なんで、どうして、何があって。
ミリアは立ち上がった。不思議そうに首を傾げる。
「どうして泣いているの?」
「わからないのね。……それがわからないくらい、貴方は満たされているのね」
私とミリアは一緒。原初も、親も、血も、見た目も、才能も、全部一緒。
だけど、全然違う。
ミリアは人の涙の意味もわからない。考えたこともないのかもしれない。興味がないという事は、それがなくても生きていけるから。表情が希薄なのは、そうでなくても人が寄ってくるから。
完璧な笑顔を向けて、相手のことをつぶさにに観察して、相手が幸せになれるような言葉をかけて、他人に喜んでもらいたくて。そんな風に人に合わせて生きてきた私とは、本質的に真逆。交わらない水と油のよう。
同じなのに。同じだった、はずなのに。
今、こんなにも違っている。
「……」
さっきまで色んな感情に急かされていた脳内。熱と音に窮屈だった頭から、急に音がしなくなった。現実を予想して、予防策まで考えて、受け止める準備ができていたはずなのに。
やっぱり私は、ダメだった。
「……帰る」
私はミリアに背を向けた。
初めからわかっていたことなのに。私が物心ついた時に孤児院にいた時点で、明確だったのに。
未知は、理想。知らないから、もしかしたら、なんて淡い夢に漬かっていた。
現実はあくまで現実なのに。だから、未知だって現実の色をしているのに。私は知っていたのに、知らないふりをしていた。自分にすら、嘘をついて。
目の前が霞む。足取りが重い。
私は今、哀のカタチを知った。
「……待って」
「嫌」
「私は、貴方は、何者?」
「知らない。貴方のご両親が知ってるでしょ」
全部。
私の中身も、私が生まれてからここまでのことも。ミリアの中身も、ミリアと私との差異も。全部全部、張本人なら知ってるでしょう。
でも。
もう、聞きたくなかった。
未知の箱の中は、知りたくない。
「知らないことが、幸せだと思うわ」
知ってしまったら、知らない前には戻れない。
私はもう、何も持っていない少女ではない。公爵家に生まれて、捨てられて、色んなものを失くした女になってしまった。
「今日はごめんなさい。私はただ、自分の正体を知りたかっただけ。そして、ある程度知ってしまった。もうこれ以上知りたくない。だからもう、貴方に会う事もないでしょう」
疲れた様子の自分の声は、初めて聞いた。
気が付けば、陽はほとんど落ちていた。太陽の断末魔、赤い光だけが世界を染める。
「貴方と私は同じなの?」
「違うわ。同じだと思ってたけれど」
「どうして?」
「その理由を貴方がわかっていないから、違うのよ」
それこそが、理由。
持っていれば、ほしくない。ほしくなければ、探さない。探さなければ、見つからない。見つからなければ、わからない。
私は求めて生きて、ミリアは求める必要がなかった。
それだけの、話だったの。
「なんで、」
「急に饒舌ね」
「……確かに。なんでだろう」
見てなくても、ミリアが首を捻っているのがわかった。私は、わかっている。でも、ミリアは私がどんな顔をしているのかわかっていないだろう。
「初めてかもしれない。貴方のことが気になる。貴方に去ってほしくない」
その声には、初めて感情が宿っていた。
だけど、遅い。
教室に入ったのは、私。そして今、背を向けているのも私。
立場は、逆転していた。
「そう」
「貴方と、話したい。私は貴方に興味を持っている」
「そうなの。でも私はもう、会いたくない」
これ以上、痛くなりたくない。じくじくとした痛みから離れたい。失った事実を忘れ去りたい。
私の様な化け物だって、体は傷つかなくても、心は傷つくんだ。
また、知りたくないことを知ってしまった。
私は歩き去る。
背後からの声は、全部無視した。